陽炎:一話

いかんせん愉快なことだった。彼あるいは彼女は影の如くターゲットを殺した、そこには風一つ残っていなかった、蝋燭の炎がふっと消えたみたいに相手は死んでいた。それを初めて見た時、オレはああなりたいと思ったんだ。

「またこいつからの依頼かよ」
「文句はなしだ」
あるだけマシだろ?とマスターが言う。性根の悪い依頼者はねちねちねちねち、いたぶるだけいたぶって殺すのが性癖みたいで、依頼も苦しむ様を撮影して依頼者の許可をとるまで殺してはいけない。どこかのお偉いさんみたいだがろくな死にかたはしないだろう、少なくともオレも。
「他に何か楽しいことはないのかよ」
「ハタナカが今日誕生日だ」
「そりゃおめでとう」
で、他には?と目線で投げ掛けるとマスターは肩を竦めた。
「毎日楽しくなりたいなら楽器でも始めるんだな」
「始めてどうするんだよ」
「好きな曲を弾けばいい」
ギターなら貸してやる、マスターの言葉は本気か冗談が分からないが受けとるのはどちらでもいい。
考えとくよ、とオレは言った。
店のドアが開いて、カウベルが鳴った。目許以外は黒で覆われた客がやってきた。ここでは普通のことだ。だが、オレは目を見張る。この辺りじゃ特別な魔女みたいな帽子と嘘みたいなマントを翻すその人は、オレにとってスペシャルな存在だった。
「………」
オレに気づいたその人はビー玉みたいな瞳をオレに向けて目礼した。ちなみにオレはビー玉が好きだ。ころころ綺麗で甘くて美味そうだ。子供のときに一度食ったことがあるが歯が折れてうまく味わえなかった。
カウンター席まで来るとマスターはいつの間にかコーヒーを用意していた。支払いのバインダーをカップの隣に置くが、それが殺しの依頼書だ。この店の作法。マスターがオレに早く店をでるように顔で言う。オレはごねてみせたがマスターの機嫌を損なうことは得策ではない。結局諦めて店をでることにした。
「どうぞ、ごゆっくり」
「…………」
その人からの返事はなかった。マスターの圧が強まる。オレはとっとと店を出た。最悪な依頼がオレを待っていた。

「彼は」
彼あるいは彼女が言葉を発した。
「まだここにいるんですね」
「行くところがないんですよ」
そりゃ、とマスターは付け加えた。
「選ばなければいくらでもあるでしょうが」
彼あるいは彼女は、ここはさほど思い入れすような場所ではないはすだが、とは思った。無論自分は世話になっているし大事に扱われているから不満はないが彼にとっては別だろう。
「本人は飄々としてますけどね」
何を考えているやら、とマスターは言う。彼あるいは彼女は目を細めただけだった。

そんな会話がされていることを露知らず、彼は仕事をこなすべく、今回のターゲットの情報を調べる。
ざっとインターネットを調べて出てきたところで、愛妻家で娘が一人、とある企業の役員をしていた。取り立てて悪評はないものの、依頼者には思うところがあるのだろう。耳を切り離して家族に送りつけろ、というオプションが付け加えられていた。依頼者の卑屈までのねちっこさを思うとうんざりする。仕事ぶりにもあれやこれやとケチをつけてきて、値下げを要求するようなちんけな男だった。しかし、そういう依頼者からしか仕事は来ない。彼はランクEの殺し屋だったし、今所属している組織ではそれ以上の昇格は見込めない。

「あ、殺し屋じゃん」
「写真いい?」
街中を歩いていると声をかけられた。普通の一般人だ。喜色に染まるわけでも興奮するわけでもなく、ま、一応撮っとくか、というかんじで、雑に写真を撮ることになり、彼は適当な笑顔を浮かべた。
「ねー。いつ捕まんの?」
「さあ、分かんない」
「法治国家やばー」 
彼は適当に笑ったまま、その場を去った。彼の昇格が見込めない理由はここにある。歩いていて声をかけられほど彼が何をしたかと言うと、ある時、彼が人を殺す動画が世界に向けて発信されたからだ。今、彼が逮捕されて刑務所にぶちこまれてない理由は、組織の働きかけにより、良くできたフェイク動画でした~!ということでオチがついたからで、そのことを疑問視する声は無論あるが、警察からの正式な発表もあり、彼は人を殺したけどそれが嘘だったひと、ということで一時期有名になってしまった。実際、本当に人を殺していたのだが。この一件で彼は組織に大きな借りを作ることになり、嫌な仕事ばかり回されるようになってしまったというわけだ。

彼は暫くターゲットの生活を見張ったのち、毎週火曜日の午後八時二十二分にフィットネスジムに行く道でターゲットを誘拐して監禁し、依頼人がオッケーを出すまで拷問した。依頼人のお望み通りに片耳を切り落とし(温情で死んだあとに切った)、せめてもの優しさでかわいい犬のぬいぐるみと一緒に片耳を詰めて家族に送りつけた。そのあと妻は発狂し、娘は犬を憎むようになったが、それは彼の預かり知らぬところである。
今回もきっちり仕事をやったというのに、また依頼人がねちねち文句をつけてきたので、彼は調べていた依頼人の秘密を各所に送り付けた。瞬く間に依頼人は社会的に死んだが、彼に自分を破滅に追いやったやつを殺せと高額な料金で依頼してきた。彼はその依頼を引き受けた。現在鋭意捜索中である。

「ギターのコードがわからないんだけど」
「毎日起きてから寝るまでの間弾いておけば身に付くさ」
「そんなもん?」
「お前にはやる気がないだけだ」
彼は口笛を吹いた。
「ところで何を弾きたいんだ?」
マスターはグラスを磨きながら言う。彼のお得意様は破滅したので、彼はいささか暇をもて余している。
「モテるような曲だよ」
いいだろ、と彼は言う。マスターは顔をしかめてみせてから、
「俺もそうだったよ」
と言った。
「マスターはモテた?」
「さあな」

下手くそなギターの音色が聞こえる喫茶店があったら、よく注意して欲しい。常連客たちはちょっと普通じゃないかもしれないから。でも、血の匂いはしないからすこし安心だ。店からはマスターお得意のブレンドコーヒーが香るだけで、依頼なしに彼あるいは彼女たちは決してあなたを傷つけない。

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