陽炎:二話

彼女の毎朝のルーティンは決まっている。寝起きに白湯を飲んで身体を目覚めさせカーテンを開けて日光を浴びる。朝食は彩りよく野菜とフルーツ中心で無論タンパク質も忘れてはいけない。昨日寝る前に勉強した外国語の復習をざっとして、ゆったりとアロマを焚きながらヨガをする。

「疲れた~!」
「また朝の日課かよ」
ハタナカが呆れる。
「うるさいな、別にいいでしょ」
「そういうのは、朝を豊かに過ごすもんじゃないのか?朝から疲れはててどうすんたよ」
「あんたには関係ないでしょ」
ぴしりと言った彼女の声の冷たさにハタナカは口をつぐむ。気まずそうに目線を滑らす素振りにマスターが言う。
「これからMalikaちゃんは仕事なんだろ?それじゃたっぷり食べないとな」
「そうそう、いただきます!」
マスターお得意のホットサンドだ。ハムとチーズのシンプルな味だが何故か自宅では再現不可能だ。
Malikaがホットサンドを食べ始める。ハタナカはずっと気まずそうだ。
ハタナカはこの前誕生日でその時付き合っていたMalikaに別れを切り出した。なにもこの店に二人で通わずともとは思うものの常連とはそんなものである。
「おはよー」
明け透けに呑気な声が店内に響く。ギターを背負ったワダだった。
「ひょはひょひょひょ」
「えっなになに?」
「曲弾けるようになった?」
Malikaが口の中のものを飲み込んで尋ねる。全然、とワダが笑う。
「センスないのかも」
「あんたが足らないのはやる気でしょ」
「そうかも」
マスターが肩を竦める。マスターがコーヒーをいれて差し出す、バインダーはついていない。ワダも肩を竦めた。本日も仕事なしだ。
「大丈夫なのか?」
ハタナカが言う。
「世の中が平和ってことだろ?」
「依頼きてるぞ」
「依頼きてる」
ハモった言葉にMalikaが舌打ちした。ハタナカは気まずそうに縮こまった。眉尻を掻いたワダが、コーヒーを飲む。
「もしかして干されてる?」
「そうなんじゃない?」
Malikaはにべもない。
「営業してくるかなー。動画見せて」
一種の自虐ギャグだ。問題は面白くないことである。白けた雰囲気にワダが誤魔化すように空咳をする。
「さ、ギター弾けるようにならなきゃな」
「そーゆー問題?」
「依頼を仕分けてんのMalikaじゃん」
「あたしは公平性を大事にしてるから」
「…………それじゃ、俺は行くから」
Malikaがまだ居たの?という顔で見る。ハタナカはそそくさと出ていく。
「二人ともマジで別れたの?」
「マジだけど」
「睨むなよ、なんで?ハタナカ結婚するって言ったじゃん」
ワダを睨んでいたMalikaがそっぽを向いた。
「……あたしはしないって言ったから」
「え、それじゃん!」
「うるさいな!」
「なのに、怒ってんの?」
「うるさいって言ってるでしょ」
「Malikaちゃん、仕事は?」
「あ!そうだった!」
Malikaがごちそうさま!とバタバタと店を出ていく。
「なんでMalikaは嫌なの?」
マスターは、食器を下げる。
「人それぞれってもんさ」

ハタナカにプロポーズされたのは嬉しかった。こんな仕事をやってる人間は基本的に家族などいない。自分の居場所が出来るのかと思ってほっとしたことを覚えている。でもすぐに、嫌だなと思った。ほっとしたことも嫌だった。そーいうんじゃないから、と勝手に口から出て、ハタナカがすごく傷ついた顔をしたことを覚えている。

パソコンに向き合って次々とくる依頼を確認していく、自分一人では細かいところを調べられないからチームでの仕事になる。Malikaはリーダー的ポジションだったが、飛び抜けて優れていたわけではなかった。上の方から仕事を辞めていき、自然とリーダーのポジションについたのだ。年功序列でないが、経験がものを言う仕事だから、Malikaの経験が評価されたことになる。なんだかなー、とMalikaは思っている。だからといって、何かをしたい、こうしたい!という思いはなかった。

「No.******?なにこれ?」
目についた依頼書を読み上げる。チームメンバーのEMILIOが困った顔をした。
「今調べてみてはいるんですが、依頼者の身元は保証されてるみたいで」
「うーん、もうちょっと調べてみて」
「どうするんですか?厄介なことになる前に却下したほうがよくないですか?」
「ワダは今、仕事ないし、あるだけマシじゃない?」
「いいんですか?」
重ねてEMILIOが尋ねる。Malikaはイライラした。
「このくらい、どうってことないでしょ。もういい、あたしが調べるから他の依頼を調べて。上司にはあたしが連絡する」
EMILIOは感情のこもってない声で分かりました、と言う。べつにそこまでひどい依頼ではない。ただ、単純にちょっとブッ飛んでるだけで。身元を照会し費用も満額支払えることを確認した。保証人は依頼のお得意様だ。猫なで声で電話して直接確認をかける。
「あのー毎度お世話になっておりますぅ。マエバシ文具店のものなんですが、ええ、ええ、はい、お客様がご紹介していただいたお客様のお話を、ええ、はい、あっ!そうなんですかぁ、はい、はい、わかりましたぁ、はい、いつもご贔屓頂きまして、はい、はい、有り難うございますぅ。いいえ!いいえ!とんでもございません、はい、はい、また是非、よろしくお願いしますぅ」
確認はとれた。Malikaは上司に声をかける。
「は?いや、まー。ランクEでしょ?どうでもいいんじゃない?」
忙しそうな上司は適当に承諾をくれた。どうでもいい。確かにそうだ。どうでもいい。
Malikaは何か自分はこだわっているのか?と自問してみた。どうだろう?これはハタナカのことに関係あるのだろうか。

依頼書No.******
お願い!動画を見て一目惚れしちゃったの!あの殺し屋さんに会わせて!

Malikaは鼻で笑った。
マスターのもとに依頼書を送る。この時代にFAXを使う。ピーガガガ。
結婚するしないはどうだってよかった。ハタナカのことは好きだったし多分愛していたし、今もそうだろう。好きだし愛している。

Malikaはパソコンの前に戻る。誰かを殺したい人間にこの世界に溢れていて、それで仕事は回っているし、罪悪感はなかった。Malikaだって殺したい人間がいて、その為にこの仕事についたのだ。

それが、Malikaの場合はハタナカだった。自分の両親を殺した男はハタナカだった。最愛の妹を殺したのはハタナカだった。

きっと、それだけの話だったのだ。

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