天落:二話

※若干動物への暴力に言及する部分があります

「甘いものはお好きですか?」
明るい声を向けられてザッカスは、はっとなる。獣人にエスコートされた先の事務所で人間に出会うとは思っていなかった。彼女はマーサと名乗った。毛先の丸い赤毛の彼女はそばかすが素敵だった。
「あたしもデモアさんのチームの一員です!これから宜しくお願いします」
「え?」
「あっ、え?」
「マーサ、彼にはまだなにも話していない」
「そうなんですか?!あらやだ、あたしったら、すみません!」
事務所は日当たりのいい場所にあり、無駄のない空間だった。無機質なビジネス向けの家具が並び、必要なものはラベリングされ、きちんと整頓されている様子が見えた。気難しい雰囲気はなく、空気は柔らかい。日当たりがいいからかもしれない。ザッカスには少し意外だった。デモアを清潔な場所で見るといかにも有能なビジネスマンだった。デモアは早速お茶の準備をしようとするマーサを止める。
「まず手当てと着替えです。大丈夫、私がしますから」
後半の言葉はマーサに向けてのものだったがそれはそれで大丈夫なのかという反応をマーサは見せた。その理由はすぐにわかった。デモアは不器用だった。それもかなりの。
「申し訳ありません…………」
デモアが項垂れると耳と尻尾が下がる。何故こうなるのかもわからないほどぐちゃぐちゃになったガーゼと包帯の一式を引き受けたのは結局マーサだった。
「本当はこういうの、ロイさんが得意なんですけどね」
「ロイ?」
「ロイさんもチームの一員で、というか、この事務所はデモアさん、ロイさん、あたしでチームを組んでいるんです」
「チーム?他に誰かいるんですか?」
「あっ、えーと。ここはバルルダが運営というか持っている事務所のひとつで。デモアさんが任されているんですけど、あたしとロイさんはデモアさんに直接雇われているというかんじかな」
ですよね?という風にマーサはデモアを見た。デモアが頷いて、言う。
「本来医者に診ていただきたいのですが、ザッカスさんの気が進まないということなので、こちらで読み取ったデータを送らせて頂きました。なにか問題があれば、連絡を頂けるようになっています」 
ザッカスは頷く。
医者は人間だろうが、今はあまり関わる人数を増やしたくないというのも本音だ。助けだされた以上、恩義はあるが祖父の知り合いならやはり警戒はある。ザッカスに無事包帯を巻き終えたマーサはお茶を淹れに部屋を出ていく。
「………俺に依頼したいことって何ですか」
ザッカスは尋ねる。
デモアは視線を向けたが、すぐに視線を外した。
「その前に、一旦、服を」
デモアの様子にザッカスは忘れていた恥じらいを思い出した。デモアが部屋を出ていく。
今ザッカスがいるこの部屋は事務所の休憩室らしい。座らされたふかふかのソファは背もたれを倒せばベッドになりそうだ。少し空いた窓から街中の喧騒が聞こえてくる。微睡みに似た時間。どこか懐かしかった。
あの時、世界は終わるはずだった。巨大な隕石の襲来。
ザッカスが子供の頃の話だ。
人類になす術はなく、隕石は地上にいる者にも目視が出来るほど間近に接近したが、当時ただの研究者だった獣人バルルダ・トライが《フェーイン・ルアルグイト》すると宣言し、あれほど間近に見えた巨大な隕石は跡形もなく消えた。
言葉を変えると、世界に衝突する筈の隕石の律を変えたのだと言う、変えたことによる変化すらも含めて元の《正しいとされる》世界に修正する術がこの時生まれた。
そして、世界は獣人のものになった。
人類は世界を守れなかった。

扉がノックされ、控えめに呼ばれる。マーサの声だ。お茶が入りました、美味しいドーナツがありますよ!ザッカスは急いで服を着ることにした。身体の痛みより感傷より食欲が勝った。ドーナツ!大好物だ。

「改めて、ご依頼の件ですが」
そういえばそんな話があった、ザッカスはドーナツをたらふく食べた心地でもはやここがどこであれどうでもいい気持ちになった。しかし、物事には対価がつきものだ。話しかけたデモアは、ザッカスの口端についた欠片を指で示して、いつまでも聞いていたくなるような声で言う。
「我々の仕事は通常会計に関わることです。ただ、たまに私どもには対処できない相談を受けることがあります。その相談ごとを、ザッカスさんに解決してほしいのです」
「えー、と、あー、それは……何故?俺が?」
「あなたはかつて探偵をされていたとか」
「あ、いや、それは」
単純にそう名乗っていただけだ。
一瞬だけ仕事が入ってきて浮気調査やペット探しをしたことがある。だが、成果が上がらず、依頼はすぐに来なくなった。ザッカスには忍耐力と根気がなかったし、特別な記憶力やスキルもなかった。
「本来、我々が受けるべきではない相談です」
デモアは言い含めるように言う。
ザッカスは瞬いた。
「じゃあ、人間より獣人の方がいいのでは?」
「人間のほうがいい場合もあります」
解決してほしいと言うものの、失敗前提なのだ、ということはザッカスにも分かった。
「…………ちなみに、どんな相談」
デモアではなく、ゴーグルメガネの音声ガイドがチャーミングに告げた。
「恋のご相談です」

「チャールズと呼んでくれ」
チャールズは素性を明かさなかった。チャールズというのも偽名かも知れなかった。事務所とは別の建物の一室は、いろんな布で装飾されて異空間のようになっている。
ひろく流通している神を模したバルルダの肖像画にかわいいチューリップの布がかけられており、テーブルには赤いチェックの布がかかっている。少し不思議な匂いがした。お茶のような木のような、それは獣人の持つ嗅覚への刺激のためらしかった。チャールズは語る。
「俺たちの種族のひとつである犬が、人間に飼われているのは我慢ならないんだ」
聞き手が人間のため、人に飼われているというくだりには憎悪が籠った。
「まあ僕たちは気にしませんけどねえ」
この意見はロイだ。ロイ・テンペスト。デモアのチームの一員。猫の獣人だ。
「あいつらだけですよ、誇りだなんだの気にして、たかだか人の飼う動物に口を挟むのは。この前もあったじゃないですか、人間は動物を解放しろっていう運動。おかげで僕たちだって、生の魚や肉は食えないんですよ」
「はあ、まあ、それは置いといて」
チャールズの会話に話を戻そう。
「あの一家が飼っている犬がいるんだ、ミックスだよ、毛が適度に長くて、耳がピーンとしてて、少しきつねに似てるかもしれない。あのロザーナ・カルテットだよ。知らないか?あんな雰囲気なんだ」
「名前はスモモだ。スモモ。スモモだって!権利もなにもあったもんじゃない。スモモはともかく賢い。あの一家の言うことを聞き、役目を果たし、きちんと家を守っている」
「そう、そのスモモだ」
チャールズはがくりと肩を落とした。耳も尻尾も項垂れる。獣人は今までの経緯から理性的に振るまいたがるが、感情は隠せない。
「最初は我慢ならなかった、未だに犬を飼うことは違法じゃない、そもそも人間の生活を管理し支配することは我らの本懐ではないからね。しかし、あの一家はあまりにスモモを邪険に扱う、ご飯なんて自分達の残り物だ!それでは健康に悪すぎる。そうだろ?!雨が降っててもスモモは野ざらしだ、許せないだろ?!暑くても寒くてもスモモは、庭に出されているのだ!俺は最初きちんとペットを飼う以上、世話をするべきだとあの一家に言いにいったのだ。手続きを踏んだ以上、大事に扱うべきだとね!そうしたら」
「……………そうしたら?」
「そんな義理はない、と。自分達の犬だ、自分達の好きに扱う、とそれはもう見下したような眼差しを向けてきたのだ。……わかるだろう?」
バルルダが世界を変えて、否、救って以降、獣人に世界の主導権を握られた腹いせや怒り、憎しみから無関係な動物を虐待する事件が続発した。ひどく残忍で過激なケースもあり、人間に動物を飼わせてはならない、という話は、肉食の話へやがて広がり、今は人間、獣人に関係なく動物の肉を食べることは一種のタブーとなっている。一部の、元よりペットを可愛がっていた人類の熱心な活動やそれを後押しする獣人もいて、ペットで飼うことそのものは、許可さえあれば改めて可能になった。ただ、表面化していない問題は複数あるとされている。この辺りの議論は、獣人の中でもひとつの意見にまとまってはいない。
「俺は、諦めずにスモモの暮らしが改善するように何度も言いにいったんだ。しかしつい、この前、あんたは犬だからスモモに惚れたんだろう、あんたにスモモをくれてやってもいいが、その代わり金と子供を貰う、て言われてね、ほんと……………………殺してやろうかと思った」
漏れ出る憎悪は濃厚だった。ついザッカスは身震いする。チャールズは、慌てたように首を振った。
「思っただけだ、なにも本気で殺そうと思ったわけじゃない、だがーー俺は、スモモが好きだ」
チャールズはどこか遠くを見ている。
「汚らわしいだろう?なにせ、相手は四本足の動物だ」
チャールズは気を取り直したように、ザッカスを見た。
「あんたには、俺をこんな気持ちにさせるスモモを、殺してほしいんだ」
これは、恋の相談ではなかったのか。
二度ほどザッカスは聞き返したがその度にチャールズは繰り返した。
「スモモを殺してくれ」

「はぁーこれだから」
と言いかけてロイが止めたのは自分のボスがドーベルマンであることを思い出したからだ。
「デモアさんはこのこと、知ってたんですか」
「いいえ、私が聞いていたときには好きになってしまった、どうすればいいのか、と言った内容でしたから」
「それでも俺に解決するのは無理じゃない……?」
「簡単にスモモにパートナーを見つけてくれればそれで済むかと思っていたのです」
「デモアさんは恋の厄介さを知らないからな」
「え?ロイさんは知ってるんですか?」
マーサがロイを他意なく見つめた。ロイの眉間に皺が寄る。
「四六時中発情している人間のほうが恋の機敏なんてわからないだろ」
「あーっそれ、問題発言ですからねっ」
「分かってるよ、あんた以外には言わない」
「あたしにも言っちゃだめです!」
「ザッカスさんは、どうお考えですか?」
「どうって俺も恋の機敏はさっぱりだけど………」
デモアが一瞬、間を置いた。
「問題解決の方で」
「あ、あ、そうですよね、はは、すいません、とりあえずスモモに会ってみます」
「けど、いいのか?ザッカスさんが信用できる人間には、到底僕には見えない」
「ロイさん、またそんなこと言っちゃって」
「マーサやデモアさんを騙せても僕は早々騙せないのでそのつもりでいてください」
ロイは真っ直ぐとザッカスを見据える。その様子からして言葉ほど性根はひねくれてなさそうだ。マーサがはらはらしたように視線を向けてくる。ザッカスは肩を竦めた。
「俺も長居するつもりはないさ。助けてくれたから、一度引き受けただけで次はどうするか分からない」
「………あんた、デモアさんに殺されるところを助けられたんだろ?」
「そう、一度だけな」
「そんな、一緒のチームに入るんじゃないんですか?せっかく仲良くなったと思ったのに」
「仲良くってなにしたんだよ」
「一緒にお茶してドーナツ食べました!」
「はぁ?」
マーサの言い分にロイが呆れた。二人は意見を求めるようにデモアに顔を向ける。
デモアは言う。
「ザッカスさん、私はあなたの意思を尊重します」
ゴーグルの光が瞬く。
ボスの言うことは絶対らしい。なにか言いたげであっても二人は揃って口を閉じた。ザッカスは奇妙な心地だ。祖父はデモアに何をしたのか?一体どんな恩を売り付けたというのか。
「………………有り難う、助かるよ」
久しく尊重などされたことがなかった。大事に扱われるということは、悪い気分にはならなかったが身体に広がる恥の感覚が後ろめたさのようなものを覚えて、居心地は悪かった。
そんなザッカスを見て、デモアは微かに微笑んだようだった。

疑問は尽きないが、当面の間、相談ごとが解決するまでザッカスは事務所の世話になることになった。同じ建物の中にある、上階部分の居住スペースを借りることになったがもとよりそこはデモアが借りている部屋らしく、専門の業者にクリーニングを頼んだとは言うが部屋にはデモアの気配が漂っている、気がする。
「申し訳ない。ホテルを、とも思ったのですが事情が事情のため、この部屋で我慢してください」
「で、……デモアさんと一緒に暮らすということですか?」
デモアの耳がピンと立った。
「……まさか」
デモアが咳払いする。
「いえ、私はしばらく不在にしますので、好きにお使いください。ご不便があれば、この端末でご連絡ください」
端末の説明をしてデモアは心なしか足早に部屋を出ようとするが、不意に振り返った。
「………………ザッカスさんは、本当に殺すおつもりですか」
「しませんよ。俺、犬好きだから」
「……………」
「あ、いやっ、スモモのことです!べつにその、いや、デモアさんには感謝してます!」
否定すると逆に意味が強まった気がして、ザッカスは誤魔化すようにお礼を告げる。デモアの尻尾がふと揺れた、それをデモア自身の手が勢いよく掴む。
「安心しました、それでは」
不格好に後退りかけたデモアが動きを止めて、観念したように言う。
「……………すみません、あまり見ないでいただけると助かります」
「あ、えう、は、はい!」
部屋から出て行く際、デモアは背中を向ける形にはなる。つまり、ザッカスから尻尾が見える。ザッカスはデモアにぐるりと背を向けた。有り難うございます、と声は小さく届いた。出ていく音。遠ざかる靴音。
暫くして、ふっとザッカスは息を吐きだす。
「なんか、そういう……………………」
そういうのはずるいんじゃないか。
本人のいない部屋で、ザッカスはその夜、うまく眠れなかった。

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