2024年7月の投稿[2件]
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#冠特
ひどく暑い日だった。
他の寮の手伝いをした後で彼に呼び出されて、急いで向かった。
遅い、と文句を言われて彼女はもごもごする。汗だくの額を無意識に拭うと、彼はどこか呆れたように目を細める。
「この時期に走り回るなんて馬鹿か、日が沈むまで休んでいろ」
「え、でも……」
「‟でも?”」
反論を許さない声にもごもごと彼女は言葉を呑み込んだ。室内は涼しくて空調も効いている。見た目も涼しい寮だ。涼しいのは本当に空調のおかげなのだろうか?彼女は馬鹿みたいに突っ立ている。彼は彼女を見て、それからソファに座り、煙草に火を点けた。彼は彼女にも座るように促した。彼女は戸惑いながら端に腰を下ろす。彼女は彼が紫煙を吐く姿を見る。
「煙草って美味しいんですか?」
「あ?」
「……よく吸っていらっしゃるので」
「吸ってみればわかるだろ」
「……え?」
彼は咥えていた煙草を差し出した。そもそも未成年の自分が煙草を吸うのは違法のはずだ。むしろ彼もそうである気がする。その上で彼が吸っていた煙草に自分が口をつけるというのもためらわれた。彼は差し出したままだったから、フィルターがじりじりと焼けていく。
「おい」
「……その」
「チッ」
彼は短くなった煙草を深く吸い込み、それをびくびくしながら見ている彼女に紫煙を吹きかけた。
「わっ……ッコホ」
「別に美味いわけじゃない」
「……そうなんですか」
じゃあ、何故、と彼女の顔が言う。
臆病な割に雄弁すぎる瞳だ。彼は答えなかった。
「えっと、煙草を吸うのもいいですけど、ご飯は食べた方が……」
テーブルには食事が手つかずのまま、残っている。
「うるせえな」
「……」
「お前が食べればいいだろうが」
「わ、私が食べても意味ないと思います……」
彼がひと睨みする。
彼女は慌てて目を伏せた。
「……」
「……」
「あの、どんなものなら食べられそうですか……?」
「しつこいぞ」
彼の肌は白かった。
日光にも当たらず、食事もしない。それでも華奢なイメージはない。堂々とした振る舞いがあるからだろうか。彼は煙草を吸う。彼女は、押し黙る。が、ぱっと顔を上げる。
「美味しいですよ、翔くんの料理!」
「……」
「すごく丁寧に作ってあって、味付けも優しいというかほっとするというか。でもクオリティがとても高くて」
「で?」
彼は紫煙を吐いた。すげない彼の態度に彼女の勢いは徐々に落ちていく。
「……おススメをしたくて」
「ヴァガストロムの奴らとうまくやってるようじゃねえか」
「うまく……かは分かりませんが、少しずつ仲良くなれている気はします」
彼女は少しほっとして笑った。
彼はまた彼女の顔に紫煙を吹きかける。
「えぁ、コホッ…!」
「――俺に食べてほしけりゃ、吸ってみろ」
「……っ、え?」
彼は煙草を差し出した。
彼女の瞳が揺らぐ。
ゆっくりとフィルターは焼けていく。
彼女は彼の顔を見た。彼の表情は読めなかった。
迷いに迷った彼女は彼の手元に顔を近づけていく。
「熱……」
「え、あっ」
それでも彼女が迷っていると短くなった煙草で彼の指が焼けた。
それに気づいた彼女の顔が青ざめる。
「冷やさないと、あ、水、えっと」
彼は煙草をもみ消して、彼女の顎を掴む。
彼女が息を吸い込む。
彼は、慇懃に彼女の瞳を見つめるだけだ。
彼女は逃げ場をなくして、追い詰められた子猫のようにぶるぶると震える。
「すみませ、」
彼は言葉の吐息がかかるほど、顔を寄せる。
彼女は思わずぎゅっと目を瞑った。
「俺を見ろ」
「……」
「見ろ」
「…………は、はい」
彼女はそろりと目を開ける。
彼の瞳が彼女を捕らえたが、飽いたように手を離した。
「掃除しとけ。夜になったら起こせ」
「え……で、でも」
「下僕が口答えすんじゃねえ」
「冠氷さん、火傷はしてないですか……?」
「うるせえ」
彼女は困ったような顔で彼を見上げる。彼は、その瞳を閉じたくなった。口とて、塞ぎたくなった。彼は彼女がいるにも関わらず、ソファに横になった。
彼女は彼に足を乗せられて猶更困ったようだった。彼は目を閉じた。足で感じる彼女の身体は頼りなく、柔らかい。
「あの」
「……」
「……冠氷さん?」
彼は身じろぎしなかった。
彼女は浅くため息を吐く。
「どうしよう…………」
小さい声だったが、むろん聞こえた。
彼は、ふっと笑いかけた。
このまま、彼女をこの部屋に閉じ込めてしまいたいような気持ちになったからだ。
外はいまだ眩しい日差しに満ちている。傾きかけた西日がより一層赤々と燃えて、カーテンの縁を彩っている。外と隔絶したこの空間は、音も届かず、彼は彼女の、困惑したままの浅い呼吸にいつまでも耳を澄ましていた。
アナウンス
※現在プレイを休止しているものあります。
倉庫としておいています。
受け攻め性別不問/男女恋愛要素あり
R18と特殊設定のものはワンクッション置いています。
年齢制限は守ってください。よろしくお願いします。
倉庫としておいています。
受け攻め性別不問/男女恋愛要素あり
R18と特殊設定のものはワンクッション置いています。
年齢制限は守ってください。よろしくお願いします。
「ねえ、レイ先生。畏まった表情筋のサポートとして白衣にアップリケをつけてみない?」
「……今度はどんな無駄遣いをしたんだ?」
「無駄遣いじゃないよ。これは正当な買い物。ほら、レイ先生に似てると思って」
無愛想な雪だるまがアイスキャンディーを食べている絵柄だった。よくそんなものを見つけたなといっそ感心染みた声が出る。彼女は楽しそうに笑って、アップリケを顔の横に持ってくる。
「私が探したんじゃないよ、たまたま引き寄せられたの」
「また深夜に眠れず、通販サイトをひたすら見ていたのか?」
「それは………そんな話じゃないよ」
彼女は頬を膨らませた。先ほどまで得意気だった彼女の変化に彼は眉を上げて見せて、腰を抱き寄せた。
「それほど似ているとは思えないが」
「………似てるよ、そっくり。あなたの生き別れの双子かもしれないよ」
「どちらが兄だ?」
「気にするのはそんなところでいいの?」
「冗談だ」
「冗談を言う表情ってものがあるんだよ」
「分からないのか?」
「分からないよ、そんな顔じゃ」
「よく見てみればいい」
彼は顔を近づけた。吐息が触れそうな距離だ。彼女は顔を逸らして、だから。ともごもごと言う。彼女の耳に髪をかけながら、それで、と言う。
「どのくらい眠れてないんだ」
「別に……ちょっと眠れてないだけ、あんまり普段と変わらないよ」
「私の双子の兄弟を探し当てるほど、通販サイトを渡り歩いていて?」
「これは、たまたま巡りあったの。もしくは呼ばれたんだと思う。あなたと私が親しいから」
「悪くない嘘だ」
「嘘って」
彼女がやっとこちらを見た。彼は彼女の顔を観察するように触れた。
「レイ先生、今は診察時間じゃないよ」
「勤務外労働は違法だ」
呆れたように彼女はため息を吐いた。彼は頬を包み込むように触れる。彼女の瞳が揺らぐ。
「……本当だよ、そこまで寝不足なわけじゃないし」
「分かっている」
彼女が眠れない理由を彼は聞かなかった。
「これからとくとくと安眠する方法を解説してもいいがどうする?」
「うーん、あなたの貴重な時間をそれに使うのは勿体ないかな」
「なら、どうする」
「……」
彼女が彼に抱きついた。
「……そばにいて」
彼は彼女を抱き締め返した。
「分かった。眠るまでそばにいる」
「それじゃだめ。起きたら朝食も作ってもらわないと。最近あなたの手料理食べてないよ。だから、眠れないのかも」
彼は思わず笑った。
「分かった。他には?」
「え、いいの?」
「兄を見つけてくれたお礼だ」
「あなたが弟なの?」
「……ふむ。兄はどうやらなにも話さなかったみたいだ」
「……そうかも。アイスキャンディーを食べるのに夢中だったみたい」
彼女の手にはまだアップリケが握られていた。彼はそれを受け取って、ソファのサイドボードに伏せて置いた。彼女は不思議そうに見つめていたが、彼がキスをしたので、少し顔を赤くした。
だが、ふと顔を伏せる。
「あんまり上手な言い訳じゃなかったかも」
いつもの声だが沈んだ調子は隠せなかった。彼は彼女を抱き締める。暫く二人は無言だった。
「レイ、キスして」
彼は言うとおりにキスをした。
彼女は少し笑った。
「あなたって、今ならなんでもしてくれるみたい」
それは事実だった。
今だけではなく、ずっとそうだ。今までも、これからも。
彼は彼女の髪を触る。
それから彼女の髪にもキスを落とした。
「湯船にお湯を張ってくる。ゆっくり入るといい」
「有り難う、でも今は動いちゃ駄目」
「…………」
彼女が彼の胸に頭を寄せる。
「ドキドキしてる」
「……心拍数とはそういうものだ」
彼女が笑い、指を絡めて手を繋ぐ。彼はしばらく好きにさせてやっていた。その内寝るだろうと思っていたら本当に眠りに落ちた彼女を彼はベッドまで運ぶことにする。冷蔵庫に朝食に相応しい食材はあっただろうか。彼は彼女の寝顔を見ながらそんなことを思う。
「おやすみ、いい夢を」
数日後、セキがこんなメッセージをSNSに投稿した。
「冷涼なるレイ先生の白衣に雪だるまが住みはじめた」
彼女は小さく笑ってハートをつける。夜思いの外熟睡してしまい、今では普通に眠れるようになった。彼が今頃どんな表情をしているのか、気になってスタンプを送りつけた。
彼からはただ一言だ。
「今、アイスキャンディーを食べていたところだ」
それって冗談のつもり?彼女は可笑しくなってしまった。付き添ってくれた夜のお礼に今度はちゃんとしたものを送ろうと彼女は再び通販のサイトの旅に出ることにする。果てのない旅、彼のぎゅっと詰まった眉間、疑わしげな眼差し、でもそれが柔らかくなって、ふっと笑う瞬間、彼女の好きな色を浮かべる。
彼女が最近眠りにつく時、彼女はそんなことを考えているが、彼には言わないつもりだ。
代わりに彼の好きそうなものをスクショして送りつけた。
「いいレストランを見つけた。お礼なら食事に付き合ってくれればいい」
「お礼になるの?」
「なる」
やり取りはそっけない。でも、充分だった。あったかい雪だるま。彼がいつでも冷たくあろうもするのは、溶けてしまうからかもしれなかった。自分の熱で。あるいはその優しさで。