No.24, No.23, No.22, No.21, No.20, No.19, No.18[7件]
短文10
拾い上げた花は枯れている。マリーゴールド。鮮やかな黄色だったのだろう、今はくすんでその影もなくぼろぼろになっている。白い息を吐き出す。トラスト・トトが現れてからと言うものの、大気の温度は下がり続けている。そういうデータはあったはだろうかとAlfonsに尋ねる。Alfonsはあります、しかし閲覧不可です。有効なIDを示してくださいと言う、有効なIDとはどんな立場の者なのか。Alfonsは答えない。トラスト・トトが何であるかを答えないように。
一連を支配したデッドブルグは、トラスト・トトによって置き換えられた。ボードゲームのようなものだ。自分がそこに駒としても上がれないだけで。
マリーゴールドを連れ帰った。家のみんなは歓迎してくれた。花瓶に挿し、水を注いだ。マリーゴールドはマリーゴールドだ。花瓶から発生した音楽がゆっくりと流れて行く、何の音?と鴨下が尋ねた、分からないよとマルチネスが応えた。きっとピアノだよとフェルノは言う、みんなの名前はバラバラで、どんな名前をつけても良かった。トラスト・トトがそう命じたからだ。
本当の名前は口に出せなくなった。旧支配制度によって作られた呪縛。ありもしない上下関係を作り、抑圧し、虐げられた者の名前だからだ。手を擦り合わせた。マリーゴールドは、マリーゴールドだ。ロミオ。ジュリエット。そうだったように。物語はずっと組み込まれている。盤上に生きている。トラスト・トト。あなたも物語の一部のはずなのに大気の温度は下がり続けている。いつかすべては凍りつく。そして爆発するに違いない、終わりはそのようにして訪れる。いつも大抵その場合は詭弁に等しい、愚か者がそうする。
Alfonsは解読し、読み込み、反発した。エラーが起きて許可を求める。試行を繰り返す。名前を入力してください。名前を入力してください。IDを証明してください。あなたは誰ですか?Alfonsは繰り返す。もう6212742499回目のことだった。
拾い上げた花は枯れている。マリーゴールド。鮮やかな黄色だったのだろう、今はくすんでその影もなくぼろぼろになっている。白い息を吐き出す。トラスト・トトが現れてからと言うものの、大気の温度は下がり続けている。そういうデータはあったはだろうかとAlfonsに尋ねる。Alfonsはあります、しかし閲覧不可です。有効なIDを示してくださいと言う、有効なIDとはどんな立場の者なのか。Alfonsは答えない。トラスト・トトが何であるかを答えないように。
一連を支配したデッドブルグは、トラスト・トトによって置き換えられた。ボードゲームのようなものだ。自分がそこに駒としても上がれないだけで。
マリーゴールドを連れ帰った。家のみんなは歓迎してくれた。花瓶に挿し、水を注いだ。マリーゴールドはマリーゴールドだ。花瓶から発生した音楽がゆっくりと流れて行く、何の音?と鴨下が尋ねた、分からないよとマルチネスが応えた。きっとピアノだよとフェルノは言う、みんなの名前はバラバラで、どんな名前をつけても良かった。トラスト・トトがそう命じたからだ。
本当の名前は口に出せなくなった。旧支配制度によって作られた呪縛。ありもしない上下関係を作り、抑圧し、虐げられた者の名前だからだ。手を擦り合わせた。マリーゴールドは、マリーゴールドだ。ロミオ。ジュリエット。そうだったように。物語はずっと組み込まれている。盤上に生きている。トラスト・トト。あなたも物語の一部のはずなのに大気の温度は下がり続けている。いつかすべては凍りつく。そして爆発するに違いない、終わりはそのようにして訪れる。いつも大抵その場合は詭弁に等しい、愚か者がそうする。
Alfonsは解読し、読み込み、反発した。エラーが起きて許可を求める。試行を繰り返す。名前を入力してください。名前を入力してください。IDを証明してください。あなたは誰ですか?Alfonsは繰り返す。もう6212742499回目のことだった。
短文9
十中八九間違いやろと森永は言ったが岡田は準備を続ける、討伐の予定は立っているがそれを実行するのに当番が当たっていた。清め払え誘導する、先導役のラッパ吹きは森永の役目で、岡田はその補佐に当たる。当人にやる気がないのは残念だが、森永には才能がある。努力を積み重ねている岡田よりもそうだった、だが森永はやりたくないと駄々をこねている。
「自分がやったらええやろ」
「なんでや、お前がやれや」
お前の役目やろ、森永の言葉に眉間に皺が出来る。
「ほら持っとけ、生徒手帳。そんで俺の代わりやれ」
「森永の役目やろ」
「やりたいわけやない!」
思いの外切羽詰まった声だった。
「百鬼夜行はその為のもんやろ」
岡田は冷静だ。冷静に努めている。
「やってどないすんねん、しょーもないわ。時代遅れの遺物や」
「大事にせい。お前の生まれ持った才能に感謝して、な」
「生まれるのが間違いや」
一瞬時が冷えた。岡田は周囲を伺う。誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「もうええ、もうえええて」
「なにがええねん」
岡田は、息を吐いた。
「化けもん、倒さな、しまいやろ」
「俺ら、ただの人間やで」
森永は岡田も含めた。
「ちゃう、お前だけや」
「なんでそんなこと言うん」
「決まっとるからや」
「なんも決まってへんやんか………」
扉が開いた。
「お前らなにしてん。みんな、待っとんで」
担当の教師だ。
分かってます、今行きます、岡田は答えた。教師は頷く。
「生徒手帳は持ったか?」
「持ってます」
「そんならはよ来いや」
教師は森永を一瞥した。森永は目を合わせない。なにかを諦めた教師が出ていく。
「森永」
「っしゃ、やろか」
岡田は頷いた。森永はお喋りを始めた。どうでもいい話だ。岡田は準備を進める。十中八九間違いやろ。本当は岡田もそう思っていた。
十中八九間違いやろと森永は言ったが岡田は準備を続ける、討伐の予定は立っているがそれを実行するのに当番が当たっていた。清め払え誘導する、先導役のラッパ吹きは森永の役目で、岡田はその補佐に当たる。当人にやる気がないのは残念だが、森永には才能がある。努力を積み重ねている岡田よりもそうだった、だが森永はやりたくないと駄々をこねている。
「自分がやったらええやろ」
「なんでや、お前がやれや」
お前の役目やろ、森永の言葉に眉間に皺が出来る。
「ほら持っとけ、生徒手帳。そんで俺の代わりやれ」
「森永の役目やろ」
「やりたいわけやない!」
思いの外切羽詰まった声だった。
「百鬼夜行はその為のもんやろ」
岡田は冷静だ。冷静に努めている。
「やってどないすんねん、しょーもないわ。時代遅れの遺物や」
「大事にせい。お前の生まれ持った才能に感謝して、な」
「生まれるのが間違いや」
一瞬時が冷えた。岡田は周囲を伺う。誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「もうええ、もうえええて」
「なにがええねん」
岡田は、息を吐いた。
「化けもん、倒さな、しまいやろ」
「俺ら、ただの人間やで」
森永は岡田も含めた。
「ちゃう、お前だけや」
「なんでそんなこと言うん」
「決まっとるからや」
「なんも決まってへんやんか………」
扉が開いた。
「お前らなにしてん。みんな、待っとんで」
担当の教師だ。
分かってます、今行きます、岡田は答えた。教師は頷く。
「生徒手帳は持ったか?」
「持ってます」
「そんならはよ来いや」
教師は森永を一瞥した。森永は目を合わせない。なにかを諦めた教師が出ていく。
「森永」
「っしゃ、やろか」
岡田は頷いた。森永はお喋りを始めた。どうでもいい話だ。岡田は準備を進める。十中八九間違いやろ。本当は岡田もそう思っていた。
短文8
ぺったらぺったら、サンダルの間抜けな音を響かせる。石坂さんはいつもサンダルを履いており、そのぬぼっとした風貌にサンダルの音はマッチしているように思う。人は人が選んだもので出来ている。ぺったらと鳴らして石坂さんが立ち止まる。
「タコさんウィンナーだ」
「いいでしょう」
「いいな」
「あげませんよ」
「まさか、貰うわけには」
タコさんウィンナーですから、と石坂さんは表情の見えぬ顔で言う。タコウィンナーを箸でつまんでみて、食べようかと思ったが視線を感じて止める。座りなさいよ、と隣を叩いてベンチに誘導する。寒風の吹くぱっとしない天気の日でもベンチは結構埋まっている。じっと部屋にこもっているよりかは幾らかマシだった。
「石坂さんって、まあ、いいか」
「どういうことですか?やめてほしい」
「聞くのは失礼だなと思いました」
「名前を呼んでおいて?」
「石坂さん」
「はい」
「呼んでみました。意味のない呼ぶ行為もあります」
「………………屁理屈だなあ」
「タコさんウィンナーを食う者たるや、理論武装ぐらいしますよ」
「屁理屈でしょう」
「サンダル以外持ってるのかなと思ったんですよ」
「あー。…………失礼ですね」
「そうでしょう」
「まあ持ってても関係ないですから」
「持ってないんだ」
「持ってますけど?」
「あげますよ、タコさんウィンナー」
「いらない……………」
侮辱だ、と石坂さんは怒りだした。それを静める特効薬のようにタコさんウィンナーを石坂さんの口元に持っていく。視線の攻防があった。
「侮辱ですよ」
石坂さんがもごもご言う。
「寒いなあ」
一層冷たい風が吹き抜ける。
「サンダルもいいですよ」
「楽でしょうけど」
あなたには必要でしょうと石坂さんは言う。特効薬は未だ見つかっていない。本当にタコさんウィンナーがそうならいいのに。石坂さんは私の肩をぽんと叩いて立ち上がった。また、ぺったらぺったらサンダルの音を響かせて石坂さんが去っていく。私はと言うと空になった弁当を見つめて、まじんなりとも進まぬ研究のことを考えていた。あれはまだ人類がーー……………、
いややめておこう。
これはあなたには関係のない話であった。
ぺったらぺったら、サンダルの間抜けな音を響かせる。石坂さんはいつもサンダルを履いており、そのぬぼっとした風貌にサンダルの音はマッチしているように思う。人は人が選んだもので出来ている。ぺったらと鳴らして石坂さんが立ち止まる。
「タコさんウィンナーだ」
「いいでしょう」
「いいな」
「あげませんよ」
「まさか、貰うわけには」
タコさんウィンナーですから、と石坂さんは表情の見えぬ顔で言う。タコウィンナーを箸でつまんでみて、食べようかと思ったが視線を感じて止める。座りなさいよ、と隣を叩いてベンチに誘導する。寒風の吹くぱっとしない天気の日でもベンチは結構埋まっている。じっと部屋にこもっているよりかは幾らかマシだった。
「石坂さんって、まあ、いいか」
「どういうことですか?やめてほしい」
「聞くのは失礼だなと思いました」
「名前を呼んでおいて?」
「石坂さん」
「はい」
「呼んでみました。意味のない呼ぶ行為もあります」
「………………屁理屈だなあ」
「タコさんウィンナーを食う者たるや、理論武装ぐらいしますよ」
「屁理屈でしょう」
「サンダル以外持ってるのかなと思ったんですよ」
「あー。…………失礼ですね」
「そうでしょう」
「まあ持ってても関係ないですから」
「持ってないんだ」
「持ってますけど?」
「あげますよ、タコさんウィンナー」
「いらない……………」
侮辱だ、と石坂さんは怒りだした。それを静める特効薬のようにタコさんウィンナーを石坂さんの口元に持っていく。視線の攻防があった。
「侮辱ですよ」
石坂さんがもごもご言う。
「寒いなあ」
一層冷たい風が吹き抜ける。
「サンダルもいいですよ」
「楽でしょうけど」
あなたには必要でしょうと石坂さんは言う。特効薬は未だ見つかっていない。本当にタコさんウィンナーがそうならいいのに。石坂さんは私の肩をぽんと叩いて立ち上がった。また、ぺったらぺったらサンダルの音を響かせて石坂さんが去っていく。私はと言うと空になった弁当を見つめて、まじんなりとも進まぬ研究のことを考えていた。あれはまだ人類がーー……………、
いややめておこう。
これはあなたには関係のない話であった。
短文7
「一生のお願いや」
「それ何度目の台詞や」
「そんなん言うたかてわし死にますやろ」
「死なん」
「死にそうや」
実際死ぬなと狐は考えて、その考えは猫に筒抜けだ。わかっとるやろが、と狐は言う。なんも分かってない、と猫が言う。
「撃たれたんや、お前は」
「それは分かってますわ」
血が流れていく。猫から急速に流れていく。溢れて林檎のような形をしており、林檎みたいな赤さで、林檎のように美しい。
「もうあきませんわ」
「そやろな」
「一生のお願いや」
「それはあかん」
「なんでですの、もう死ぬ言うてますわ」
「面倒やないか」
「わし死にますのやで?!」
「死なんかったらええやろ」
「あかんわ、もう目も見えませんわ」
「さいなら」
「嫌や、死にとうない」
ならず者として生きてきたならやがてはそうなるだろう。最初に足を撃たれた時点で終わりだったのだ。
「悪いことやってきたんや、しゃーない」
「わしやなくてあんたが死ぬべきや」
猫が言った。それで、死んだ。死んでもうたな、と狐は思った。まだ温もりが残っている。一応支えていた手にはべったりと血がついている。洗わなくては。他人の血液ほど汚いものはない。猫は目を瞑っている。狐は離れて歩きだした。林檎が食べたくなっていた。
一生のお願いや。猫はかつて言った。
わしが死ぬときはあんたも死んで。生きるで、と狐は言う。おれは生きる。
死んだらしまいや。
そういや、家に林檎あったな。狐は冷蔵庫に萎びた林檎があることを思い出した。
「一生のお願いや」
「それ何度目の台詞や」
「そんなん言うたかてわし死にますやろ」
「死なん」
「死にそうや」
実際死ぬなと狐は考えて、その考えは猫に筒抜けだ。わかっとるやろが、と狐は言う。なんも分かってない、と猫が言う。
「撃たれたんや、お前は」
「それは分かってますわ」
血が流れていく。猫から急速に流れていく。溢れて林檎のような形をしており、林檎みたいな赤さで、林檎のように美しい。
「もうあきませんわ」
「そやろな」
「一生のお願いや」
「それはあかん」
「なんでですの、もう死ぬ言うてますわ」
「面倒やないか」
「わし死にますのやで?!」
「死なんかったらええやろ」
「あかんわ、もう目も見えませんわ」
「さいなら」
「嫌や、死にとうない」
ならず者として生きてきたならやがてはそうなるだろう。最初に足を撃たれた時点で終わりだったのだ。
「悪いことやってきたんや、しゃーない」
「わしやなくてあんたが死ぬべきや」
猫が言った。それで、死んだ。死んでもうたな、と狐は思った。まだ温もりが残っている。一応支えていた手にはべったりと血がついている。洗わなくては。他人の血液ほど汚いものはない。猫は目を瞑っている。狐は離れて歩きだした。林檎が食べたくなっていた。
一生のお願いや。猫はかつて言った。
わしが死ぬときはあんたも死んで。生きるで、と狐は言う。おれは生きる。
死んだらしまいや。
そういや、家に林檎あったな。狐は冷蔵庫に萎びた林檎があることを思い出した。
短文6
浸かっている。体温と温泉の温度は似ているかもしれないが完全に別物だろう。視線の先の浸かっているその人を、もとより人をじろじろ不遜なことなれど、よりにもって裸の女の人を見るなど逮捕案件だ。同性だからってセーフでもないだろうし。でも見ちゃう。
その人が持って浸かっているのが脳だからだ。脳が入っている透明なバッグがちゃぽんと湯に浸かっている。
視線が合う。
「………あ、」
「………」
「………あの、その、あの、お湯にバッグを浸けるのはどうかなとか……………」
語尾につれて声は小さくなった。
その人は目を細めるようにして、笑った。
「ダメですよね、ダメだと思ってました」
「あ、あ、じゃあ…………」
「やってしまいましたから」
殺ってしまいましたから?いや、違う。そんなわけはない。そうだったら怖い。
「……………」
「どうせ怒られるでしょう?だからこのままで」
どういう意味か尋ねるのが怖かった。
「一種のアトラクションと思ってください、すみません」
どうしたらいいか分からず曖昧な笑みを浮かべた。
「これ、何だと思います?」
「え、あ、……………………脳?」
「そう見えます?」
怖い。
怖すぎる。
自分が全裸なのも怖いし相手が全裸なのも怖いし、ここが温泉なのも怖い。
「えっと…………………?」
「実はこれ、脳で」
「あっはい、はは、はい、そうですよね」
「どうして笑ってるんですか?」
「え、あ、えっと、初めて見たし、脳とか」
「まあ笑うしかないですよね、私も最初はそうでした」
「あっ、で、ですよね」
「恋人で」
「あ、え、亡くなって?」
「元から脳だったんです」
「あ、え?」
「知り合ったときからこの姿で」
「へ、へえ」
「ヴィレヴァンで見つけて」
「あ、え、偽物?」
「偽物って?」
怖い怖い怖い。風邪引きそう。沈黙。脱衣場から笑う声がした。あ、そう、その手がある。私はお湯から上がった。ざぶり。湯気が立ち上る。温泉の温もりがからだの奥にある。その人は何も言わなかった。私は何かを言うのを恐れた。若い女の子が二人つれたって扉を潜る。その隙を逃さぬように、互いに遠慮しあって頭を下げながら私は脱衣場に戻った。扇風機が回転している。からからからから。女の子たちの声がぴたりと止まり、扉が開けられる。さっきの女の子たちだ。互いに目で会話する。目で。
「言ってくる」
「え、なに」
一人の女の子が言う。
「旅館の人に。だって、入れないし温泉」
沈黙。
「私も言います」
私も言い、頷いた。
決意の眼差しを交わし合う。
「…………………」
戸惑う女の子が小さく呟く。
「あれ、何?」
沈黙。誰も何も答えたくなかった。扇風機がからから回る。
「とりあえず、あの、着替えましょう」
一気に弾けるようにして着替えに走る。脱衣場に来られても怖いから。やっぱり、怖いし。浴衣を着て、整えて、行きましょう、と言う。行くしかない。がらり。扉の音に一斉にビクつくも仲居さんが微笑んだ。ごゆっくりと、言いたげで、私は困りながら言う。温泉、湯にバッグを浸けているひとがいて。女の子二人も頷く。仲居さんは、瞬いた。分かりました、確認します。ご迷惑をおかけしました。
「えっと、はい、あの」
それ以上は言えなかった。
「お願いします、温泉楽しみたいし」
女の子が言った。頷き合う。仲良しだな、と思った。仲良しだ。三人揃って風呂場を出た。あ、じゃあ、はい、あの、はい、みたいなかんじで、別れて私はとぼとぼと廊下を歩いた。私がここで人でも殺していたらきれいなオチになったのだろうが、そんなことはなかった。湯に浸かる脳は気持ち良さそうに見えた。
脳って性別あるのかな。ひどく美しかったその人を思い出す。不安定そうに微笑む、その人に恋人の脳がいるのは、そう悪いことでもなさそうだった。怖いだけで。全裸に脳は怖いだけで。服を着ていたらもしかしたらマシだったのかもしれない。トイレとか風呂とかでこういうことはやめてほしいのだ。無防備をつかれるみたいで、かなり嫌だった。
旅館備え付けの水を飲む。変な夢を見そうだなと思ったその夜、夢に出てきたピンクの脳は喋っていた。ヴィレヴァンの福袋はキーホルダーすげー入っているよ、みたいな話をしていて、温泉はあんまり好きじゃないんだと言う、見られるでしょ、裸、嫌だよね、そんなとこ、行くもんじゃないよ、脳だしさ。脳って裸じゃん。
薄暗い天井を見上げて、私はそうか?と思った。透明なバッグがなかったらセーフだったのかも。
それから、その人や脳がどうなったかは、なにも分からないのだった。
浸かっている。体温と温泉の温度は似ているかもしれないが完全に別物だろう。視線の先の浸かっているその人を、もとより人をじろじろ不遜なことなれど、よりにもって裸の女の人を見るなど逮捕案件だ。同性だからってセーフでもないだろうし。でも見ちゃう。
その人が持って浸かっているのが脳だからだ。脳が入っている透明なバッグがちゃぽんと湯に浸かっている。
視線が合う。
「………あ、」
「………」
「………あの、その、あの、お湯にバッグを浸けるのはどうかなとか……………」
語尾につれて声は小さくなった。
その人は目を細めるようにして、笑った。
「ダメですよね、ダメだと思ってました」
「あ、あ、じゃあ…………」
「やってしまいましたから」
殺ってしまいましたから?いや、違う。そんなわけはない。そうだったら怖い。
「……………」
「どうせ怒られるでしょう?だからこのままで」
どういう意味か尋ねるのが怖かった。
「一種のアトラクションと思ってください、すみません」
どうしたらいいか分からず曖昧な笑みを浮かべた。
「これ、何だと思います?」
「え、あ、……………………脳?」
「そう見えます?」
怖い。
怖すぎる。
自分が全裸なのも怖いし相手が全裸なのも怖いし、ここが温泉なのも怖い。
「えっと…………………?」
「実はこれ、脳で」
「あっはい、はは、はい、そうですよね」
「どうして笑ってるんですか?」
「え、あ、えっと、初めて見たし、脳とか」
「まあ笑うしかないですよね、私も最初はそうでした」
「あっ、で、ですよね」
「恋人で」
「あ、え、亡くなって?」
「元から脳だったんです」
「あ、え?」
「知り合ったときからこの姿で」
「へ、へえ」
「ヴィレヴァンで見つけて」
「あ、え、偽物?」
「偽物って?」
怖い怖い怖い。風邪引きそう。沈黙。脱衣場から笑う声がした。あ、そう、その手がある。私はお湯から上がった。ざぶり。湯気が立ち上る。温泉の温もりがからだの奥にある。その人は何も言わなかった。私は何かを言うのを恐れた。若い女の子が二人つれたって扉を潜る。その隙を逃さぬように、互いに遠慮しあって頭を下げながら私は脱衣場に戻った。扇風機が回転している。からからからから。女の子たちの声がぴたりと止まり、扉が開けられる。さっきの女の子たちだ。互いに目で会話する。目で。
「言ってくる」
「え、なに」
一人の女の子が言う。
「旅館の人に。だって、入れないし温泉」
沈黙。
「私も言います」
私も言い、頷いた。
決意の眼差しを交わし合う。
「…………………」
戸惑う女の子が小さく呟く。
「あれ、何?」
沈黙。誰も何も答えたくなかった。扇風機がからから回る。
「とりあえず、あの、着替えましょう」
一気に弾けるようにして着替えに走る。脱衣場に来られても怖いから。やっぱり、怖いし。浴衣を着て、整えて、行きましょう、と言う。行くしかない。がらり。扉の音に一斉にビクつくも仲居さんが微笑んだ。ごゆっくりと、言いたげで、私は困りながら言う。温泉、湯にバッグを浸けているひとがいて。女の子二人も頷く。仲居さんは、瞬いた。分かりました、確認します。ご迷惑をおかけしました。
「えっと、はい、あの」
それ以上は言えなかった。
「お願いします、温泉楽しみたいし」
女の子が言った。頷き合う。仲良しだな、と思った。仲良しだ。三人揃って風呂場を出た。あ、じゃあ、はい、あの、はい、みたいなかんじで、別れて私はとぼとぼと廊下を歩いた。私がここで人でも殺していたらきれいなオチになったのだろうが、そんなことはなかった。湯に浸かる脳は気持ち良さそうに見えた。
脳って性別あるのかな。ひどく美しかったその人を思い出す。不安定そうに微笑む、その人に恋人の脳がいるのは、そう悪いことでもなさそうだった。怖いだけで。全裸に脳は怖いだけで。服を着ていたらもしかしたらマシだったのかもしれない。トイレとか風呂とかでこういうことはやめてほしいのだ。無防備をつかれるみたいで、かなり嫌だった。
旅館備え付けの水を飲む。変な夢を見そうだなと思ったその夜、夢に出てきたピンクの脳は喋っていた。ヴィレヴァンの福袋はキーホルダーすげー入っているよ、みたいな話をしていて、温泉はあんまり好きじゃないんだと言う、見られるでしょ、裸、嫌だよね、そんなとこ、行くもんじゃないよ、脳だしさ。脳って裸じゃん。
薄暗い天井を見上げて、私はそうか?と思った。透明なバッグがなかったらセーフだったのかも。
それから、その人や脳がどうなったかは、なにも分からないのだった。
あなたはわたしを手に入れたが、わたしはあなたを手に入れることはできなかった。結末としてはそんな終わり方で物語としてはそんな始まり方をする。
レッドカーペットの上を真っ直ぐ歩いても称賛する観客はおらず、困りきったスタッフが曖昧に微笑むだけである。微笑みとはなんとも不確かな言葉であった。
昔から好きだよと囁いてくれていたあの人は、別の相手を選んで結婚したし、それは分かっていたつもりだった。
毛頭自分が誰かと結婚することはないと分かっていたし、誰かを好きに思ったことをわたしはなかったからだ。あの人は届かぬ告白にそのうちに疲れて、他の人を好きになった。道理だった。真実だった。わたしは誰かを好きになることはないと思っていても、誰かに好きでいられることは心地が良かった。
気持ちの良い日向で、風によって動く雲を眺めながら、風が向かう先を空想するような、不確かでのんびりと怠ける猫になったような心持ちだった。二進法で結託された過ちは、これで良かったのだと自分を怒るような囁きと一緒に刻まれていく。わたしは愛されていたのだと実感を得る、赤く染まったカーペットが、栄光の印なら、わたしがあの人を好きだったのだと証明されたようなもので、いや本当はただあの人がわたしが好きだったから、この世界で誰かに好かれることは意味があることだからあなたは立派ですよと承認された結果なのだろうか?
わたしはレッドカーペットに火をつけて右往左往するスタッフを眺めて、けらけらと笑ってしまう。
全部夢だとしても、自分の価値を好きというものに委ねるのはやめてしまおう。あなたはわたしを手に入れた。
わたしのすべてではなくとも。
わたしはあなたを手に入れることはできなかった。きっとしたくなかったからだ。そうすることは、罪悪のように思えて恥のように思えて、炎はめらめらと燃え上がり、すべてを灰にするだろう。
物語の終わりとしてはどうしたい?あの人を奪い取る?それとも別の誰かに好きになってもらう?
右往左往するのはわたしも同じで、レッドカーペットは燃えたはずなのにわたしの眼前に広げられ、囁く。
わたしはそれを月経に極親しい赤だと気づいて、丁寧に笑った。
ゆっくりとレッドカーペットを丸めていく。重たくて難しくて大変だけど、どこまでも長くその道を、丸めて、丸めて、わたしは進んで行く。二進法の歩幅で、恒久的に。その時、観客は一人だけだった。名前のしらない、瞳が小鹿みたいに澄んだ誰かだった。