No.79, No.78, No.77, No.75, No.74, No.73, No.72[7件]
#虎梓
今日は絶対言うんだ、だから友達に聞いて選んでもらったかわいい下着も買った。おばあちゃんにも遅くなるかもしれないと連絡したし、おばあちゃんは楽しんでおいでと笑って送り出してくれた。今日の服装もなるべく大人っぽく見えるようなものを選んで、リップも塗った。誕生日当日のお祝いでなくてもよかった。仕事が忙しい虎が、当日の夜遅く会いに来てくれたのが嬉しかったから。だから、高塚梓はそう決めたのだ。
「私、虎が欲しい」
本条政虎はまじまじと梓を見つめて、口端をあげた。
「お前のもん、つってるのに、まだ足りないのかよ?」
「……そ、そうだよ」
政虎は少し目を見張った。梓が何を言わんとしているのか、分かったからだ。梓のスカートから伸びている足に手を沿わせる。梓の身体はびくついた。
「そりゃ、どういう意味かわかってんのか?」
「わかってる」
「焦るなよ?オレはいつでもいいんだぜ、それが十年後でもな。こっちの世界じゃ、16………17サイはガキなんだろ?」
「ガキじゃないよ」
その言い種が子供じみていて梓が気づいたように唇を噛んだ。
「ほらよ」
政虎が腕を広げる。
梓はぎゅっと眉を寄せる。
「梓ちゃん、カワイイお顔が台無しだぜ?」
「っ、そうやって子供扱いして……っ」
「してねえよ。惚れたオンナ扱いしてる」
「うそ」
「なぁーんで、この俺が惚れてもねえオンナを大事にしねえとなんねぇの?」
信用がないのかと言われて、梓は首を振った。
「虎が私を大事にしてくれてることはわかってるよ!だから…………」
「お返しにワタシをあげるって?」
「ち、ちが…………」
政虎は責めたりはしていなかった。面白がるような気配と冷静な視線だ。
「いいからこいよ」
促されて、梓はおずおずとその腕の中に飛び込んだ。思いの外強い力で抱き締められて、胸が詰まる。
至近距離で眼差しが絡む。まだ慣れない。虎のこんな瞳には。
「いい匂いがすんなァ」
「なにもつけてないよ」
「オレの好きな匂いだ」
「そう……きゃっ!」
政虎が不意に首筋を舐める。
「と、虎」
「………」
政虎は答えずにそのまま吸い上げる。
ちょうど髪で隠れる場所だ。本人は気づかないかもしれない。だが、痕は残さなかった。
「食わせてくれるんだろ?いつか」
「――――私は」
「見返りを求めてお前を大事にしてるわけじゃないぜ、それならとっくに奪ってる。前にも言ったろ?」
「――でも、でも、私だって虎が欲しいよ………………虎を大事にしたいの」
「嫁になってくれんだろ?」
「…………うん」
「初めて頷いたな」
「そうかな?」
「そうだ。まぁ、けど、お前が……」
「なに?」
「お前がオレ以上に好きなやつが出来たってんなら、その時は仕方ねえけどな」
「どういうこと?私が心変わりするってこと?」
「怒んなよ。心配はしてねえよ。そん時ゃ、また惚れ直させればいいだけだからな」
「……虎は私の気持ちが不安?」
答えを聞く前に唇を塞がれる。いつもより深いキスで梓の息が上がる。なんだかんだと政虎はこの世界にきてから必要以上には梓には触れようとはしない。
「っ、もう!誤魔化さないで」
べろりと唇を舐めあげて、虎は笑う。
「聞くのは怖ぇ」
「私は!」
「オレがお前をどうにかしそうで」
「…………えっ」
「怖がらせたくないし、傷つけたくはねえ。痛みを与えたくないし、怯えさせたくもねえ。お前がオレに触られるだけで、感じるようにさせてえし?」
梓は目を見開いた。
顔が真っ赤に染まる。
「リンゴチャン?」
「虎っ!」
「――だから、待つ。義理とか義務とかじゃなくて、お前のここが、オレを欲しくなるまで」
虎の指先が鎖骨から胸の間を通り腹部まで下りる。
梓は口をパクパクさせる。
ゆっくりとお腹全体を撫でられて、息が詰まった。
「先に決めとくか?セーフティワード」
「セーフティワード?」
「梓ちゃんは意地っ張りだから気持ちよくても嫌って言うだろ?そうしたら本当に嫌なときがわかんねえだろ、ま、オレは分かるんだがよ」
もう何を返せばいいのか、分からない。
墓穴を掘りそうだし、これで嫌と言うのも嫌だ。政虎が低く笑った。
「で、何にする?」
「何にって……………」
「どんなものでもいいぜ。リンゴとか、ランニングとか、好きなドラマの名前とかでもな」
「……………………」
「そんな顔すんなよ。煽られるだろ?」
想像でもしたか、と笑いを含んだ声でも言われて梓は、虎の胸を押した。
「想像ならしてるよ!だから、かわいい下着も買ったんだから!」
「…………へぇ」
梓は口を抑えた。
政虎の目が細められる。
補食者みたいに。
じっと、梓を見る。
梓はその視線に耐えかねて、後ろに下がった。身体を縮こめる。
「隠すなよ」
政虎が両腕をとり、広げさせる。服を脱いでもいないのに、下着をみられている気がして、梓は身体中が熱い。
こんな調子じゃ実際無理かもしれない。
政虎が満足したように息を吐いた。
「お前なら、やっぱ、おばあちゃん、かもな」
「え?」
「お前がオレ以外に助けを求めるヒーローはおばあちゃんしかいねーだろ?」
セーフティワードのはなしだ。
梓は考えてから頷いた。
「そうする」
わしわしと政虎は梓の頭を撫でる。
「じゃあ、もう帰れ。もう遅いだろ」
「………………帰りたくない」
「……………」
ため息が出そうになる。
むやみやたらと襲うほど野蛮でもないが、今日の梓は一段と美味しそうで困る。
「一応言っとくけど、卒業まで最低限手を出さねえぞ」
「…………キスもしてるのに?」
「あんなもん――――」
言いかけて、梓の恨みがましそうな視線に気づいた。
「虎は経験豊富だもんね」
可愛すぎるのでやめろと思ったが政虎は口には出さなかった。代わりに笑ってしまった。げらげら笑う政虎に気分を害して梓は怒る。
「笑うとこじゃないよ!私は初めてだし、いつもいっぱいいっぱいで」
「オレだってそうだよ、これ以上ねえくらい惚れて、こんなに我慢するのも、我慢してるのも悪くねえと思えるのも、お前が初めてだ」
「っ、虎はずるい!」
「好きつっとけ、梓が虎かっこいい、好き、大好きつってりゃ、オレは幸せなんだよ」
「…………もう帰る」
「梓」
「虎のことは世界一好きだよ!でも今は正直腹が立つよ!」
「…………」
「虎のバカ!」
「反抗期か?」
「違うよ!」
不貞腐れた梓を政虎は家まで送り届けた。
「覚えといて!一年後に思い知らせてあげるんだから!」
ぴしゃりとドアが閉まる。
政虎は笑う。一年後が末恐ろしい気がした。相手も自分も。
#レイ主
ケーキを食べ終わったあと、二人でのんびりとソファで過ごす。
「レイ先生のお腹の中には何が詰まっているの」
わざとからかうように言いながら、レイのお腹を服の上から撫でる。
「…………お前と同じものだ」
「そうかな?隠れてまたなにか食べてるんじゃない?」
「一緒にいて、どうやって盗み食いするんだ」
「レイ先生は器用だからね」
「盗みは専門外だ」
「分かってるよ、そんな顔しないで」
レイのお腹はきれいに割れている。甘いものばかりでどうやってこの体型を維持しているのか、不思議だ。
「やっぱりスイッチがあるのかな……?」
探るように撫でると、さすがに手を止められた。
「まだ諦めていなかったのか?」
「一緒に暮らしたとしてもあなたへの謎は解明しない気がする」
「……それは、一緒に暮らしてみれば解るのではないか」
視線がはちあったが、レイから逸らした。前々からそんな雰囲気はあって、でもどちらとも言い出したりはしなかった。お互いの生活があり、おそらく一緒に暮らしても顔を会わせる頻度は今とそう変わらない気がしていた。レイの手を握って指を絡めるとしっかりとした強さでレイが握り返した。私の手の甲に唇を寄せて、肌の質感を楽しむように唇を滑らせた。まるで、甘えているみたいだ。
「抱きしめてあげる」
尊大に言ってみせる。レイは小さく笑った。
「なら、頼む」
「いいの?普段なら断るでしょう」
「別に普段も嫌ではない。ただ、お前のタイミングが悪いだけだ」
「そうかな?あなたはいつも、そんな瞳をしているよ」
レイは私をまじまじと見た。
「…………そんな風に見えているのか?」
「――ううん。私の希望混じり。そうだったらいいなと思うけど、そうでもないのは分かってるから」
レイは笑っただけだった。
「……抱きしめてくれるんじゃなかったのか?」
「――ついでに好きって言ってあげる」
レイは片方の眉だけ器用にあげてみせた。思わず笑いながら私はレイを抱きしめた。
「好きだよ」
ゆっくりと息を吐いたレイは、満更でもなさそうだった。私を抱きしめ返して、私もだ、と言った。レイからはミントの匂いが微かにして、それがどこから香るのか、知りたくて首筋に鼻をくっつけた。
「レイ、もしかして飴を食べてる?」
「ああ」
「盗み食いはしないんじゃなかったの?」
「これは盗み食いなのか?」
「いつの間に」
レイはポケットを探り、ミントの飴を取り出した。私は口を開けるとレイは口の中に飴を入れてくれる。
「目が覚めてきた」
「眠かったのか?」
「そうかも」
自分から離れようとは思わなかったけれど、レイも離れようとはしなかった。体温が身近すぎて、口の中だけがひんやりしていく。不思議なかんじだった。キスしたらどうなるんだろうと思って、レイにキスをした。軽く触れ合うつもりだったけど、レイがぐっと体重をかけてきて、そのままどんどん深いキスになっていく。違う!そんなつもりじゃない!
「ちょっと、待って」
「……何故?」
問う理由は、レイの瞳にちゃんと書いてある。
「――飴を食べてるから」
口ごもりながら言うと、レイは眉を下げた。なんだかそれが可愛い。また自分からキスをする、レイが乗ってこようとすると胸元を手で押した。困惑がレイの瞳に過る。
「だめ」
「…………」
レイは私の耳たぶに触れる。
「私はもう飴を食べ終っている」
「じゃあ見せて」
唇を撫でて促す。
レイは渋い顔をして、口を開けた。
ミントの匂いがする。
飴は残っていなかった。
「ほんとだね。でも、私はまだだから」
レイは押し黙ったが、瞳は雄弁だった。私はなんだか楽しくなってしまった。笑ってしまうとレイはぐっと眉間にシワを寄せる。
「からかっているのか?」
「今日のあなたはかわいいね」
「そんなことはない」
「そうかな?私のことが好きだって顔をしている」
「…………それだけか?私の顔に書いてあることは」
「え」
「もっとよく確かめてみるといい」
レイが私の手を自分の頬に添えさせた。
「…………どうかな?マカロンも好きだって書いてあるね」
「それで?」
「あとは歯医者が嫌いって書いてある」
「それは間違いだ」
「虫歯になるのはもっと嫌だって書いてある」
「……………他には?」
焦れたようにレイは言う。
私は薄くなった飴を噛んで見せた。
「私の歯は丈夫みたい。あなたと違って虫歯はひとつもな―――ッ、ん」
「―――そのようだ」
レイが覆い被さってくる。
「……」
私はレイの顔を撫でた。
「――私の顔は今は何と書いてある?」
レイは熱い吐息混じりに言う。私は彼をもう止めなかった。
「秘密」
*
「…………お腹空いてきちゃった」
レイが私のお腹を撫でる。
「宅配を頼むか」
「こんな時間にやってるかな?」
「やっている店もある。時々注文することがある」
「甘いもの?」
「そういう店があればいいが」
そのまま横になっているとレイが飲み物を持ってくる。私に着替えをさせ、トイレに行かせそうやっててきぱきと世話を焼いているのを見るのは結構楽しい。きれいになったシーツの上で、再び横になる。レイは何を注文するか真面目に選んでいるみたいだった。
「一緒に暮らしていてもこんなかんじなのかな?」
レイは少し驚いた顔をした。
「それは……そうかもしれない」
「私はまだ、そうと決めることはできないけど、あなたと暮らすことに不安はないよ」
レイの瞳は不思議な色を湛え、私を見つめる。レイは何も言わなかったけれど、その手が慈しむように私の髪に触れた。しばらくの間、レイはそうしていた。
「……………レイ?」
「なんでもない」
「そう?ならいいけど……」
「注文するならここがいいだろう」
レイは端末を見せてきて、私は了承した。世界の隅にいるみたいにレイはどこか打ちひしがれていて、私は彼を慰めようとしたが何を言えばいいか、分からなかった。
「腹部は専門外だ」
「え?」
「だから、何が詰まっているかはわからない。基礎的な知識や医学的な経験ならあるが、やはり専門外だ」
いったい何を言い出したのか、一瞬分からなかったが、私はまたレイのお腹を撫でて見せた。
「大丈夫。これから美味しいものが入ってくる予定だから」
レイは私を咎めるではなく、抱きしめた。
「私はいつでも構わない」
「分かってる。有り難う」
一緒に暮らさなくても二人で過ごすことはできる。
「あなたの心臓のことを今度は教えて」
「それなら専門分野だ」
彼は重々しく頷いて見せた。私は笑った。やがて宅配を知らせるインターホンが鳴るまで、私たちは話し合った。肝心なことから自分達を遠ざける、それでいて、あなたを愛してます、という言葉で。
アナウンス
※現在プレイを休止しているものあります。
倉庫としておいています。
受け攻め性別不問/男女恋愛要素あり
R18と特殊設定のものはワンクッション置いています。
年齢制限は守ってください。よろしくお願いします。
倉庫としておいています。
受け攻め性別不問/男女恋愛要素あり
R18と特殊設定のものはワンクッション置いています。
年齢制限は守ってください。よろしくお願いします。
欲しがる必要はなかったんだと思う。
二人で歩いている時、観2に声をかける人がいた。それ自体はよくあることだった、彼女の知り合いは多く、その上で彼女と親しかった。ライラックはそれを複雑に思わないと言えば嘘にはなるけれどそのことについて、嫌だとかやめてくれと言うようなことはなかった。
「あれ、観2じゃん!連絡くれなくなったのどーして?俺達相性よかったじゃん」
ただ、この場合親しさの意味合いは違ってくるように思う。その人はべらべらと喋り、どんどん彼女の顔は青ざめていく。浮気がばれたというようなことなら、怒ればよかったんだと思う。ライラックは知らずによく喋る人をじっと見つめ、いつまで喋るのか、本当に彼女の知り合いなのか、考えていたが、ライラックの顔は黙っていると威圧的で、人を寄せつけない雰囲気がある。怯えたその人は、えー?えー?なにー?なにー?とか言いながら立ち去っていった。
「あの…………」
「――すみません、」
「顔色が悪いですよ、休みましょう」
「いやでも」
「一息いれて」
「だから!」
「………」
「すみません、その、だから、」
覚えていなくて、と彼女は絞り出すような声で言った。
「お酒を飲まれて、とか……?」
「――じゃなくえ。すごく、都合がよく聞こえるのかもしれないんですが…………私、記憶がないところがあって、時々あったことを覚えてないんです」
「今、のことですか?」
「いえ、過去の………パラレル・フライト社の事務所に入る前の」
だからもしかして、本当にあったのかもしれなくて、それがこれから、またあるかもしれなくて。
彼女は頭痛がするみたいな顔で言う。
細くかすれた声で、それは不思議とライラックにだけ、届くみたいな声だった。
「今、あなたと恋人なのはおれですから。だから、平気です。心配しないでください」
ライラックは彼女の手を取った。
ゆっくりと握る。
「――ね、だからそんな顔しないでください」
「…………なさい」
「え?」
「ごめんなさい」
彼女が手を離す。
「ごめんなさい、ライラックさん」
駆け出して行く彼女をライラックは呆気に取られて、見送った。
*
それから、ライラックはどう家に帰ったかを覚えていない。彼女の荷物は残されたまま、彼女は地球に帰ったみたいだった。休暇を取って、3日は一緒に過ごせる予定だった。離れた星で暮らすライラックと彼女が一緒に過ごせる時間は貴重だった。一瞬、むくりと彼女に話しかけた相手に対して憎悪のようなものが沸いた、が八つ当たりであることは分かっていた。彼女が何にごめんなさいと言ったのか、分かるようで分からない。何が駄目だったのか。連絡も取れない。
だから、ゴロウに相談することにした。
酒の勢いも借りて、あったことを吐露するとゴロウは眉根を寄せ、酒臭い息を吐いた。
「そりゃお前なァ」
「はい」
「まぁ、色々あるよな」
「ど、どういう意味ですか」
「こういうのはよぉ、こういうのは、まぁ、直接観2に聞くしかないだろ?」
「そ、そうなんですけど、連絡が取れなくて」
「会いにいきゃいいだろ?」
「会ってくれますか?」
「わかんねぇだろ、会いにいかなきゃ」
「会いに」
行ってもいいんですか、とライラックは言った。ライラックは自分が傷つくとか、後悔するとか、余計に苦しむとかそういうことは、あまり関係がなかった。自分が会いにいくことで、彼女が苦しむ方が嫌だった。
「おめぇはどうなんだ?」
「何がですか?」
「そういう、観2の、過去の恋人だか遊び相手だか、そういう」
ゴロウは言いにくそうに言葉を選びながら全部言った。
「観2が好きだった相手やあいつが大事な相手が会いに来たとしたら、どうなんだ」
「おれは、観2さんが好きです。おれといる時、おれを見てくれればいいです」
「………はぁ」
ゴロウは酒を煽った。
「愛だな」
「愛、でしょうか」
「愛なんだろ?」
「……大切なんです」
彼女が自分のことを嫌になったら?
ライラックは望んで手を離すかもしれない。彼女が苦しむのも傷つくのも嫌だからだ、その時彼女にとっての最良があればいい。彼女が幸せであればそれでよかった。愛と呼ぶにはあまりにも強欲すぎやしないか。
ゴロウと別れて、ぼんやりとライラックは夜風に当たった。この時期に咲く、白くて小さい花が、甘い匂いを漂わせている。離れれば忘れてしまう、近づけば思い出す、さざなみのようだ。
浮いては沈む感情が、酒に任せて流れて行く。そのまま、何処かにいくなら、やはり地球がいい気がした。ライラックは自宅に足を向ける。
踞る小さな影を見た時、ライラックの心臓はとびはねた。彼女からはいつも懐かしい匂いがする。過去の懐かしみとはどこか違う気がする。言い換えると、ほっとできる気がする匂いだ。肩の力を抜いて自分でいられるような場所。そんな居場所が人間の形をしている。強力な地場がそこには発生している。
「愛してます」
懺悔みたいに飛び出た言葉に、玄関ポーチのライトに照らされた彼女が息を飲んだのが分かった。ライラックは、飛び出た言葉を今更取り戻せず、視線をさ迷わせる。
「すみません、おれ、あ、荷物!取りに来たんですよね、触らずに取ってありますから………」
「私の方こそすみません」
これでお別れなのかもしれない。ライラックは玄関を開けて、彼女を部屋に招いた。彼女はつかれた顔をしていて、いつもの仕事の制服を着ていて、鞄ひとつで、それからお腹をならした。
「あっええと」
「……ふふ、なにか食べますか、冷蔵庫に何かあったかな、すこし待っててください」
「いや、ま、待って、待ってください、あのライラックさんに話があって」
またお腹が鳴った。
「だから!」
観2は自分のお腹を叩いた。
「だ、だめですよ、叩いては」
「いいんですよ!今大事な話をしてるんだから、お腹なんてどうでもいいんですよ!」
「だめですよ!ご飯作りますから!」
「そんな、もう、謝りにきたんですから!聞いてください!!」
お腹は鳴る。
彼女は崩れ落ちた。
「あーもう~~いやだ~~。もういやだ。ライラックさんのバカ」
「すみません」
「ライラックさんはバカじゃないですよ!謝らないで!どうして謝るんですか!バカだから?!」
「たぶん、そうです」
「そんなことないですよ!優しいからですよ!そんな、優しくする必要ないですよ!全部私が悪いんですから!」
「なにも悪くないですよ」
ライラックは彼女を抱き起こした。あやすように抱き締めた。観2はすこしの間ライラックの肩を叩き、ふて腐れたように静かになった。
「怒ってくれてもいいんですよ」
「どうしてですか」
「変なやつにデートを邪魔にされたし!勝手に帰るし!3日一緒にいられたのに!今も、………迷惑をかけてるし」
だからいいんですよ、嫌になっても。
ライラックはますます彼女を抱き締めた。
「いらない思い出もあるんですね」
「え?」
「名前も知らないひとですが、そのまま何もかも忘れていてください。おれのことだけ、全部覚えていてください」
「……………」
「おれのことだけじゃなくていいです、でもあなたを傷つける思い出ならなくてもいいです、おれは」
彼女が身じろぎした。
「……ライラックさん」
「はい」
「愛してるってなんですか?」
「あっ、ええと、その、勝手に。おれは」
「嘘なんですか?」
「そんなことはないです。観2さんはおれからそう思われるのは嫌じゃないですか?」
「いいのかな、相応しいのかなと思います。私はその」
不完全で。
「よかった」
「え?」
「おれも足らないみたいです」
ライラックは身を寄せた。これ以上ないほどに密着しているのにまだ足りなかった。
「あの時、おれのこと、嫌になりませんでした?」
「まさか、全然。自分が嫌になりました」
「だったら、全部おれで満たして」
「…………ライラックさん」
「あなたを過去に奪われることだけは嫌です」
言葉にしてはじめて気づいた。愛と呼ぶにはやはり強欲だ。
「もっとおれを見てください」
彼女がゆっくりとライラックを見た。その瞳に自分が写ってるのを見て、ライラックは唇を重ねた。
彼女がライラックを嫌になったらどうする?
ライラックは望んで彼女を手放すかもしれない。
だから、
「おれを手放さないで」
そうすればずっと、自分は彼女のものでいられる。
*
ひどく執拗で長い行為のあと、観2は空腹で立ち上がれず、ライラックから手ずから食べさせて貰う。
観2は親鳥のようにせっせと紅茶入りのクッキーを運ぶライラックが幸福に溶けていることが分かった。
ライラックは怒ってるとは言わなかったけど、怒っていた気がする。
身体に広がるライラックのつけた痕が少しひりついて、気だるさにまごついた咀嚼をすると、ライラックの指が優しく口を拭った。
「ライラックさん」
「はい」
「今度はもう少し優しくしてくれると嬉しいです」
「……………はい」
真っ赤になったライラックにやり返した心地になって、彼女は笑った。
ハーブティーを飲ませてもらって、彼女は雛鳥のようにまどろんだ。今後同じようなことが起きても乗り越えられるだろう。
ここが鳥かごの中なのは分かっている。花で飾られた、美しいかごの中。澄んだ華やかな匂いがする。紫色した花の。
開け放たれた扉から空が見えて、ライラックの手を握る。握り返された手の力の強さを、彼女は確かめる。
――愛と呼ぶには。