No.22, No.21, No.20, No.19, No.18, No.17, No.16[7件]
短文8
ぺったらぺったら、サンダルの間抜けな音を響かせる。石坂さんはいつもサンダルを履いており、そのぬぼっとした風貌にサンダルの音はマッチしているように思う。人は人が選んだもので出来ている。ぺったらと鳴らして石坂さんが立ち止まる。
「タコさんウィンナーだ」
「いいでしょう」
「いいな」
「あげませんよ」
「まさか、貰うわけには」
タコさんウィンナーですから、と石坂さんは表情の見えぬ顔で言う。タコウィンナーを箸でつまんでみて、食べようかと思ったが視線を感じて止める。座りなさいよ、と隣を叩いてベンチに誘導する。寒風の吹くぱっとしない天気の日でもベンチは結構埋まっている。じっと部屋にこもっているよりかは幾らかマシだった。
「石坂さんって、まあ、いいか」
「どういうことですか?やめてほしい」
「聞くのは失礼だなと思いました」
「名前を呼んでおいて?」
「石坂さん」
「はい」
「呼んでみました。意味のない呼ぶ行為もあります」
「………………屁理屈だなあ」
「タコさんウィンナーを食う者たるや、理論武装ぐらいしますよ」
「屁理屈でしょう」
「サンダル以外持ってるのかなと思ったんですよ」
「あー。…………失礼ですね」
「そうでしょう」
「まあ持ってても関係ないですから」
「持ってないんだ」
「持ってますけど?」
「あげますよ、タコさんウィンナー」
「いらない……………」
侮辱だ、と石坂さんは怒りだした。それを静める特効薬のようにタコさんウィンナーを石坂さんの口元に持っていく。視線の攻防があった。
「侮辱ですよ」
石坂さんがもごもご言う。
「寒いなあ」
一層冷たい風が吹き抜ける。
「サンダルもいいですよ」
「楽でしょうけど」
あなたには必要でしょうと石坂さんは言う。特効薬は未だ見つかっていない。本当にタコさんウィンナーがそうならいいのに。石坂さんは私の肩をぽんと叩いて立ち上がった。また、ぺったらぺったらサンダルの音を響かせて石坂さんが去っていく。私はと言うと空になった弁当を見つめて、まじんなりとも進まぬ研究のことを考えていた。あれはまだ人類がーー……………、
いややめておこう。
これはあなたには関係のない話であった。
ぺったらぺったら、サンダルの間抜けな音を響かせる。石坂さんはいつもサンダルを履いており、そのぬぼっとした風貌にサンダルの音はマッチしているように思う。人は人が選んだもので出来ている。ぺったらと鳴らして石坂さんが立ち止まる。
「タコさんウィンナーだ」
「いいでしょう」
「いいな」
「あげませんよ」
「まさか、貰うわけには」
タコさんウィンナーですから、と石坂さんは表情の見えぬ顔で言う。タコウィンナーを箸でつまんでみて、食べようかと思ったが視線を感じて止める。座りなさいよ、と隣を叩いてベンチに誘導する。寒風の吹くぱっとしない天気の日でもベンチは結構埋まっている。じっと部屋にこもっているよりかは幾らかマシだった。
「石坂さんって、まあ、いいか」
「どういうことですか?やめてほしい」
「聞くのは失礼だなと思いました」
「名前を呼んでおいて?」
「石坂さん」
「はい」
「呼んでみました。意味のない呼ぶ行為もあります」
「………………屁理屈だなあ」
「タコさんウィンナーを食う者たるや、理論武装ぐらいしますよ」
「屁理屈でしょう」
「サンダル以外持ってるのかなと思ったんですよ」
「あー。…………失礼ですね」
「そうでしょう」
「まあ持ってても関係ないですから」
「持ってないんだ」
「持ってますけど?」
「あげますよ、タコさんウィンナー」
「いらない……………」
侮辱だ、と石坂さんは怒りだした。それを静める特効薬のようにタコさんウィンナーを石坂さんの口元に持っていく。視線の攻防があった。
「侮辱ですよ」
石坂さんがもごもご言う。
「寒いなあ」
一層冷たい風が吹き抜ける。
「サンダルもいいですよ」
「楽でしょうけど」
あなたには必要でしょうと石坂さんは言う。特効薬は未だ見つかっていない。本当にタコさんウィンナーがそうならいいのに。石坂さんは私の肩をぽんと叩いて立ち上がった。また、ぺったらぺったらサンダルの音を響かせて石坂さんが去っていく。私はと言うと空になった弁当を見つめて、まじんなりとも進まぬ研究のことを考えていた。あれはまだ人類がーー……………、
いややめておこう。
これはあなたには関係のない話であった。
短文7
「一生のお願いや」
「それ何度目の台詞や」
「そんなん言うたかてわし死にますやろ」
「死なん」
「死にそうや」
実際死ぬなと狐は考えて、その考えは猫に筒抜けだ。わかっとるやろが、と狐は言う。なんも分かってない、と猫が言う。
「撃たれたんや、お前は」
「それは分かってますわ」
血が流れていく。猫から急速に流れていく。溢れて林檎のような形をしており、林檎みたいな赤さで、林檎のように美しい。
「もうあきませんわ」
「そやろな」
「一生のお願いや」
「それはあかん」
「なんでですの、もう死ぬ言うてますわ」
「面倒やないか」
「わし死にますのやで?!」
「死なんかったらええやろ」
「あかんわ、もう目も見えませんわ」
「さいなら」
「嫌や、死にとうない」
ならず者として生きてきたならやがてはそうなるだろう。最初に足を撃たれた時点で終わりだったのだ。
「悪いことやってきたんや、しゃーない」
「わしやなくてあんたが死ぬべきや」
猫が言った。それで、死んだ。死んでもうたな、と狐は思った。まだ温もりが残っている。一応支えていた手にはべったりと血がついている。洗わなくては。他人の血液ほど汚いものはない。猫は目を瞑っている。狐は離れて歩きだした。林檎が食べたくなっていた。
一生のお願いや。猫はかつて言った。
わしが死ぬときはあんたも死んで。生きるで、と狐は言う。おれは生きる。
死んだらしまいや。
そういや、家に林檎あったな。狐は冷蔵庫に萎びた林檎があることを思い出した。
「一生のお願いや」
「それ何度目の台詞や」
「そんなん言うたかてわし死にますやろ」
「死なん」
「死にそうや」
実際死ぬなと狐は考えて、その考えは猫に筒抜けだ。わかっとるやろが、と狐は言う。なんも分かってない、と猫が言う。
「撃たれたんや、お前は」
「それは分かってますわ」
血が流れていく。猫から急速に流れていく。溢れて林檎のような形をしており、林檎みたいな赤さで、林檎のように美しい。
「もうあきませんわ」
「そやろな」
「一生のお願いや」
「それはあかん」
「なんでですの、もう死ぬ言うてますわ」
「面倒やないか」
「わし死にますのやで?!」
「死なんかったらええやろ」
「あかんわ、もう目も見えませんわ」
「さいなら」
「嫌や、死にとうない」
ならず者として生きてきたならやがてはそうなるだろう。最初に足を撃たれた時点で終わりだったのだ。
「悪いことやってきたんや、しゃーない」
「わしやなくてあんたが死ぬべきや」
猫が言った。それで、死んだ。死んでもうたな、と狐は思った。まだ温もりが残っている。一応支えていた手にはべったりと血がついている。洗わなくては。他人の血液ほど汚いものはない。猫は目を瞑っている。狐は離れて歩きだした。林檎が食べたくなっていた。
一生のお願いや。猫はかつて言った。
わしが死ぬときはあんたも死んで。生きるで、と狐は言う。おれは生きる。
死んだらしまいや。
そういや、家に林檎あったな。狐は冷蔵庫に萎びた林檎があることを思い出した。
短文6
浸かっている。体温と温泉の温度は似ているかもしれないが完全に別物だろう。視線の先の浸かっているその人を、もとより人をじろじろ不遜なことなれど、よりにもって裸の女の人を見るなど逮捕案件だ。同性だからってセーフでもないだろうし。でも見ちゃう。
その人が持って浸かっているのが脳だからだ。脳が入っている透明なバッグがちゃぽんと湯に浸かっている。
視線が合う。
「………あ、」
「………」
「………あの、その、あの、お湯にバッグを浸けるのはどうかなとか……………」
語尾につれて声は小さくなった。
その人は目を細めるようにして、笑った。
「ダメですよね、ダメだと思ってました」
「あ、あ、じゃあ…………」
「やってしまいましたから」
殺ってしまいましたから?いや、違う。そんなわけはない。そうだったら怖い。
「……………」
「どうせ怒られるでしょう?だからこのままで」
どういう意味か尋ねるのが怖かった。
「一種のアトラクションと思ってください、すみません」
どうしたらいいか分からず曖昧な笑みを浮かべた。
「これ、何だと思います?」
「え、あ、……………………脳?」
「そう見えます?」
怖い。
怖すぎる。
自分が全裸なのも怖いし相手が全裸なのも怖いし、ここが温泉なのも怖い。
「えっと…………………?」
「実はこれ、脳で」
「あっはい、はは、はい、そうですよね」
「どうして笑ってるんですか?」
「え、あ、えっと、初めて見たし、脳とか」
「まあ笑うしかないですよね、私も最初はそうでした」
「あっ、で、ですよね」
「恋人で」
「あ、え、亡くなって?」
「元から脳だったんです」
「あ、え?」
「知り合ったときからこの姿で」
「へ、へえ」
「ヴィレヴァンで見つけて」
「あ、え、偽物?」
「偽物って?」
怖い怖い怖い。風邪引きそう。沈黙。脱衣場から笑う声がした。あ、そう、その手がある。私はお湯から上がった。ざぶり。湯気が立ち上る。温泉の温もりがからだの奥にある。その人は何も言わなかった。私は何かを言うのを恐れた。若い女の子が二人つれたって扉を潜る。その隙を逃さぬように、互いに遠慮しあって頭を下げながら私は脱衣場に戻った。扇風機が回転している。からからからから。女の子たちの声がぴたりと止まり、扉が開けられる。さっきの女の子たちだ。互いに目で会話する。目で。
「言ってくる」
「え、なに」
一人の女の子が言う。
「旅館の人に。だって、入れないし温泉」
沈黙。
「私も言います」
私も言い、頷いた。
決意の眼差しを交わし合う。
「…………………」
戸惑う女の子が小さく呟く。
「あれ、何?」
沈黙。誰も何も答えたくなかった。扇風機がからから回る。
「とりあえず、あの、着替えましょう」
一気に弾けるようにして着替えに走る。脱衣場に来られても怖いから。やっぱり、怖いし。浴衣を着て、整えて、行きましょう、と言う。行くしかない。がらり。扉の音に一斉にビクつくも仲居さんが微笑んだ。ごゆっくりと、言いたげで、私は困りながら言う。温泉、湯にバッグを浸けているひとがいて。女の子二人も頷く。仲居さんは、瞬いた。分かりました、確認します。ご迷惑をおかけしました。
「えっと、はい、あの」
それ以上は言えなかった。
「お願いします、温泉楽しみたいし」
女の子が言った。頷き合う。仲良しだな、と思った。仲良しだ。三人揃って風呂場を出た。あ、じゃあ、はい、あの、はい、みたいなかんじで、別れて私はとぼとぼと廊下を歩いた。私がここで人でも殺していたらきれいなオチになったのだろうが、そんなことはなかった。湯に浸かる脳は気持ち良さそうに見えた。
脳って性別あるのかな。ひどく美しかったその人を思い出す。不安定そうに微笑む、その人に恋人の脳がいるのは、そう悪いことでもなさそうだった。怖いだけで。全裸に脳は怖いだけで。服を着ていたらもしかしたらマシだったのかもしれない。トイレとか風呂とかでこういうことはやめてほしいのだ。無防備をつかれるみたいで、かなり嫌だった。
旅館備え付けの水を飲む。変な夢を見そうだなと思ったその夜、夢に出てきたピンクの脳は喋っていた。ヴィレヴァンの福袋はキーホルダーすげー入っているよ、みたいな話をしていて、温泉はあんまり好きじゃないんだと言う、見られるでしょ、裸、嫌だよね、そんなとこ、行くもんじゃないよ、脳だしさ。脳って裸じゃん。
薄暗い天井を見上げて、私はそうか?と思った。透明なバッグがなかったらセーフだったのかも。
それから、その人や脳がどうなったかは、なにも分からないのだった。
浸かっている。体温と温泉の温度は似ているかもしれないが完全に別物だろう。視線の先の浸かっているその人を、もとより人をじろじろ不遜なことなれど、よりにもって裸の女の人を見るなど逮捕案件だ。同性だからってセーフでもないだろうし。でも見ちゃう。
その人が持って浸かっているのが脳だからだ。脳が入っている透明なバッグがちゃぽんと湯に浸かっている。
視線が合う。
「………あ、」
「………」
「………あの、その、あの、お湯にバッグを浸けるのはどうかなとか……………」
語尾につれて声は小さくなった。
その人は目を細めるようにして、笑った。
「ダメですよね、ダメだと思ってました」
「あ、あ、じゃあ…………」
「やってしまいましたから」
殺ってしまいましたから?いや、違う。そんなわけはない。そうだったら怖い。
「……………」
「どうせ怒られるでしょう?だからこのままで」
どういう意味か尋ねるのが怖かった。
「一種のアトラクションと思ってください、すみません」
どうしたらいいか分からず曖昧な笑みを浮かべた。
「これ、何だと思います?」
「え、あ、……………………脳?」
「そう見えます?」
怖い。
怖すぎる。
自分が全裸なのも怖いし相手が全裸なのも怖いし、ここが温泉なのも怖い。
「えっと…………………?」
「実はこれ、脳で」
「あっはい、はは、はい、そうですよね」
「どうして笑ってるんですか?」
「え、あ、えっと、初めて見たし、脳とか」
「まあ笑うしかないですよね、私も最初はそうでした」
「あっ、で、ですよね」
「恋人で」
「あ、え、亡くなって?」
「元から脳だったんです」
「あ、え?」
「知り合ったときからこの姿で」
「へ、へえ」
「ヴィレヴァンで見つけて」
「あ、え、偽物?」
「偽物って?」
怖い怖い怖い。風邪引きそう。沈黙。脱衣場から笑う声がした。あ、そう、その手がある。私はお湯から上がった。ざぶり。湯気が立ち上る。温泉の温もりがからだの奥にある。その人は何も言わなかった。私は何かを言うのを恐れた。若い女の子が二人つれたって扉を潜る。その隙を逃さぬように、互いに遠慮しあって頭を下げながら私は脱衣場に戻った。扇風機が回転している。からからからから。女の子たちの声がぴたりと止まり、扉が開けられる。さっきの女の子たちだ。互いに目で会話する。目で。
「言ってくる」
「え、なに」
一人の女の子が言う。
「旅館の人に。だって、入れないし温泉」
沈黙。
「私も言います」
私も言い、頷いた。
決意の眼差しを交わし合う。
「…………………」
戸惑う女の子が小さく呟く。
「あれ、何?」
沈黙。誰も何も答えたくなかった。扇風機がからから回る。
「とりあえず、あの、着替えましょう」
一気に弾けるようにして着替えに走る。脱衣場に来られても怖いから。やっぱり、怖いし。浴衣を着て、整えて、行きましょう、と言う。行くしかない。がらり。扉の音に一斉にビクつくも仲居さんが微笑んだ。ごゆっくりと、言いたげで、私は困りながら言う。温泉、湯にバッグを浸けているひとがいて。女の子二人も頷く。仲居さんは、瞬いた。分かりました、確認します。ご迷惑をおかけしました。
「えっと、はい、あの」
それ以上は言えなかった。
「お願いします、温泉楽しみたいし」
女の子が言った。頷き合う。仲良しだな、と思った。仲良しだ。三人揃って風呂場を出た。あ、じゃあ、はい、あの、はい、みたいなかんじで、別れて私はとぼとぼと廊下を歩いた。私がここで人でも殺していたらきれいなオチになったのだろうが、そんなことはなかった。湯に浸かる脳は気持ち良さそうに見えた。
脳って性別あるのかな。ひどく美しかったその人を思い出す。不安定そうに微笑む、その人に恋人の脳がいるのは、そう悪いことでもなさそうだった。怖いだけで。全裸に脳は怖いだけで。服を着ていたらもしかしたらマシだったのかもしれない。トイレとか風呂とかでこういうことはやめてほしいのだ。無防備をつかれるみたいで、かなり嫌だった。
旅館備え付けの水を飲む。変な夢を見そうだなと思ったその夜、夢に出てきたピンクの脳は喋っていた。ヴィレヴァンの福袋はキーホルダーすげー入っているよ、みたいな話をしていて、温泉はあんまり好きじゃないんだと言う、見られるでしょ、裸、嫌だよね、そんなとこ、行くもんじゃないよ、脳だしさ。脳って裸じゃん。
薄暗い天井を見上げて、私はそうか?と思った。透明なバッグがなかったらセーフだったのかも。
それから、その人や脳がどうなったかは、なにも分からないのだった。
短文5
自転車のブレーキを握る。オイルが足りていないのか、金切り声を立てて自転車は止まる。眼前に車が走り抜けていく。こちらの蛮行を咎めるごとく鋭い風が顔に当たった。冒険の一歩目として事故に遭おうとして、誰が困るかというと運転手で、それはあんまりよろしくなかった。未知にたどり着くのに、不誠実で乱暴なのはよくはない。現在タイム・トラベルができるとしても、ほんの僅かな過去に戻るだけらしい。宇宙から時間の軸を見据えてこの世の法則が詰まっていると解明に必死な人類は宇宙を過大評価している節があり、宇宙の一部である地球にすら翻弄されているのに、古い付き合いの恋人を捨てて新しい恋に目移りしているように思えることもある。それは感傷だと数学には載るまいが人類の歴史と研鑽を重ねた数学を答えだと見る方が些か感傷じみているとも思う。不定である言葉の定義はグロテスクで、生身の肉体に似ており、異世界に行きたい自分はゆっくりとべダルをこいだ。未知の扉だ冒険だと嘯いて、見かけるものの一切入ったことない地元の古い喫茶店に足を踏み入れて、顔を上げた店主の誰だ?という不審な表情を見てかっと上がる体温と同居することになる。客は客だが客と不審者は大概同じのようなものである。自分は不審者ではないと、客は果たしてどう証明するのか。やっつけの引き笑いでいいですか?と裏返る声に、店主は仕方なしに頷いたように見えた。他の客が来る前に帰ろうと腰かけた椅子は軋んでおり、古ぼけた絵柄の絵画が、昔はやった画家の筆致をしており、いつか見た景色の建物は自分の記憶にないものだ。手作りの布飾りは生き物の形をしており、ミニトイプードルの眼差しはつぶらだ。
「お待たせしました」
コーヒーいれることと飲むことは客をもてなす行動にしかなりえず、そこのプロセスに至る自分は店主から見て客であり、自分から見ると自分の家ではない場所でコーヒーをいれてくれる人は店主である。知らない人だったらどうしよう。実際知らない人だ。テーブルにフレッシュとスティックシュガーが備え付けられており、両方混ぜて飲むとコーヒーだと言う味がした。店主は客こと他人である自分を見るのは止めて、雑誌を開いて読みはじめた。かつて流行った曲をオルゴールでアレンジしたBGMが流れており、どこか夢に見た光景であった。覚えのない景色を確かに覚えており、しかしこの光景はどこかで見たはずである。他と類似性がありすぎる凡庸な風景は自分のリアルであって脳が認識する光景であり、さっき感じた通りすぎる車の風を思い出す。
本当は死んでいたりして。
コーヒーの苦味と砂糖の甘さを感じる。フレッシュの存在はこういう時あまりに薄く、この丸さがそうなのか、それとも視覚的効果なのか、疑ってしまう。数字と言葉が相反するなら音楽は真実に尤も近い振りをする。
「百回目だよ」
軋んだ声がして、扉が開く。発した男は自分を見て、不審者を見つける顔をした。店主の低い声で応じる声がして、カップの中に残っているコーヒーを一気にのみ干して、そそくさと代金を支払う。ふっと店主が微笑んだ。
「また来てよ」
しっかし、本当なのかよ、と店主は続ける。言葉の対象は自分ではなく、自分の前には相棒の自転車がある。百回目だよ。いいや、まだ一回目だ。ペダルを漕ぐ。循環する車は、不規則で、人たちがあまりにも生活しており、煮詰めた果てに異世界は眠っている。おおむね事故とは非日常であり、宇宙に広がるもやの名前は頭から抜け落ちた。
響き渡る子供の絶叫がして、事件性はなく、ただの雄叫びだ。きゃらきゃらと笑う声がして、通りすぎた言葉は外国語で熱心におしゃべりしていた。迎合。ペダルを漕ぐ。自損事故ならまあいいか。それは乱暴な結論で、空きっ腹にコーヒーがたぷたぷと揺れていた。
自転車のブレーキを握る。オイルが足りていないのか、金切り声を立てて自転車は止まる。眼前に車が走り抜けていく。こちらの蛮行を咎めるごとく鋭い風が顔に当たった。冒険の一歩目として事故に遭おうとして、誰が困るかというと運転手で、それはあんまりよろしくなかった。未知にたどり着くのに、不誠実で乱暴なのはよくはない。現在タイム・トラベルができるとしても、ほんの僅かな過去に戻るだけらしい。宇宙から時間の軸を見据えてこの世の法則が詰まっていると解明に必死な人類は宇宙を過大評価している節があり、宇宙の一部である地球にすら翻弄されているのに、古い付き合いの恋人を捨てて新しい恋に目移りしているように思えることもある。それは感傷だと数学には載るまいが人類の歴史と研鑽を重ねた数学を答えだと見る方が些か感傷じみているとも思う。不定である言葉の定義はグロテスクで、生身の肉体に似ており、異世界に行きたい自分はゆっくりとべダルをこいだ。未知の扉だ冒険だと嘯いて、見かけるものの一切入ったことない地元の古い喫茶店に足を踏み入れて、顔を上げた店主の誰だ?という不審な表情を見てかっと上がる体温と同居することになる。客は客だが客と不審者は大概同じのようなものである。自分は不審者ではないと、客は果たしてどう証明するのか。やっつけの引き笑いでいいですか?と裏返る声に、店主は仕方なしに頷いたように見えた。他の客が来る前に帰ろうと腰かけた椅子は軋んでおり、古ぼけた絵柄の絵画が、昔はやった画家の筆致をしており、いつか見た景色の建物は自分の記憶にないものだ。手作りの布飾りは生き物の形をしており、ミニトイプードルの眼差しはつぶらだ。
「お待たせしました」
コーヒーいれることと飲むことは客をもてなす行動にしかなりえず、そこのプロセスに至る自分は店主から見て客であり、自分から見ると自分の家ではない場所でコーヒーをいれてくれる人は店主である。知らない人だったらどうしよう。実際知らない人だ。テーブルにフレッシュとスティックシュガーが備え付けられており、両方混ぜて飲むとコーヒーだと言う味がした。店主は客こと他人である自分を見るのは止めて、雑誌を開いて読みはじめた。かつて流行った曲をオルゴールでアレンジしたBGMが流れており、どこか夢に見た光景であった。覚えのない景色を確かに覚えており、しかしこの光景はどこかで見たはずである。他と類似性がありすぎる凡庸な風景は自分のリアルであって脳が認識する光景であり、さっき感じた通りすぎる車の風を思い出す。
本当は死んでいたりして。
コーヒーの苦味と砂糖の甘さを感じる。フレッシュの存在はこういう時あまりに薄く、この丸さがそうなのか、それとも視覚的効果なのか、疑ってしまう。数字と言葉が相反するなら音楽は真実に尤も近い振りをする。
「百回目だよ」
軋んだ声がして、扉が開く。発した男は自分を見て、不審者を見つける顔をした。店主の低い声で応じる声がして、カップの中に残っているコーヒーを一気にのみ干して、そそくさと代金を支払う。ふっと店主が微笑んだ。
「また来てよ」
しっかし、本当なのかよ、と店主は続ける。言葉の対象は自分ではなく、自分の前には相棒の自転車がある。百回目だよ。いいや、まだ一回目だ。ペダルを漕ぐ。循環する車は、不規則で、人たちがあまりにも生活しており、煮詰めた果てに異世界は眠っている。おおむね事故とは非日常であり、宇宙に広がるもやの名前は頭から抜け落ちた。
響き渡る子供の絶叫がして、事件性はなく、ただの雄叫びだ。きゃらきゃらと笑う声がして、通りすぎた言葉は外国語で熱心におしゃべりしていた。迎合。ペダルを漕ぐ。自損事故ならまあいいか。それは乱暴な結論で、空きっ腹にコーヒーがたぷたぷと揺れていた。
十中八九間違いやろと森永は言ったが岡田は準備を続ける、討伐の予定は立っているがそれを実行するのに当番が当たっていた。清め払え誘導する、先導役のラッパ吹きは森永の役目で、岡田はその補佐に当たる。当人にやる気がないのは残念だが、森永には才能がある。努力を積み重ねている岡田よりもそうだった、だが森永はやりたくないと駄々をこねている。
「自分がやったらええやろ」
「なんでや、お前がやれや」
お前の役目やろ、森永の言葉に眉間に皺が出来る。
「ほら持っとけ、生徒手帳。そんで俺の代わりやれ」
「森永の役目やろ」
「やりたいわけやない!」
思いの外切羽詰まった声だった。
「百鬼夜行はその為のもんやろ」
岡田は冷静だ。冷静に努めている。
「やってどないすんねん、しょーもないわ。時代遅れの遺物や」
「大事にせい。お前の生まれ持った才能に感謝して、な」
「生まれるのが間違いや」
一瞬時が冷えた。岡田は周囲を伺う。誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
「もうええ、もうえええて」
「なにがええねん」
岡田は、息を吐いた。
「化けもん、倒さな、しまいやろ」
「俺ら、ただの人間やで」
森永は岡田も含めた。
「ちゃう、お前だけや」
「なんでそんなこと言うん」
「決まっとるからや」
「なんも決まってへんやんか………」
扉が開いた。
「お前らなにしてん。みんな、待っとんで」
担当の教師だ。
分かってます、今行きます、岡田は答えた。教師は頷く。
「生徒手帳は持ったか?」
「持ってます」
「そんならはよ来いや」
教師は森永を一瞥した。森永は目を合わせない。なにかを諦めた教師が出ていく。
「森永」
「っしゃ、やろか」
岡田は頷いた。森永はお喋りを始めた。どうでもいい話だ。岡田は準備を進める。十中八九間違いやろ。本当は岡田もそう思っていた。