食事なるもの結構ぼんやり調子よかったんですが、親に鍋を誘われて、食卓を三人で囲むのかとおもうとすっかり気が滅入ってしまって、衝動的にコメダでグラコロを食べてしまった。かなりでかいが美味いのでするすると入った。親と断絶してるわけではなく、妙なラインがあり、一緒にめしを食うとなると拒絶反応がでるのはなんだろうな。と思うし、何かあったときに都度、「めし食わせん」「顔見せんな」とかいうてくる母親の態度を振り返ると、めしを食わせることが強権の一種だと思ってるなら、なにもない状態で一緒にめしも食いたくないというかんじ。クリスマスとかも一人ですごそうかなと思ってます。自分でパーティするぜ・・・!の気持ちです。この前のように、なにか気になるから家にいくとかは全然「自分で選らんだ」からいいんですけど、三人でめしは囲みたくないなあという気持ちだし、関わり方は自分で選んでいいんだと思う。ずっしりと落ち込んでしまった自分に対して悪くないよ、と言いたい文章のわけです。気になっていたパスポートの受け取りを済ませて、あめのはちさんの本もゲットしようとしたら売ってなくてめそめそしてしまった。なんかうまくいかない、なんか・・・みたいな躓きを不意に味わっております。蟹座の影響かなとは思いますけども。最近わりといいねされてたんですけど、されないなーってなってちょっと落ち込んだりしてね。そういうことも重なってたんだと思うんですけど、こういうの、自分が人がいるとはしゃいでしまう・・・からなるべくそういう状態を避けたいんですけど、どんどん楽しくなってしまって、二次をやりながら、最終的に「わかってもらってないな」と思ってがっくりきちゃう。それはそうなんですよね。二次創作は人の創作をベースにしてて、「共感」コマンドが必要で、それを越えるには「説得力」と「完成力」とあるいはコミュニティが必要なんだと思います。でも、そういうのでぐちゃぐちゃになっちゃって、「なにがしたいのか?」みたいなところを間違え続けて、「自分の境界線」を失いがちなのが、ほろたというオタク性質じゃないですか。だから、これは修行なんかな、とも思うし、離れてもいいとも思う。同時に、まあ、占いのはなしになっちゃうんですけど、昨晩みたリーディング動画で「二つあったらひとつしか選べないと思ってるんじゃないか」「二つも三つもとるのは欲張りで、そんなこと許されていいとは思ってないんじゃないか」「もっと好きなものがひとつあって、さらに好きなものがあってもいい。自分の人生だから」みたいなこと言われてて、ちょうど「自分がこれもやりたい、あれはやりたい、どうにかしたい」みたいなことは「わがまま」にすぎないんじゃないか。だから中途半端でなにもできないんじゃないか、と思っていたところがって、改めて何がほしいのかな、どうなりたいのかな、ってぼんやり考えてるんですよね。今、ゲームつくってて、改めて、シナリオ読んでくれたり、ゲームして感想くれたり、指摘してくれたり、イラストもかいてくれる知り合いがいる、それも好きなひとたちがいるってことはすごいことだよなと昨日しみじみ感じ入っておりました。自分の作品はかなりの勢いですきなわけで、それを認められないとおもって自分を否定されたわけじゃなくて、たとえばこれも、意見をテーブルの上にのせて、その反応は個人の自由というやつなのかなって。ただSNSというリアクションがすぐ見えるツールでは、「テーブルの上にのせる」ちゅうのがみえない、なくなってしまってみえるだけなんじゃないかなって思うんですよね。テーブルの上に載せたものって、あとはもう自分がどうこうするものじゃないんだろうなって、それを考えます。やっぱ「特別扱い」されたいんだろうなって思うんですよね。あなたは特別って言われたい。だからぐちゃぐちゃになる。これはべつに自己肯定とかそういう話しじゃなくて、浴びたいのかな?なんだろうね。でも「自分のすきなように」している限りは「自分のすきなもの」であって「他人のすきなもの」じゃないし、それでいいと思うんだよな。思う。他者の世界で創作やるのはたしかに自分の性質としてはあんまりやらないほうがいいのかなというのはあるんですけども。今なにしたいのかな?って思うけど、やっぱ「落書きしてシナリオして勉強して副業がんばってはじめて本業もがんばってひとりだちする」ってとこ。全部やりたいよね、やっぱり。やりたいなー。毎日模索はしているとおもう、奮闘している。足りないのは、「これでいいのかな?」と思ってるだけで、「これでいこう」っていう決断というか覚悟なんだと思う。「これでいい」というより「今の自分がこれでいたい」というか。なんだろう。「こんなにうまくいくんかな?」とか、「やってもいいのかな?」ってやっぱあって、「できるわけない」と思ってるところがある。「自分なんかができるわけがない」って。でも、「できる」のかも。できるのかもしれない。今、「やってるから」ね。やれるように、できるように。それが大事なんだろう。「面白い自分になりたいし、できることは全部やりたい」面白いっていうのは、「描いた未来への」なんというか、こう漠然と「本業も副業も趣味も楽しめたらめちゃくちゃたのしいよな」と思ってて、「でもできるわけないじゃん」と思ってるから、「でもできるようになるための一歩踏み出してるよね」って思う。そうなんだよな。えらいよ。なんかまだわーわーなってるし、ぐちゃぐちゃかもしれないけど、ただこれはそうなるための、そうなれるかもの不安で、行動していけばいいんだと思う。うむ。 2024.12.16(Mon) 17:31:22 雑記
結構ぼんやり調子よかったんですが、親に鍋を誘われて、食卓を三人で囲むのかとおもうとすっかり気が滅入ってしまって、衝動的にコメダでグラコロを食べてしまった。かなりでかいが美味いのでするすると入った。
親と断絶してるわけではなく、妙なラインがあり、一緒にめしを食うとなると拒絶反応がでるのはなんだろうな。と思うし、何かあったときに都度、「めし食わせん」「顔見せんな」とかいうてくる母親の態度を振り返ると、めしを食わせることが強権の一種だと思ってるなら、なにもない状態で一緒にめしも食いたくないというかんじ。クリスマスとかも一人ですごそうかなと思ってます。自分でパーティするぜ・・・!の気持ちです。
この前のように、なにか気になるから家にいくとかは全然「自分で選らんだ」からいいんですけど、三人でめしは囲みたくないなあという気持ちだし、関わり方は自分で選んでいいんだと思う。
ずっしりと落ち込んでしまった自分に対して悪くないよ、と言いたい文章のわけです。
気になっていたパスポートの受け取りを済ませて、あめのはちさんの本もゲットしようとしたら売ってなくてめそめそしてしまった。なんかうまくいかない、なんか・・・みたいな躓きを不意に味わっております。蟹座の影響かなとは思いますけども。
最近わりといいねされてたんですけど、されないなーってなってちょっと落ち込んだりしてね。そういうことも重なってたんだと思うんですけど、こういうの、自分が人がいるとはしゃいでしまう・・・からなるべくそういう状態を避けたいんですけど、どんどん楽しくなってしまって、二次をやりながら、最終的に「わかってもらってないな」と思ってがっくりきちゃう。それはそうなんですよね。二次創作は人の創作をベースにしてて、「共感」コマンドが必要で、それを越えるには「説得力」と「完成力」とあるいはコミュニティが必要なんだと思います。でも、そういうのでぐちゃぐちゃになっちゃって、「なにがしたいのか?」みたいなところを間違え続けて、「自分の境界線」を失いがちなのが、ほろたというオタク性質じゃないですか。だから、これは修行なんかな、とも思うし、離れてもいいとも思う。同時に、まあ、占いのはなしになっちゃうんですけど、昨晩みたリーディング動画で「二つあったらひとつしか選べないと思ってるんじゃないか」「二つも三つもとるのは欲張りで、そんなこと許されていいとは思ってないんじゃないか」「もっと好きなものがひとつあって、さらに好きなものがあってもいい。自分の人生だから」みたいなこと言われてて、ちょうど「自分がこれもやりたい、あれはやりたい、どうにかしたい」みたいなことは「わがまま」にすぎないんじゃないか。だから中途半端でなにもできないんじゃないか、と思っていたところがって、改めて何がほしいのかな、どうなりたいのかな、ってぼんやり考えてるんですよね。
今、ゲームつくってて、改めて、シナリオ読んでくれたり、ゲームして感想くれたり、指摘してくれたり、イラストもかいてくれる知り合いがいる、それも好きなひとたちがいるってことはすごいことだよなと昨日しみじみ感じ入っておりました。
自分の作品はかなりの勢いですきなわけで、それを認められないとおもって自分を否定されたわけじゃなくて、たとえばこれも、意見をテーブルの上にのせて、その反応は個人の自由というやつなのかなって。ただSNSというリアクションがすぐ見えるツールでは、「テーブルの上にのせる」ちゅうのがみえない、なくなってしまってみえるだけなんじゃないかなって思うんですよね。
テーブルの上に載せたものって、あとはもう自分がどうこうするものじゃないんだろうなって、それを考えます。
やっぱ「特別扱い」されたいんだろうなって思うんですよね。あなたは特別って言われたい。だからぐちゃぐちゃになる。これはべつに自己肯定とかそういう話しじゃなくて、浴びたいのかな?なんだろうね。でも「自分のすきなように」している限りは「自分のすきなもの」であって「他人のすきなもの」じゃないし、それでいいと思うんだよな。思う。
他者の世界で創作やるのはたしかに自分の性質としてはあんまりやらないほうがいいのかなというのはあるんですけども。
今なにしたいのかな?って思うけど、やっぱ「落書きしてシナリオして勉強して副業がんばってはじめて本業もがんばってひとりだちする」ってとこ。
全部やりたいよね、やっぱり。
やりたいなー。
毎日模索はしているとおもう、奮闘している。足りないのは、「これでいいのかな?」と思ってるだけで、「これでいこう」っていう決断というか覚悟なんだと思う。
「これでいい」というより「今の自分がこれでいたい」というか。なんだろう。
「こんなにうまくいくんかな?」とか、「やってもいいのかな?」ってやっぱあって、「できるわけない」と思ってるところがある。「自分なんかができるわけがない」って。でも、「できる」のかも。できるのかもしれない。今、「やってるから」ね。やれるように、できるように。それが大事なんだろう。
「面白い自分になりたいし、できることは全部やりたい」
面白いっていうのは、「描いた未来への」なんというか、こう漠然と「本業も副業も趣味も楽しめたらめちゃくちゃたのしいよな」と思ってて、「でもできるわけないじゃん」と思ってるから、「でもできるようになるための一歩踏み出してるよね」って思う。
そうなんだよな。えらいよ。
なんかまだわーわーなってるし、ぐちゃぐちゃかもしれないけど、ただこれはそうなるための、そうなれるかもの不安で、行動していけばいいんだと思う。
うむ。