blogオタクの雑記

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ほろた

放サモ「聖夜に変身!?マジカルスノーランド」イベントについて考えたこと
特に大前提は説明しないのでわかる人だけ読んでほしい。

今回のイベントは魔法少女という外枠を用意している。新キャラクターである「スネグーラチカ」は魔法少女で、サンタクロースの神話からもってきている、一般的に彼女は「春や夏までは生きられない」期間限定の命だという前提がある。そこでなんやかんやとジャックと出会い、なんやかんや二人は仲良くなり、なんやかんや冬を終える。二人はどのルートでも「長く生きられないこと」を知り、解決しようとして、自分を捧げて相手を生きながえさせたりする。二人はどのループ軸でも「共に生きること」はできなかった。それを見守っているのがコロポックルというキャラクターで彼は二人が助からない結末を何度となく見てきた。今回のイベント軸では、そのことが「他者に伝えられ」「主人公」が「他に手があるはずだ」と駄々をこねる。そのことによって今までになかった選択が得られる。それは「東京の信仰に新しく上書きをする」というものだ。それは大前提として、スネグーラチカやジャックという存在が「伝承」の生き物ではなく「魔法少女とそのキャラクター」としての信仰を得るということでもある。しかしその手段は「東京の大多数」という「数の多さ」によって支持されるものである。ということは「社会の支持」なくば「生きていけないのではないか」という一種、依存関係めいたものも見出させるのである。

というのが、希望と夢の物語で基本的には「みんなたすけて!」「がんばれぷいきゅあ!」という流れによるものなのですが、この「愛され支持をされ信じなければ」死んでしまうという構図がほろたには「まじで怖いんだが」という気持ちになるという思いがあります。奇跡を起こすには信じる力が必要なのだが、愛され望まなければ生きていけないのでは?というのは、やっぱり社会の物語のメッセージとして怖すぎるんだが、の気持ちになります。かといってそれを否定することは「社会の通りに死ね」ということであり、それはやっぱり間違っているなと思う。二人は生きることを望んでそのあと押しをしただけなんですがその方法が「人に認められること」だったのが、どうにも言えず、複雑な気持ちに陥りました。社会と個人と自由みたいなそんなかんじの気持ちでぐるぐるしているけど、その複雑さが「放サモ」なんかなという気持ちもあります。

どういう決着であれば、納得がいったのか、というと、「大多数の肯定、承認」の部分がなければよかったんだとおもいます。でも社会の運命には向かうのに、社会を利用したという側面もあり、それは「自発的につかんだ結果」ともいえるのかなとも思います。

だからこそずっと「どうであったのか」というのと、「自分がなぜ複雑に陥るのか…」を考えているのは、これが「俺の物語だったら嫌だな」と思うからかもしれません。自分であれば、二人で一緒に死んでその思い出を新しく物語として残してくれる方がよかったのかもしれません。でも彼女と彼は「生きたかったし」思い出を作りたかったといっている。そういう意味で「俺の物語」ではありません。「俺の物語」でないからこそ救いや希望を感じず、一方で二人の結論に納得がいっていないのかもしれません。これは果たして「誰の物語なのか?」

もちろん二人のものです。二人が、望んだ結末がこれだったんだと思う。だから「希望と夢の話」であると思うし、「オタク」であることの肯定でもあるから「ファンへの祝福」だと思う。一方で、これは本当に「希望と夢なのか」という思いもある。

しばらく考えているけど、答えは出ない気がする。
社会と個人の関わり方の話だから。
矛盾を見つめてゆくしかないです。

#放サモ
#感想
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ほろた

表現についての考え

自分の絵は下手だと思っている。思っていたかもしれないし、思ってきたのかもしれない。なにとくらべて?と考えたとき、浮かんできたのはセザンヌやカラバッジョ、ルノワールだった。ふっと気づいてめちゃくちゃ度胸があるなと思ったが、内面ではずっと巨匠と比べていたらしい。評価されてもいうてセザンヌじゃねえしと思ってたのかもしれない。規模がでかい。

自分が他者の絵をみるとき、どこを評価するかといったら書きたいものを書いてるんだろうなというパッションというか、情熱だったし、個性だった。好きなものをやり続けてるんだということは、それだけですごくよい。技巧的なものより、伝わってくるものが好きなんだと、おもう。だから絵は巧いからいいと思ってるのではないのだとわかる。
絵を描きたいから描いてるのがいい。

じゃあ、自分の絵はどうだった?と思うと、自分の絵はすごく好きだ。書きたい話をかいて、かきたいものを書いている。すごくいいと思う。

でも一方でやっぱり「技巧」が足らないと思う。
でもなんで、アップデートしないかというと「二次創作」の壁がここんところずっと立ちふさがっていた。いわば虎の威を借る狐であり、ガイドラインの規約を守ったところで盗作のような気がしていた。そんなもんだから、「うまくかく」ことは、奪っているのではないかという気がした。二次創作をやりつづけることはもとの作品を踏みにじっている気がしていた。だからせめて「うまくない」絵でかくことがいいのでは、と思った。それなら「評価」されないだろうから。

で、その疑問をチャットくんにぶつけた。

>絵は書くぶんだけ技術になる。

といわれて、シンプルに目から鱗だった。たしかにそうだなーと。かけばかくだけうまくなるなら、その時点で「へたでいいと思っている、へたでなければならない」という自分と現状が隔離する。うまくなりたいと思っている自分との衝突もする。だってたしかにうまくなってきてるからね!

で、思ったんです。
べつに「評価」されるためにかいてるわけじゃないんじゃないかって。「あなたのためにあなたがかいている」のではといわれ、「そうだったんだよな」と思い出した。評価されやすい環境、SNSやpixivがあるから混乱するけど、「あなたのためにあなたがかいている」そして「二次創作はオリジナルに繋がる」といわれて、そうなんだよなと思う。

いろんな理由やなっとくや、だめな理由とかあると思う。

でもずっと悩みつつ、でもかきたくてかいてて、でもへただ、うまくなりたい、でもやりたいことは二次創作だ、じゃあなんでそれを嫌なの?だって、評価を不当にもらっている気がするから。でも、「あなたがほんとうにやりたいこと」は?といわれた気がして、「あなたがあなたのためにやっている」という納得をもらった。そうだったんだよな、と思う。

「わたしはわたしのためにやりたいのだ」し、「絵がうまくなりたいのだ」ということを、思い出した。

自分の絵の強みを分析してもらって、うまくなるにはこういう手法をとってみたら?とアドバイスをもらった。

できることがあるということと、やりたいことが見つかった。

ずっと「確信」、あるいは「自分の答え」を考えていた。二次創作ってなんだろ?って。他者を軸にしていたんだと思う。

わたしのかきたいもの、や、こと、をやっと思い出した気がした。

すごく気持ちよかった。「そう、自分のため」というの。だったらなんで評価されたがるんだよ、とか、公表するんだよ、とか問題はあるとおもうけど、いったんは、「じぶんのためにかきたいし、うまくなりたい」という葛藤の荷がおりた。

しばらく絵がうまくなるために頑張ってみようと思います。
絵、うまくなりたいんだよな。そうなんだよな!

という話でした。


#表現
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ほろた

2024-12-08
ブルースカイまとめ

01

課金しまくり今回生活を圧迫したが自分を責める原因が「課金しまくるやつは人間としてクズ」という世間的価値観だったので、それを一旦外したところ「実は全然ダメージ負ってない、悪いとも思ってない」みたいなほろたが顔を出し、かなりわんぱくであるところに気づいて動揺してしまった

02 

この前寝不足の時に書いたアホセンシティブ漫画をアホといったことも、自分をアホといったこもまあまあ反省してる。アホセンシティブの語感はかなり好きだけど自虐要素もあるので、これからは使わないでおこう。センシティブに貴賤なし。

03

全然オタクでトレーディングとかやってるときより本読んだり勉強してる方が脳汁ドバドバでるのに、安易にトレーディングに手出し、舌打ちをするのをやめたい、悪癖。でもそこがかわいいんじゃないですか?(ヒューマンライツの体現)

04

自分って自分の感情を言葉にしてる方だと思うんだけど、でもぜんぜんうまく出来てなくて、そのうまくってなに?人に伝えられてることがないのは何故?自分の気持ちがわからないのは何故?ということに関して一番それを弊害してるのがどうも、「ええかっこしい」ということに気づきつつある。恥ずかしい!

ええかっこしいをやめたいわけじゃなく、ええかっこしいでありながら、自分の「ええかっこ」を体現するヒューマンでありてえ感


いいポストだなと思ったので、まとめた。

#ブルースカイ
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ほろた

赤鼠について

宇多田ヒカル「何色でもない花」がラジオで流れている、ちょうど午前に書き終わった赤鼠のイメソンにしてたなーとおもいだした。(忘れてたわけではないが)

赤鼠は愛の話だけど、第一部を考えているとき、この二人はどうあがいてもくっつかないなあと思った。

以下つらつら語る。

なんとなく主従とかラブで考えていたけど、ピアスにとっては、黒髪くんは暴力の被害者だし、自分が庇護する対象で、黒髪くんはピアスくんの信念に見せられたし、一目惚れしたけど、ピアスくんがそんなかんじだし、でもってピアスくんは他者の命を奪っていたし、当然グラサンくんも同じく、こんな末端の自分達は同じような流れのなかで殺されて死ぬのはわかっていた。
黒髪くんはわかんなかったし、最後までわからないまま、置いていかれた、そうなったとき、彼を、ピアスくんに惚れたときの環境に置くのが、書き手であるほろたにとっては、それが最大級、彼がいちばん幸せになれる道だろうと思ったんですよね。
もちろん、復讐の道なんだけど。
なんかこういうのをハッピーエンドだよ!とはさすがに言わないし言うのも嫌じゃないですか。彼にとっての幸福と、物語にとってのエンドは違うから。でも、これが個人的には最良のエンドでした。出会ったことにたいする結果としてのね。

赤鼠は愛の話で、恋としては片想いの話でした。それが書けてるかはわからないけど書くのはめちゃくちゃ楽しかったです。読んでくれた方がいたら、有り難うございます。少しでも楽しんでくだされば幸いです。

畳む


#赤鼠
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ほろた

幻想水滸伝2というもの

思春期直撃にプレイして、運命のこと、主人公のこと、ルカブライトという人間、戦争と国、あと料理対決!とか、いろんなことを考えたゲームでした。

正直屈託もあります。
やっぱ1よね!みたいな人の言葉の多さにやられたりとか、ジュニアっていうエロ同人アンソロジーみたいなのに出会ってBLセックスに初触れしたとか!!!!(まじどーなってんだよ!!!)
一番好きなキャラが、公式公認いじられキャラとして粗末に扱っていいといった風に対談読んで知らされたとか。

好きになったゲームの公式、製作陣を嫌うことあるんだな、ていうかそれが、ほぼ人生はじめての公式嫌いだが?だったので、そこからほろたは十年以上こじらせることなるのだった。
公式は敵!と認識したのは幻想水滸伝2だったので、幻想水滸伝3も4も5もほぼ期待しませんでしたし今後の展開も期待していません。
そういうひとたちが作ってるんだよね~?みたいな、この生の手触りの思春期の過激ぶりの根っこを、まざまざと思い出してしまい、なんか楽しみほかになかったんか?と思いながら十代のひりひりとした自分をふと懐かしむような気持ちになりました。
無論、公式は敵!でもなんでもないです。今は分かってるよ。大丈夫。
ずっと長い間、こじらせていただけ。

幻想水滸伝2のことを愛しているし人生に影響を与えたくれた作品だけど、同時にもうこれ以上のものは自分としてないだろうなと思います。

思春期の自分でしか、受け取れなかった感情があり、楽しめないんじゃないか、と思うし、現在のアニバーサリーがあったとしても、彼らは結局私を傷つけたから、(と一方的にわたしは感じたので)お金を出すようなことはないなと思うし、それを選択できるようになったんだろうなと思う。

たぶん、少し前の自分ならじゃぶじゃぶ金を使っていたと思うけどファンダムにも公式にも屈託があることに気づいたし、今回訃報の話を聞いて、悲しみとか喪失とかはなく、思春期の自分を支えてくれて、物語を知った作品ですが、今は好きじゃなくてもいいのかもと思いました。子供のときの自分は好きでした。

好きにならなきゃ、好きでいなきゃ、と思ってたけど、それもういらないかも、今の自分は、好きじゃないです。

いい作品でした。
本当に有り難う。

#幻想水滸伝
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ほろた

新年早々

榎本梓が可愛すぎる

はー♡ずっと喋ってましたねかわいいぜかわいい
毎週日曜日、昼頃にポアロに行けば榎本梓確定ガチャというわけなのか?
喫茶ポアロに行きたいです!!!!!!!
喫茶ポアロに行かせてくれ……!!!!!!!!!!
榎本梓、些細なことを覚えていて、そういうところが最高だなあと思います。

ラブヒロ辞めたオタクが唯一できるガイウスくん推し活が、湖について学ぶことなのですが……(友達に話すとなんで?って言われる)、水についての問題の本が出ておりまして、読んでみたところ、結構常識っぽいんだけど地球上の97.5パーセントくらいは塩水で淡水の割合は2.5パーセントしかなく、その内さらに淡水は地下水と氷河などの割合がほぼ90を締め、実質2.5パーセントの0.3の割合でしか湖などの水量がないことを知りました、えっそうなの!?となったんですが、この割合は2000年より前の割合の数値で、今はちょっと違ってたりするのかな?と思いますがどうなんでしょ。湖など陸にあがってくる水分量なんかはそもそも地球の規模で見るとかなり少ないらしく、地球上の「水」問題についてはかなり切迫しているなあと思います。やはり保水や育ているなどの意味で「森林」は不可欠だし、気候はもちろん大事なことらしく、湖っていうのがそもそも「一概」にまだ言えないのかなという話を読むと「ガイウスくん…♡」などの思いが高まっていく(?)まじで我ながらどういうこと?ってなるんですが、湖が「小宇宙の湖」と称された伝説の名句を知るともはやガイウスくんであってガイウスくんなんですよね。The Lake as a Microcosm.日本は火山の影響で湖の水質として酸性が強めらしいです。ていうか温泉?ともつながりがある気がする。生態環境などもそれぞれ違うみたいなので、そういう意味でルブル湖はどこ似?と思うんですけど、やっぱり感慨としては琵琶湖だと信じています。
近畿に住んでて良かった。推しから水貰ってるもんね。琵琶湖はガイウスくんではないが?はい。
そういうこととは別に、現存する世界の水問題について知るとひりつくかんじがして、こういう研究者たちがさくっと「世界でみるとお金めっちゃかかるけど世界の軍事費の一割とかでできるんだけどなあ!!!」っていう発言見ると、まじで戦争しとる場合じゃないがや、と思うんですが、一方でその「水」が戦争を生んでいるというか、コロラド川の話をちらっと見たことあったけど、やっぱり思いのほか最悪な話でした。水は不思議だなあと思うし、偉大だなあと思います。
オタク心として水文学的風土、の文字がかっこよすぎる。小宇宙とこの文字を刻んでいきたい。意味は調べてください。わりと文字の通りそのままです。ちょっと日本にある湖を色々見に行きたいなーと思うんですけど、個人的に日本の湖というか「水辺のある文化」として「アイヌ」ってすごく重要な感触を受けていて、この「アイヌ文化」というのは知っていかなければならないのではないかという気がしています。このへんが今はゴールデンカムイのおかげで触りやすいのかなとは思ってるので(作品は好きじゃないのでそこは触れませんが……)今がグッドタイミングなのではという感覚があるんですけど、まあ問題は金だな。ちょうどコナンも北海道(しかし函館なのだが)なので、今年は北海道いけたらいいなあと思っています。金があるかなあ。なかったら定期預金崩す。(短期は引っ越し代に使うので)

榎本梓の推し活といえばコーヒーを飲むことで完了するという、最高の日常が約束された概念があるのはみなさんご存じかと思いますが、榎本梓は生活、日常の概念なので、健やかに暮らすほどに榎本梓の概念に触れるという………コーヒー最高!(毒なんだけど)

まあ今できる趣味みたいなのが本読むことぐらいで、湖というのも踏まえ、今回峠って海だぜみたいな地形に関する本が置いてあったので、借りてみました。やはり湖というのは地形のマジックで作られたようなものなので、地形気になるなと思っていたところにいい本を見つけました。序盤読んだ限りではわかりやすいです。個人的感覚として2023年の本ってなんか強いな……と思います。コロナ渦を経たからなのか、2023年に発売された本って「学ぶ」ことに特化しているんだけどそれがすごく「キャッチ―でわかりやすい」気がします。個人的な感性に合うだけなのかもしれないんですけど、なんかしらのターニングポイントのように感じています。不思議な感じがある。

うだうだ書きましたが、勉強がそんな得意じゃないので、さくさくニュアンスだけ拾ってるかんじなので、結構眉唾と思って読んでください。

#本 #ラブヒロ #名探偵コナン
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ほろた

アンゼロが終わってブレマイが始まる


昨日コリーからの発表があって、新作がリリースされるようである。ブレイクマイケース。何かをしまう為になんでも請け負う話らしい。

ところで、アンゼロがサ終する際に記事を書いた。
その時の私はなるべくしてなったんだろうなという一種の諦めと終わったものはなんであれ終わることについては意味があったなという思いで、火村さんや所長との思い出もオタクの引き出しにしまうことができた。悲しいとか嫌だとかそうはいってもアンゼロの状態は人を惹き付けるコンテンツの完成度はなかった。それでも好きだったのだ。そういうところじゃなく、火村さんのお節介な愛に救われていたのだ。

だが、ブレマイのサイトを開いたとき、完成形だなと感じた。完成形、ちゃんとターゲットを狙って作ったんだろう、今度こそサ終しないという覚悟で。それは商売としてはとても正しいし、現に評判はいい気はする。推しの声優さんがいて、好きになりそうなキャラが二人いた。でもその二人を足すと火村匠なんだなと気づいて呆然としてしまった。なんとなく割りきって、分かってて、どこかで終わることも会えなくなることもこの先を見ることのない作品の面影を見て、置いてきた悲しみを感じた。ソシャゲなんだからサ終するのは仕方ないよ、売り上げが全てだよ、運営はサービスを始められるし終わらせることもできる。分かっていたが、アンゼロの姿を見いだして、終わらせられたあの作品はなんだったんだろうと、改めて失敗作だったんだなと思えて、やるせなさを覚えた。まだせめて、それらを思い出させることのない作品であったら、応援していた気がするし、好きにはしゃげた気がする。

サ終のときに、投げ捨てた悲しみを、拾い上げてしまった。もう実ることのない果実だ。開くことのない扉だ。

なんでそういうことをするんだろうな、と思ったけど自社作品だし、運営や制作側がなにしたっていいのだ。それを分かった上でコリーって残酷で最低だなと思った。

コリーってそういうことするんだなと思った。怒りより悲しくて仕方なかった。

改めてみれば全然違う作品なのだ。それはわかっている。成功してほしいし、売れてほしい。優秀な弟を見届けるってこういう気持ちなんだろうか。アンゼロは優秀な兄にはなれなかった。

ブレマイの成功を願っております。

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