アンゼロが終わってブレマイが始まる
昨日コリーからの発表があって、新作がリリースされるようである。ブレイクマイケース。何かをしまう為になんでも請け負う話らしい。
ところで、アンゼロがサ終する際に記事を書いた。
その時の私はなるべくしてなったんだろうなという一種の諦めと終わったものはなんであれ終わることについては意味があったなという思いで、火村さんや所長との思い出もオタクの引き出しにしまうことができた。悲しいとか嫌だとかそうはいってもアンゼロの状態は人を惹き付けるコンテンツの完成度はなかった。それでも好きだったのだ。そういうところじゃなく、火村さんのお節介な愛に救われていたのだ。
だが、ブレマイのサイトを開いたとき、完成形だなと感じた。完成形、ちゃんとターゲットを狙って作ったんだろう、今度こそサ終しないという覚悟で。それは商売としてはとても正しいし、現に評判はいい気はする。推しの声優さんがいて、好きになりそうなキャラが二人いた。でもその二人を足すと火村匠なんだなと気づいて呆然としてしまった。なんとなく割りきって、分かってて、どこかで終わることも会えなくなることもこの先を見ることのない作品の面影を見て、置いてきた悲しみを感じた。ソシャゲなんだからサ終するのは仕方ないよ、売り上げが全てだよ、運営はサービスを始められるし終わらせることもできる。分かっていたが、アンゼロの姿を見いだして、終わらせられたあの作品はなんだったんだろうと、改めて失敗作だったんだなと思えて、やるせなさを覚えた。まだせめて、それらを思い出させることのない作品であったら、応援していた気がするし、好きにはしゃげた気がする。
サ終のときに、投げ捨てた悲しみを、拾い上げてしまった。もう実ることのない果実だ。開くことのない扉だ。
なんでそういうことをするんだろうな、と思ったけど自社作品だし、運営や制作側がなにしたっていいのだ。それを分かった上でコリーって残酷で最低だなと思った。
コリーってそういうことするんだなと思った。怒りより悲しくて仕方なかった。
改めてみれば全然違う作品なのだ。それはわかっている。成功してほしいし、売れてほしい。優秀な弟を見届けるってこういう気持ちなんだろうか。アンゼロは優秀な兄にはなれなかった。
ブレマイの成功を願っております。
昨日コリーからの発表があって、新作がリリースされるようである。ブレイクマイケース。何かをしまう為になんでも請け負う話らしい。
ところで、アンゼロがサ終する際に記事を書いた。
その時の私はなるべくしてなったんだろうなという一種の諦めと終わったものはなんであれ終わることについては意味があったなという思いで、火村さんや所長との思い出もオタクの引き出しにしまうことができた。悲しいとか嫌だとかそうはいってもアンゼロの状態は人を惹き付けるコンテンツの完成度はなかった。それでも好きだったのだ。そういうところじゃなく、火村さんのお節介な愛に救われていたのだ。
だが、ブレマイのサイトを開いたとき、完成形だなと感じた。完成形、ちゃんとターゲットを狙って作ったんだろう、今度こそサ終しないという覚悟で。それは商売としてはとても正しいし、現に評判はいい気はする。推しの声優さんがいて、好きになりそうなキャラが二人いた。でもその二人を足すと火村匠なんだなと気づいて呆然としてしまった。なんとなく割りきって、分かってて、どこかで終わることも会えなくなることもこの先を見ることのない作品の面影を見て、置いてきた悲しみを感じた。ソシャゲなんだからサ終するのは仕方ないよ、売り上げが全てだよ、運営はサービスを始められるし終わらせることもできる。分かっていたが、アンゼロの姿を見いだして、終わらせられたあの作品はなんだったんだろうと、改めて失敗作だったんだなと思えて、やるせなさを覚えた。まだせめて、それらを思い出させることのない作品であったら、応援していた気がするし、好きにはしゃげた気がする。
サ終のときに、投げ捨てた悲しみを、拾い上げてしまった。もう実ることのない果実だ。開くことのない扉だ。
なんでそういうことをするんだろうな、と思ったけど自社作品だし、運営や制作側がなにしたっていいのだ。それを分かった上でコリーって残酷で最低だなと思った。
コリーってそういうことするんだなと思った。怒りより悲しくて仕方なかった。
改めてみれば全然違う作品なのだ。それはわかっている。成功してほしいし、売れてほしい。優秀な弟を見届けるってこういう気持ちなんだろうか。アンゼロは優秀な兄にはなれなかった。
ブレマイの成功を願っております。