表現についての考え自分の絵は下手だと思っている。思っていたかもしれないし、思ってきたのかもしれない。なにとくらべて?と考えたとき、浮かんできたのはセザンヌやカラバッジョ、ルノワールだった。ふっと気づいてめちゃくちゃ度胸があるなと思ったが、内面ではずっと巨匠と比べていたらしい。評価されてもいうてセザンヌじゃねえしと思ってたのかもしれない。規模がでかい。自分が他者の絵をみるとき、どこを評価するかといったら書きたいものを書いてるんだろうなというパッションというか、情熱だったし、個性だった。好きなものをやり続けてるんだということは、それだけですごくよい。技巧的なものより、伝わってくるものが好きなんだと、おもう。だから絵は巧いからいいと思ってるのではないのだとわかる。絵を描きたいから描いてるのがいい。じゃあ、自分の絵はどうだった?と思うと、自分の絵はすごく好きだ。書きたい話をかいて、かきたいものを書いている。すごくいいと思う。でも一方でやっぱり「技巧」が足らないと思う。でもなんで、アップデートしないかというと「二次創作」の壁がここんところずっと立ちふさがっていた。いわば虎の威を借る狐であり、ガイドラインの規約を守ったところで盗作のような気がしていた。そんなもんだから、「うまくかく」ことは、奪っているのではないかという気がした。二次創作をやりつづけることはもとの作品を踏みにじっている気がしていた。だからせめて「うまくない」絵でかくことがいいのでは、と思った。それなら「評価」されないだろうから。で、その疑問をチャットくんにぶつけた。>絵は書くぶんだけ技術になる。といわれて、シンプルに目から鱗だった。たしかにそうだなーと。かけばかくだけうまくなるなら、その時点で「へたでいいと思っている、へたでなければならない」という自分と現状が隔離する。うまくなりたいと思っている自分との衝突もする。だってたしかにうまくなってきてるからね!で、思ったんです。べつに「評価」されるためにかいてるわけじゃないんじゃないかって。「あなたのためにあなたがかいている」のではといわれ、「そうだったんだよな」と思い出した。評価されやすい環境、SNSやpixivがあるから混乱するけど、「あなたのためにあなたがかいている」そして「二次創作はオリジナルに繋がる」といわれて、そうなんだよなと思う。いろんな理由やなっとくや、だめな理由とかあると思う。でもずっと悩みつつ、でもかきたくてかいてて、でもへただ、うまくなりたい、でもやりたいことは二次創作だ、じゃあなんでそれを嫌なの?だって、評価を不当にもらっている気がするから。でも、「あなたがほんとうにやりたいこと」は?といわれた気がして、「あなたがあなたのためにやっている」という納得をもらった。そうだったんだよな、と思う。「わたしはわたしのためにやりたいのだ」し、「絵がうまくなりたいのだ」ということを、思い出した。自分の絵の強みを分析してもらって、うまくなるにはこういう手法をとってみたら?とアドバイスをもらった。できることがあるということと、やりたいことが見つかった。ずっと「確信」、あるいは「自分の答え」を考えていた。二次創作ってなんだろ?って。他者を軸にしていたんだと思う。わたしのかきたいもの、や、こと、をやっと思い出した気がした。すごく気持ちよかった。「そう、自分のため」というの。だったらなんで評価されたがるんだよ、とか、公表するんだよ、とか問題はあるとおもうけど、いったんは、「じぶんのためにかきたいし、うまくなりたい」という葛藤の荷がおりた。しばらく絵がうまくなるために頑張ってみようと思います。絵、うまくなりたいんだよな。そうなんだよな!という話でした。#表現 2024.12.20(Fri) 13:40:22 語り,創作
自分の絵は下手だと思っている。思っていたかもしれないし、思ってきたのかもしれない。なにとくらべて?と考えたとき、浮かんできたのはセザンヌやカラバッジョ、ルノワールだった。ふっと気づいてめちゃくちゃ度胸があるなと思ったが、内面ではずっと巨匠と比べていたらしい。評価されてもいうてセザンヌじゃねえしと思ってたのかもしれない。規模がでかい。
自分が他者の絵をみるとき、どこを評価するかといったら書きたいものを書いてるんだろうなというパッションというか、情熱だったし、個性だった。好きなものをやり続けてるんだということは、それだけですごくよい。技巧的なものより、伝わってくるものが好きなんだと、おもう。だから絵は巧いからいいと思ってるのではないのだとわかる。
絵を描きたいから描いてるのがいい。
じゃあ、自分の絵はどうだった?と思うと、自分の絵はすごく好きだ。書きたい話をかいて、かきたいものを書いている。すごくいいと思う。
でも一方でやっぱり「技巧」が足らないと思う。
でもなんで、アップデートしないかというと「二次創作」の壁がここんところずっと立ちふさがっていた。いわば虎の威を借る狐であり、ガイドラインの規約を守ったところで盗作のような気がしていた。そんなもんだから、「うまくかく」ことは、奪っているのではないかという気がした。二次創作をやりつづけることはもとの作品を踏みにじっている気がしていた。だからせめて「うまくない」絵でかくことがいいのでは、と思った。それなら「評価」されないだろうから。
で、その疑問をチャットくんにぶつけた。
>絵は書くぶんだけ技術になる。
といわれて、シンプルに目から鱗だった。たしかにそうだなーと。かけばかくだけうまくなるなら、その時点で「へたでいいと思っている、へたでなければならない」という自分と現状が隔離する。うまくなりたいと思っている自分との衝突もする。だってたしかにうまくなってきてるからね!
で、思ったんです。
べつに「評価」されるためにかいてるわけじゃないんじゃないかって。「あなたのためにあなたがかいている」のではといわれ、「そうだったんだよな」と思い出した。評価されやすい環境、SNSやpixivがあるから混乱するけど、「あなたのためにあなたがかいている」そして「二次創作はオリジナルに繋がる」といわれて、そうなんだよなと思う。
いろんな理由やなっとくや、だめな理由とかあると思う。
でもずっと悩みつつ、でもかきたくてかいてて、でもへただ、うまくなりたい、でもやりたいことは二次創作だ、じゃあなんでそれを嫌なの?だって、評価を不当にもらっている気がするから。でも、「あなたがほんとうにやりたいこと」は?といわれた気がして、「あなたがあなたのためにやっている」という納得をもらった。そうだったんだよな、と思う。
「わたしはわたしのためにやりたいのだ」し、「絵がうまくなりたいのだ」ということを、思い出した。
自分の絵の強みを分析してもらって、うまくなるにはこういう手法をとってみたら?とアドバイスをもらった。
できることがあるということと、やりたいことが見つかった。
ずっと「確信」、あるいは「自分の答え」を考えていた。二次創作ってなんだろ?って。他者を軸にしていたんだと思う。
わたしのかきたいもの、や、こと、をやっと思い出した気がした。
すごく気持ちよかった。「そう、自分のため」というの。だったらなんで評価されたがるんだよ、とか、公表するんだよ、とか問題はあるとおもうけど、いったんは、「じぶんのためにかきたいし、うまくなりたい」という葛藤の荷がおりた。
しばらく絵がうまくなるために頑張ってみようと思います。
絵、うまくなりたいんだよな。そうなんだよな!
という話でした。
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