9月15日斉藤和義の曲を聞くと、感覚がフラットになるというか、なんか変に難しいことをかんがえなくて済むというか、物事はシンプルでいい……みたいな気持ちになります。最近特にややこしい曲が多い(?)から……ゲームを二作連続で作っていて、一旦「キャラ的なものから離れたい」ムーブというか…とはいえ、重要課題は「ドール」…なんですけど……悩みがち。というか新しい趣味として、今度はちゃんと手芸をやりたい、編み物とか…みたいな気持ちをかかえています。アナログでできるなにかを探しているかんじ。賃貸だとまあ色映りが怖いけど、アナログで絵を描きたいなあとか思ってますね。お金について考えてたけど、この昨日の絵日記みたいに、思うんですけど、「お金を使うことに気持ちよさを覚えなくていいんだよな」みたいなかんじ。なんか「意味」が必要な気がしていたけど、お金って「欲しいもの」との交換価値があるものでしかない……というか。つつるちゃんがストレスを感じたときに本来何かする必要はない、みたいな話をしていて、わたしはストレスにも「なにかやる価値」があると思っていたけど、というかストレスのせいでめちゃくちゃに…みたいなところはあったけど、ストレスは一因であったとしても、すべての諸悪の根源はストレスではなく、何かしたときの責任というか、なんというか、全部担うわけではなく、だからストレスを全部解消する、あるいはストレスをトリガーに何か行動する必要はない……というか。それはそこにあるだけ…(禅?)だから同じようにお金もとい浪費で苦しめられていたけど、社会の経済活動はすごく賢く(あるいは悪どい)人たちが考えた心理や仕組みが動いていて、それにハマるちゅーのは、なんかわたしが全部俺が悪いわけじゃないというか、なんというかこう、わたしが未熟で愚かなせいではないというか……仕組みによって動かされていたという、他責といえばそうなんですけど…笑だからある種、術中にハマっておったんだという気がして、「心理的に仕方ないこと」だから「浪費してもいい」んじゃなくて、「心理的に仕方ないこと」だから「浪費をした自分を責める必要はない」んじゃないかなーという気持ちになった。この「自分を責める必要はない」の部分はいろんな加味するところ、例えば親しい人から金をむしりとったとか、違法に金を得たとかいう前提はありにしろ、なんというか、浪費人間たちの肝するところではあるよなというか。なんというか「後ろめたい気持ちよさ」を得なくていい、というか。「やっちまった」を味わう必要がない。いやお金を使う他の人たちの気持ちはわかんないんですけど笑、わたしはたぶんどっかに「背徳」「やってはいけないことをやってしまう楽しさ」を「可能性」にかける喜び……というかな。まあでもぐちゃぐちゃしてるんですけど笑。こう、シンプルに「お金はお金でしかない」んだな……という、確信というか。ちょっと「お金を使うことに意味を重ね過ぎていた」かんじを、自覚したなあと思いました。資本主義マジックなんだよな……ということなんでちょっと、購買心理とか勉強しようと思ってます。八時間久しぶりに完ぺきに寝たし、ついでなんで、図書館いってきます太郎。 2025.9.15(Mon) 08:43:21
斉藤和義の曲を聞くと、感覚がフラットになるというか、なんか変に難しいことをかんがえなくて済むというか、物事はシンプルでいい……みたいな気持ちになります。最近特にややこしい曲が多い(?)から……
ゲームを二作連続で作っていて、一旦「キャラ的なものから離れたい」ムーブというか…とはいえ、重要課題は「ドール」…なんですけど……悩みがち。というか新しい趣味として、今度はちゃんと手芸をやりたい、編み物とか…みたいな気持ちをかかえています。アナログでできるなにかを探しているかんじ。賃貸だとまあ色映りが怖いけど、アナログで絵を描きたいなあとか思ってますね。
お金について考えてたけど、この昨日の絵日記みたいに、思うんですけど、「お金を使うことに気持ちよさを覚えなくていいんだよな」みたいなかんじ。なんか「意味」が必要な気がしていたけど、お金って「欲しいもの」との交換価値があるものでしかない……というか。つつるちゃんがストレスを感じたときに本来何かする必要はない、みたいな話をしていて、わたしはストレスにも「なにかやる価値」があると思っていたけど、というかストレスのせいでめちゃくちゃに…みたいなところはあったけど、ストレスは一因であったとしても、すべての諸悪の根源はストレスではなく、何かしたときの責任というか、なんというか、全部担うわけではなく、だからストレスを全部解消する、あるいはストレスをトリガーに何か行動する必要はない……というか。それはそこにあるだけ…(禅?)
だから同じようにお金もとい浪費で苦しめられていたけど、社会の経済活動はすごく賢く(あるいは悪どい)人たちが考えた心理や仕組みが動いていて、それにハマるちゅーのは、なんかわたしが全部俺が悪いわけじゃないというか、なんというかこう、わたしが未熟で愚かなせいではないというか……仕組みによって動かされていたという、他責といえばそうなんですけど…笑
だからある種、術中にハマっておったんだという気がして、「心理的に仕方ないこと」だから「浪費してもいい」んじゃなくて、「心理的に仕方ないこと」だから「浪費をした自分を責める必要はない」んじゃないかなーという気持ちになった。この「自分を責める必要はない」の部分はいろんな加味するところ、例えば親しい人から金をむしりとったとか、違法に金を得たとかいう前提はありにしろ、なんというか、浪費人間たちの肝するところではあるよなというか。なんというか「後ろめたい気持ちよさ」を得なくていい、というか。「やっちまった」を味わう必要がない。いやお金を使う他の人たちの気持ちはわかんないんですけど笑、わたしはたぶんどっかに「背徳」「やってはいけないことをやってしまう楽しさ」を「可能性」にかける喜び……というかな。まあでもぐちゃぐちゃしてるんですけど笑。
こう、シンプルに「お金はお金でしかない」んだな……という、確信というか。
ちょっと「お金を使うことに意味を重ね過ぎていた」かんじを、自覚したなあと思いました。
資本主義マジックなんだよな……ということなんでちょっと、購買心理とか勉強しようと思ってます。
八時間久しぶりに完ぺきに寝たし、ついでなんで、図書館いってきます太郎。