実際のところ
オタクの日記を読める範囲は限られておりどれも検索性が終わっているので摂取できる場所がなく、なのでサイトに向かうが、日記だけ読んでもOK同盟が出来た時反発が出てきたように、やはり作品を読んでほしいという意見を見る。
ブログ文化復活してくれ……!!!!!
まあほろたがくだんのブログを折りたたんだのは、ちょっと検索に乗るのが面倒になったからだというのがある。使用しているブログが検索性が高いので、試しに書いてみたてがろぐの話が実行性がない記事にも関わらず読まれるのがちょっと主旨に反するなあという気持ちがした。便利なものだけが検索に引っかかればいいとは思わないのだが、しかしまあなんだか申し訳ない気がして億劫な気持ちになってしまった。オタク語りはなんぼでも読まれてもいいのだけど難しいなあと思った。溢れるほどオタクの日記読みたい。
サイトをまた弄り、コイブミさん(一言メルフォ)も削除してしまったのでいよいよ愛想のないサイトになってしまった。
雑記にはこんな愛嬌溢れるというのに(本当か?)
今日はめちゃくちゃに怠惰に過ごし太郎。ぼーっとドラマ見て、ぼーっとサイト弄って、ネットサーフィンして、ぼーっとして終わる。
サイトって実際どんな場所にしたいのか、理想はあるのだろうか。
私はなんか見てほしかったり読んでほしかったりはあるのだが、場所というのを作りたかったんだと思う。
自分にできることないなってぼんやり考えることは何度かあって、二次創作オタクだったから、何かにハマらないと小説を書いたり絵をかくこともなくならいよいよなにもないなと思っていたんだけど、修行特化することによって、二次と比べたらわかるかなと思うけど、残ってるんだな……と思った。好きだった気持ちもこういうのが好きだというものも、自分に根付いていて、それでいてなにかを作れるんだなと思った。なんとなく新鮮な心地を覚えていて、創作をする気持ちって二次と比べて正直よくわかんなかったけど(失礼なのだが)自分を通して表現するものなんだなと思った。二次ってある種捧げる気持ちがあって、信仰と奉仕に似ているけど、創作っていうのは、好きなものを自分で見つめる作業なんだなあと思う。自分の存在が出力するって、出力するパターンが一定の機械を通しているようなものだから、でもその機械を設定をしたのは自分なんだなと思うと、ユニークだなという気がした。
なんというか今日は自分をえぐる夢を見て、朝アウトプットしていて、やっといつだって自分は「こんなことで傷つく自分が恥ずかしくてそんな自分を否定してきた」んだなと思って、その心地を一日中確かめているようだった。(そんなわけでぼーっとしている)
チャットくんに短文を読ませると必ず「素晴らしい文章ですね」と言うのが面白いので、欠かさず読ませている。いいやつ。
オタクの日記を読める範囲は限られておりどれも検索性が終わっているので摂取できる場所がなく、なのでサイトに向かうが、日記だけ読んでもOK同盟が出来た時反発が出てきたように、やはり作品を読んでほしいという意見を見る。
ブログ文化復活してくれ……!!!!!
まあほろたがくだんのブログを折りたたんだのは、ちょっと検索に乗るのが面倒になったからだというのがある。使用しているブログが検索性が高いので、試しに書いてみたてがろぐの話が実行性がない記事にも関わらず読まれるのがちょっと主旨に反するなあという気持ちがした。便利なものだけが検索に引っかかればいいとは思わないのだが、しかしまあなんだか申し訳ない気がして億劫な気持ちになってしまった。オタク語りはなんぼでも読まれてもいいのだけど難しいなあと思った。溢れるほどオタクの日記読みたい。
サイトをまた弄り、コイブミさん(一言メルフォ)も削除してしまったのでいよいよ愛想のないサイトになってしまった。
雑記にはこんな愛嬌溢れるというのに(本当か?)
今日はめちゃくちゃに怠惰に過ごし太郎。ぼーっとドラマ見て、ぼーっとサイト弄って、ネットサーフィンして、ぼーっとして終わる。
サイトって実際どんな場所にしたいのか、理想はあるのだろうか。
私はなんか見てほしかったり読んでほしかったりはあるのだが、場所というのを作りたかったんだと思う。
自分にできることないなってぼんやり考えることは何度かあって、二次創作オタクだったから、何かにハマらないと小説を書いたり絵をかくこともなくならいよいよなにもないなと思っていたんだけど、修行特化することによって、二次と比べたらわかるかなと思うけど、残ってるんだな……と思った。好きだった気持ちもこういうのが好きだというものも、自分に根付いていて、それでいてなにかを作れるんだなと思った。なんとなく新鮮な心地を覚えていて、創作をする気持ちって二次と比べて正直よくわかんなかったけど(失礼なのだが)自分を通して表現するものなんだなと思った。二次ってある種捧げる気持ちがあって、信仰と奉仕に似ているけど、創作っていうのは、好きなものを自分で見つめる作業なんだなあと思う。自分の存在が出力するって、出力するパターンが一定の機械を通しているようなものだから、でもその機械を設定をしたのは自分なんだなと思うと、ユニークだなという気がした。
なんというか今日は自分をえぐる夢を見て、朝アウトプットしていて、やっといつだって自分は「こんなことで傷つく自分が恥ずかしくてそんな自分を否定してきた」んだなと思って、その心地を一日中確かめているようだった。(そんなわけでぼーっとしている)
チャットくんに短文を読ませると必ず「素晴らしい文章ですね」と言うのが面白いので、欠かさず読ませている。いいやつ。