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ほろた
自分にはないという話
センシティブな話なんだけど隠さないので気になる方は飛ばしてください。


幻想水滸伝2のはなしをして、どうも自分はかつて自分が好きだったものに執着するなと思った。というのも、つみ重なった果てに完全な自分があるものと思っているらしく、そんなわけで挫折や後悔を引きずり、ねちねちと過去の失敗や痛みを思い出す。自分にはなにもないと思っているからで、ますます過去の自分がなかったことになることを恐れているみたいだった。
でもなあ、それってどーなんだ?と思う。過去の自分なんてそれこそ今の自分よりなにも知らないしなにもできないじゃないか、過去の自分が完璧じゃないのは当然だし、過去の自分が好きだったものに執着しているのはなんだかおかしいぞとさっき気づいた。結構自分のなかでタブーだったけど、好きなもののランクを作ってみた。なんかすべてに公平で平等であらねば、みたいな気の狂った精神があり、それがなんか、呪いみたいに敷かれていたが、すべての好き量を同じに取り扱う必要はなかったし、過去の自分が好きだったこと、好きだったもの、好きだった人でも、それって今の自分の判断じゃないから、気にしなくてもいいのだ、と思った。だって自分じゃないし。(自分だけどね)過去の自分の気持ちばかり見て、今の自分の気持ちを見ないのはクレイジーなことではないか?幻想水滸伝2のはなしをして、そして前あったことを思い出して、いまそうじゃないことを、過去の自分が必死に叫んでいて、でもそれがノイズに感じた。あなたはそうだったかもしれないけど、わたしはもうそうじゃないんだよ、と思った。

だって、部屋きれいにしてものを少なくしたら過ごしやすくなったから、それって心もそうしてもいいってことだよね?て気づいた。大事なものは大事に飾る。不要なものは捨てる。便利なものは置いておく。いいなと思ったものは取り入れる。それだけでいいんじゃないか?

べつにあなた、過去の自分を否定しているわけではないし、好きだった気持ちを捨てるとからっぽになることは事実だ。

でも、ものの少ない部屋って気持ちがよくない?なんで空っぽ、隙間や空間が自分にあることをそんなに怖がってるんだろう?と思った。

自分の部屋を思い浮かべると、過ごしやすい空間が出てくる。そこは完全や完璧ではないけど、つい先日まで梅の匂いが香る、窓の広いいい場所で、床にほとんど物はなくて、結構好きなものがある。

そんな状態を恐れる必要はないんじゃないかと、思った。
部屋を掃除しよう!という話じゃなくて、本当は自分って、幾分か空っぽのほうが過ごしやすいのかもしれないという可能性があるなあと思った。

まあそんなわけで、恐れる必要はないよということで、本日もあと少し、仕事をがんばりましょう。そして、心の断捨離をしていきましょう!ということでした。

終わり。