2024-03-17
だらだらしてたらあっという間に出かける時間になっちゃうなあ。ストレッチやって着替えたら出かけます。
なんか……カード引きたいなあと思って引いたら強いカードが出て、しばらく眺めてしまった。
「答えがでる」というか「結果」、「朗報」とか、とにかく結果/答えが出るけど全部ポジティブなカードなんですが、一方でペンタクルのキングの絵柄が抵抗というか抜け出すみたいなやつなので、物質の支配からの脱却みたいなかんじなのかなあという気もします。昨日から頭でぐるぐるしているものがあって「今の自分」は思ってないけど「過去の自分」がリピートしてるかんじがあって、なんでかなあと思ったけど、「二の足を踏む」ことにならないような自分からの心配だったみたいなんでもう大丈夫よと答えたら落ち着いたかんじがありました。
結構新鮮な驚きとして「過去」ってつねに私にとっては「その時感じた感情」だったけど、人類みなそうではなく、感情が思い起こされるのって普通というか当然なことではないんだなと知る機会があって、多分別の人にとっては単純に「出来事」であったりするのか!というのがカルチャーショックで、じゃあこれって「感情」に必ずしも困る必要はなく、「自分がそのタイプだから固定化しているだけで他の方法もある」というだけなのかという視点を得ることで、ちょっとかなり楽になったというか、「ああ、今は過去の感情を思い出しているんだね」という客観性を得られるようになったんですよね。
「これって過去なんだな」と思えるというか。時間を得られたというか。「時間が癒してくれる」というのと近いようなかんじもありますが、「今」じゃないから「今の自分」が苦しむことは/苛まれる必要はないんだな、っていう切り分けが出来るのって、ずっと欲しかったものだよなあと思いました。
感情ノートを作ることによって「それじゃ今の自分の気持ち教えてくれる?」みたいなかんじで、自分と対話できるのってすごくいいなあと思います。
同じようにぐちゃぐちゃになりがちな人類におススメ。
過去の自分も悪気があるわけじゃないから(ほんと)、別に今の自分を苛んでやろうというんじゃなくて、過去のワー!てもしかしたら「自分を大事にする気持ち」が空回ってるのかもしれないなあというのがここ最近の気づきというか、でもそもそも「自分を大事にする方法」ってわかんないから、七転八倒してるだけで、一緒に頑張っていくしかないねと思っています。
ほろたが一人暮らし…するぜ!と決意していたのは「自分の選択権を取り戻す」みたいなロジックがあって、「自分」じゃないところにいるような気がしてたんですけど、朝の風呂掃除とかで変わってくるというか、「自分を選択を握る」みたいなところって、実際一人暮らししなくても得られるのかなあというのが今の感覚で、結局甘えているところはあるんですが、一人暮らしの決意そのものはそういったところに起因していたので、なんか決着点を探りつつあるというか、「自分の暮らしって自分で決めていいんだ」みたいなかんじ。このあたりの大きなポイントはまじで「ソシャゲをやめた」「SNSをやめた」ところから発する「暮らしの余裕」みたいなところもあって、「今……!?」ってかんじだけど、大部分の人間にとっては簡単なことでも、やっと今できてるんだなあということを痛感しつつあります。
あと、姪の子守りをすることによる疑似体験もでかいかも。人間ってすげーみたいなかんじ。
生き物の無限性………まあ一方で親は老いてるし、祖父母の介護もあったので、そこの有限性もわかるんですけど。
とりあえずストレッチやります。
だらだらしてたらあっという間に出かける時間になっちゃうなあ。ストレッチやって着替えたら出かけます。
なんか……カード引きたいなあと思って引いたら強いカードが出て、しばらく眺めてしまった。
「答えがでる」というか「結果」、「朗報」とか、とにかく結果/答えが出るけど全部ポジティブなカードなんですが、一方でペンタクルのキングの絵柄が抵抗というか抜け出すみたいなやつなので、物質の支配からの脱却みたいなかんじなのかなあという気もします。昨日から頭でぐるぐるしているものがあって「今の自分」は思ってないけど「過去の自分」がリピートしてるかんじがあって、なんでかなあと思ったけど、「二の足を踏む」ことにならないような自分からの心配だったみたいなんでもう大丈夫よと答えたら落ち着いたかんじがありました。
結構新鮮な驚きとして「過去」ってつねに私にとっては「その時感じた感情」だったけど、人類みなそうではなく、感情が思い起こされるのって普通というか当然なことではないんだなと知る機会があって、多分別の人にとっては単純に「出来事」であったりするのか!というのがカルチャーショックで、じゃあこれって「感情」に必ずしも困る必要はなく、「自分がそのタイプだから固定化しているだけで他の方法もある」というだけなのかという視点を得ることで、ちょっとかなり楽になったというか、「ああ、今は過去の感情を思い出しているんだね」という客観性を得られるようになったんですよね。
「これって過去なんだな」と思えるというか。時間を得られたというか。「時間が癒してくれる」というのと近いようなかんじもありますが、「今」じゃないから「今の自分」が苦しむことは/苛まれる必要はないんだな、っていう切り分けが出来るのって、ずっと欲しかったものだよなあと思いました。
感情ノートを作ることによって「それじゃ今の自分の気持ち教えてくれる?」みたいなかんじで、自分と対話できるのってすごくいいなあと思います。
同じようにぐちゃぐちゃになりがちな人類におススメ。
過去の自分も悪気があるわけじゃないから(ほんと)、別に今の自分を苛んでやろうというんじゃなくて、過去のワー!てもしかしたら「自分を大事にする気持ち」が空回ってるのかもしれないなあというのがここ最近の気づきというか、でもそもそも「自分を大事にする方法」ってわかんないから、七転八倒してるだけで、一緒に頑張っていくしかないねと思っています。
ほろたが一人暮らし…するぜ!と決意していたのは「自分の選択権を取り戻す」みたいなロジックがあって、「自分」じゃないところにいるような気がしてたんですけど、朝の風呂掃除とかで変わってくるというか、「自分を選択を握る」みたいなところって、実際一人暮らししなくても得られるのかなあというのが今の感覚で、結局甘えているところはあるんですが、一人暮らしの決意そのものはそういったところに起因していたので、なんか決着点を探りつつあるというか、「自分の暮らしって自分で決めていいんだ」みたいなかんじ。このあたりの大きなポイントはまじで「ソシャゲをやめた」「SNSをやめた」ところから発する「暮らしの余裕」みたいなところもあって、「今……!?」ってかんじだけど、大部分の人間にとっては簡単なことでも、やっと今できてるんだなあということを痛感しつつあります。
あと、姪の子守りをすることによる疑似体験もでかいかも。人間ってすげーみたいなかんじ。
生き物の無限性………まあ一方で親は老いてるし、祖父母の介護もあったので、そこの有限性もわかるんですけど。
とりあえずストレッチやります。