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ほろた
2023-08-09


Bluetoothのキーボードで打ってみている。睡眠導入剤をはじめて飲み八時間ほどぐっすり眠った。ゆったりとした気分になったものの、なんか落ち着かず、改めてノートと向き合った。自分のこれまでの人生でいやだったことを振り返った。そうしたら、これからいい選択ができるのではないかと思った。

まずわたしは人見知りで臆病だから、学校が嫌いだった。最初から馴染めなかったし、学級崩壊していたし、なにもおもしろいことはなかった。高校卒業するまでずっと退屈で人間は嫌いだったし、なんの学びもなかったし、ストレスで家族関係は最悪だった。十代、一番きつかった頃だ。部屋も二人部屋で落ち着けなかったし、友達はほとんどいなかったし、信頼できるおとなもいないし、やりたいこともなかった。生きてる意味が見いだせなかったし、よく死にたかった。

今の自分に至るまで、二転三転している。二世代住宅で祖父母とくらしていたから、祖父母が死んだとき、はじめて解放感を覚えた。親しみよりも重荷だった。それを親戚は味わっていない。全部こちらに任せた。彼らを頼ることもないし、彼らを好きになることもないだろう。祖父母が亡くなったのは数年前だ。一緒にくらしはじめてからずっと苦痛だったのと気づいた。今は年を重ねてきたから、まあああいうことか?と思うものの、やはり祖父母は好きになれないと思う。一人二人と、家から人がいなくなり、一人の空間を得て、やっと落ち着けるようになってきた。過干渉の母親も、主体性のない父親も、一緒にくらしたり、仕事しなければならないこともあり、相変わらず、いやだなと思う面もあれば、もういいかと流すこともできる。時々嫌になっては浪費しているものの、コロナ禍が落ち着いて、外に出られるようになったので、いくぶんマシになった。学校は苦痛だったし、どこにもいけない十代は苦痛だった。あまり人が好きではなかったが、ぼっちになることが恐怖だった。見栄っ張りなのだろう。それれで人好きになるように振るまい、いろんな趣味やらなんやらしてきたが、オタクとはあまり馴染まなかったし、今思うと大体みんな嫌いだった。嫌いだったのに、好かれようとしていたし、一緒にすごせてした。嫌いだったし、一緒にいて楽しいわけじゃなかった。無理をしていたから、ストレスが溜まり、最終的に爆発した。好きでもないから、人として扱えなかったのだ。自業自得であった。

結局拒絶された苦しみより、自分はこんなに我慢してよくしてやったのに!という怒りと恥のほうがでかかったと思う。向こうにも悪かったが、今は結構よい出来事だったなと思うようになった。

一人でほぼ行動するようになって、かなり楽だし、楽しいことがたくさんある。今付き合いがあるひとたちは、一緒にいて楽しいし、好きだ。

自分で望んだにもかかわらず、嫌いな人たちと付き合ってきたってまじで草である。なにやってきたんだろと思う、でも気づけなかったのだ。ずっとね。

これ嫌だったんだなってたくさん振り返った。わたしもいろんな人に迷惑をかけ苦労をかけてきたのだろうあるいは傷つけてきたのだ、でもそれって正直知ったこっちゃないな、と思った。

自分にとって最良は今じゃないかなと思う。そうやってやっていくのだ。
少しずつ距離をおけるし、断れるようになってきた。

思ったんですよ、楽しいことって全然覚えてないなって。だから、ずっと今まで楽しくなかったんだろうなと思うし、あるいは楽しいことって今しか覚えられないなら、今、楽しいことやっていくしかないなって。

頑張っていきましょい。