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ほろた
物語の緩やかさ

最近のブログが示しているように「ほろたお前、オタクしてるな」ってかんじなんですけど、プロフェッショナルの青山剛昌回がガツーン……ときたというか、染みて。好きな作家の葛藤とかファンサービス精神とか、あまりにも自分が物語に対して適当すぎるな……という気持ちとか、反省み……とかあったり、するんですけど、一方で軽やかな消費にも憧れ、こういうの、なんだろうな。

よく「現実がつらいから物語を見てる」みたいなこと、言われるというか「自分に」じゃなくて、「そうだからさ」って言われて、「えっ現実と物語は別なのに…?」ってちょっとよくわかんなくて。ほろたは癒着精神があるから、「オタク活動によって人との癒着」が楽しかったな、というか寂しかったんだな……があって、「物語」というよりその付随のところで楽しんでたし苦しんでたから、現実が辛いから物語はハッピーでいたい、みたいなところはないんですよね。

でも昨日、読んだ本、「10代からのメンタルケアみんなと違う自分を大切にする方法」で、あーそうか、ずっと小学生メンタル引きずってるんだな?ってわかって、うちの親も「普通に」とか「みんな仲良く」とか「友達たくさんいるほうがえらい」みたいなかんじの精神の持ち主でいまだに圧……をかけられるんですけど、親がヒトと喋ってるの見て、子供とコミュ不全なのに、対外的にしゃべれるのかこの人、みたいな疑問があったんですけど、やっぱ出来ないんだなーというのを、理解し、この人の理想ってこれなんだな……っていうのが、分かって、そして「それは無理だわ」っていうのが呑み込めて、ちょっと呪いが落ちたというか。

私は理屈納得型、というか、「ある言葉があって」「体感し」「考えて」「あ、これかあ」と思った時に得るんですけど、「あー」みたいなのを、得、得、しつつある。

ちょっと課金癖、つつるちゃんにサポートしてもらうようになったけど、あ、あーみたいなかんじで、なんか今、形になろうとしているものがあって、それが全体的余波みたいなかんじで、結構ぼんやりしている、みたいな感じ。

物語にバカクソいうのはいいけど、本人攻撃はよくないね(この歳で得ること!?)いやまあ、ごっちゃになりやすいので反省しました。

なんか、ぼんや~とした全体的な、年末ごろからの流れが、キッカケによって方向転換してるかんじがあって、またなんか積み上げたものを崩して、積みなおしてるな~っていうのが、あって、ファジーでちょっとやってます。

ときめもGSと幻想水滸伝って十代のくそでか影響で、それが一周してきたかんじがあって、この歳で向き合うんか、こういうのと……みたいな、回顧と目新しさがあるというか、その感情をがんがん感じるのが、いいのかな~と思っている、良さも悪さも。

物語という、器の中で、今は遊んでおきましょう。