学びが多かった
ニアBL嫌いというか怒るのって、例えば今週の朝ドラの表現がかなり嫌だったけど、一応脚本家が同性愛者とちゃんと確定したらしく、そこはよかった。
そもそもニアBLにもむしろストレートな同性愛者表現でもあるけど、こういうの「そういうんじゃなくて恋愛より特別な感情」みたいに尊いとかエモで蓋をされると「同性愛」をむしろ否定してるってことに気づかないんか?アンチ同性愛なのか?自覚があって否定しているんだろうし気分悪いな、と思ってかなりムカついてたけど、実質、自覚していないし、むしろこういう解釈を「賞賛」と思っているのかも?と気づいて、目から鱗。主義の違いによってのナチュラルな否定に、勝手にムカついてたけど、実際のところそれ以前の話だったみたいで、「えぇえ……?」って困惑したけどなんか納得できた。
妙な無邪気さがあるよなと思ってたけど、マジで無邪気なんだと分かった。
ツイッターしてたときに絡まれたけど、「自分が何を読んだことより「公式がこう」っていう正解をお出しして、それに沿うような解釈をしていることに満足しているし、勝ち誇っているのか」という人、普通におる。
でもそのひとのなかで「正解」は絶対で、それ以外の解釈は悪らしい。まあそれはそれでいいけど、今思うとほろたがこの人の正解に揺らぎを与えていて不快だったんだろうなあと思う。数年前にも同じようなことがあった。まあその人たちにとっては自分たちが被害者なんだろうけど。こういう人たちって「原作」を愛し「キチンと読めて」その上「作家(公式)の人柄すら把握している自分の解釈は正しい」と思っているので、何か公式や作家などの「代弁」をよくしている印象。お疲れ様。
物語の正解を追い求めるの、個人的にはよくわかんないけど、出されるとみんな安心するらしい。
まあ、女性向けゲームって「公式として自分たちが何をしているか自覚がない」のかもしれないなあとも思う。あるいは女性向けゲームとユーザーの「思いこみ」の相性がよすぎるのかもしれない。
「公式がこう言った!」って個人的にそれが読み方・受け取り方になんも反映されないんだけど、「まあだからこういう作りにはなってるんだろうな」という納得は出来る。「見せ方」と「構造」がわかることと、それによって「自分が作品からなにを感じたか」については、イコールにはならない。
でもそう考えると「公式がこれを確定・明言しないってことはこれは「ない」ってこと」ってなってる人たちについても理解できる。ちょくちょく「いや言うてるけど…」とは思うんだけど、なんか「ルール設定」がある。暗黙の了解というか。そこらへんは謎です。
そういう「何を思うか」は自由なんだけど、だから「二次創作でなにやってもいい」はやっぱアカンなあと最近は思う。ちゃうなって思うならニアオリジナルキャラで自分で書くべきだよなーって思う。まあこのちゃうな……は人それぞれと思うから押し付けはない。自分でアウトのラインを設定中なんでしばらく模索します。作品によるんだとは思う。
あとほんとーに今日はいろいろ考えた。
引っ越しの準備してください。
ニアBL嫌いというか怒るのって、例えば今週の朝ドラの表現がかなり嫌だったけど、一応脚本家が同性愛者とちゃんと確定したらしく、そこはよかった。
そもそもニアBLにもむしろストレートな同性愛者表現でもあるけど、こういうの「そういうんじゃなくて恋愛より特別な感情」みたいに尊いとかエモで蓋をされると「同性愛」をむしろ否定してるってことに気づかないんか?アンチ同性愛なのか?自覚があって否定しているんだろうし気分悪いな、と思ってかなりムカついてたけど、実質、自覚していないし、むしろこういう解釈を「賞賛」と思っているのかも?と気づいて、目から鱗。主義の違いによってのナチュラルな否定に、勝手にムカついてたけど、実際のところそれ以前の話だったみたいで、「えぇえ……?」って困惑したけどなんか納得できた。
妙な無邪気さがあるよなと思ってたけど、マジで無邪気なんだと分かった。
ツイッターしてたときに絡まれたけど、「自分が何を読んだことより「公式がこう」っていう正解をお出しして、それに沿うような解釈をしていることに満足しているし、勝ち誇っているのか」という人、普通におる。
でもそのひとのなかで「正解」は絶対で、それ以外の解釈は悪らしい。まあそれはそれでいいけど、今思うとほろたがこの人の正解に揺らぎを与えていて不快だったんだろうなあと思う。数年前にも同じようなことがあった。まあその人たちにとっては自分たちが被害者なんだろうけど。こういう人たちって「原作」を愛し「キチンと読めて」その上「作家(公式)の人柄すら把握している自分の解釈は正しい」と思っているので、何か公式や作家などの「代弁」をよくしている印象。お疲れ様。
物語の正解を追い求めるの、個人的にはよくわかんないけど、出されるとみんな安心するらしい。
まあ、女性向けゲームって「公式として自分たちが何をしているか自覚がない」のかもしれないなあとも思う。あるいは女性向けゲームとユーザーの「思いこみ」の相性がよすぎるのかもしれない。
「公式がこう言った!」って個人的にそれが読み方・受け取り方になんも反映されないんだけど、「まあだからこういう作りにはなってるんだろうな」という納得は出来る。「見せ方」と「構造」がわかることと、それによって「自分が作品からなにを感じたか」については、イコールにはならない。
でもそう考えると「公式がこれを確定・明言しないってことはこれは「ない」ってこと」ってなってる人たちについても理解できる。ちょくちょく「いや言うてるけど…」とは思うんだけど、なんか「ルール設定」がある。暗黙の了解というか。そこらへんは謎です。
そういう「何を思うか」は自由なんだけど、だから「二次創作でなにやってもいい」はやっぱアカンなあと最近は思う。ちゃうなって思うならニアオリジナルキャラで自分で書くべきだよなーって思う。まあこのちゃうな……は人それぞれと思うから押し付けはない。自分でアウトのラインを設定中なんでしばらく模索します。作品によるんだとは思う。
あとほんとーに今日はいろいろ考えた。
引っ越しの準備してください。