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オタクの雑記
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ほろた
2024/01/8 18:34
2023-03-01
Twitterに呟かないともりっとブログを書くらしく、最近のブログは情報ソースとしての勢いが強めて収益化を狙ってのことだと思うけどただの雑談ブログが見えなくなってしまうので結構悲しい。
不意にカジュアルに話をするとわたしは総合失調症で、三ヶ月に一回筋肉注射、いわゆるおしりに注射をしている。発症当時はお決まりの集団ストーカーされている妄想からはじまり、幻聴ががんがんと響いていた。結局失踪して、なんだかんだと家にはたどり着いたあと緊急入院となり、三ヶ月ほど軟禁みたいな暮らしをして、解放された。一度薬をやめて再発したが、気合いでなんとか現状の安定した状態になる。薬のお陰で安定してるが、結局見えない病気のため、家族には薬をやめたらなどと言われている。障害らしい障害はなく、一時期は障害手帳のはなしもされていたらしいが、こんなかんじで適当に生きている。自分がまともかの判断はできないが、すぐメンタルがだめになる自覚はあるし、多感な時期になったため、自分の土台が一度破滅的に壊れた自覚がある。それを構築するのにまだまだかかりそうで、いい年して自分探しのようなことを繰り返しているというわけだ。
幻聴というのは自分を嘲笑ったりバカにしたものが多く、道行く人は自分を嫌いなのだという恐怖と揺らぎがあって、人に嫌われるのがひどく怖かった。自分で自分にしかけたいじめ状態を脱するのは、結構大変で、それでよくトラブルになった。自分を安売りして、他人に奉仕することで、自分の価値を求め、消費していった。それでストレスをため、暴れだしてしまう。最悪な悪循環だ。それもまあぼちぼちと抜けつつある。突破口があったわけでも、画期的な答えがあったわけでもない。年を取ったから、というつまり時間が解決した面もある。一度ひどく打ちのめされたからというのもある。自分ってなんだろう?とよく考えたものだ。他人を物語に当てはめてロジックをみつけようとしたこともある。キャラクターのように、生きてる人間の気持ちを想像した。でも、やっぱり、生きてる人間ってそんなに物語的ではないし、深く考えていない人が多いのだ。オタクだとこれは結構躓く話だと思う。他者をロジックやストーリーとして見ない。思ったことは言わないと表明しないとなかったことになるし、望んでいても大抵は得られない。
他者があれほど怖かったが、今は外に出掛けてバスで待ってる人に話しかけたりする。年の頃を考えても、おばちゃんになるのだろうから、警戒されないのかもしれない。ほんのちょっと話すと気楽になる。相手がわかるからだ。昨日は前方を歩いてるひとがいて、避けようと歩道の縁石に乗ったら、相手も同じようにして、二人で笑った。そういう積み重ねでしか、安心は得られないのかもしれないとも思う。
インターネットでは、よく嘲笑されがちな病気だ。幻聴もそうだ。それに傷つかないわけではないし、かといって振り回されてるひとも大変だろう。治療は大事だし、病院には通うべきで、なおかつ周りの協力が必要だ。わたしは家族がいたから、なんとかなったのだ。
今でも、幻聴が聞こえたら嫌だから沈黙や静かな場所が怖い。人の声が聞こえると悪口をいってるかもしれないとはっと身構える。人とすれ違うのも怖い。インターネットはその点見えないから安心だ。それでも、病気が理由で侮辱的な言葉が飛び交っている。ぼんやりと眺める。それは面白いことではないのに、この人たちはなぜそれを面白いと思うのだろうと。
内科の医者に持病があると統合失調症と伝えたら誰にでも言わなくていいよと言われた。基本的にはいい医者なのだが、その点だけ、この病気は隠すべき恥部なのかと疑問に思った。
せん妄状態に戻りたくはない。万能感はあった。たしかに無敵だった。わたしを冷静にしたのは、幻聴を正直に話したら医者がわたしを隔離したことだ。なるほど、と思った。これは正直に話すと、ずっと入院させられるんだなと気付いた。私は医者に愛想を振りまき、いい患者ですよと装った。一ヶ月後、退院できた。わたしはその時はまだ幻聴が聞こえていた。自分は病気じゃない、まともなんだと、一年後薬をやめた。再発した。悪化した。なるほどと思った。これは一生付き合っていく病気で、薬をやめたらだめなのだと。そして、再び混乱状態になっても、結局自分が自分でないといけないのだと。ひたすら惨めで落ち込んだ、人生に救いはないのだと、泣いた。自分の価値は未だに認めてない。
でもまあ、生きててもいいかとは思う。だってまあ、死なない限りは生きてるんだしね。
患者を繋ぐツールも話せるところも探してみたがよくわからなかった。わたしはたぶん、軽度だったのかもしれない。それもまだ、実際よくわからないのだ。
統合失調症の患者の数は少なくなく、いきなり発症することもあるにも関わらず、あまりオープンに話せる場所もない。わたしにあまりわかることはないが、こういう人もいるのだとインターネットの片隅に書き留めておいた。
今は幻聴は遠い。
でもたまにふらっと揺らいでるなという感覚はくる。いつか自分をなくすかもしれないが、とりあえずはこのまま生活してみるつもりだ。
頑張ろうぜ。
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Twitterに呟かないともりっとブログを書くらしく、最近のブログは情報ソースとしての勢いが強めて収益化を狙ってのことだと思うけどただの雑談ブログが見えなくなってしまうので結構悲しい。
不意にカジュアルに話をするとわたしは総合失調症で、三ヶ月に一回筋肉注射、いわゆるおしりに注射をしている。発症当時はお決まりの集団ストーカーされている妄想からはじまり、幻聴ががんがんと響いていた。結局失踪して、なんだかんだと家にはたどり着いたあと緊急入院となり、三ヶ月ほど軟禁みたいな暮らしをして、解放された。一度薬をやめて再発したが、気合いでなんとか現状の安定した状態になる。薬のお陰で安定してるが、結局見えない病気のため、家族には薬をやめたらなどと言われている。障害らしい障害はなく、一時期は障害手帳のはなしもされていたらしいが、こんなかんじで適当に生きている。自分がまともかの判断はできないが、すぐメンタルがだめになる自覚はあるし、多感な時期になったため、自分の土台が一度破滅的に壊れた自覚がある。それを構築するのにまだまだかかりそうで、いい年して自分探しのようなことを繰り返しているというわけだ。
幻聴というのは自分を嘲笑ったりバカにしたものが多く、道行く人は自分を嫌いなのだという恐怖と揺らぎがあって、人に嫌われるのがひどく怖かった。自分で自分にしかけたいじめ状態を脱するのは、結構大変で、それでよくトラブルになった。自分を安売りして、他人に奉仕することで、自分の価値を求め、消費していった。それでストレスをため、暴れだしてしまう。最悪な悪循環だ。それもまあぼちぼちと抜けつつある。突破口があったわけでも、画期的な答えがあったわけでもない。年を取ったから、というつまり時間が解決した面もある。一度ひどく打ちのめされたからというのもある。自分ってなんだろう?とよく考えたものだ。他人を物語に当てはめてロジックをみつけようとしたこともある。キャラクターのように、生きてる人間の気持ちを想像した。でも、やっぱり、生きてる人間ってそんなに物語的ではないし、深く考えていない人が多いのだ。オタクだとこれは結構躓く話だと思う。他者をロジックやストーリーとして見ない。思ったことは言わないと表明しないとなかったことになるし、望んでいても大抵は得られない。
他者があれほど怖かったが、今は外に出掛けてバスで待ってる人に話しかけたりする。年の頃を考えても、おばちゃんになるのだろうから、警戒されないのかもしれない。ほんのちょっと話すと気楽になる。相手がわかるからだ。昨日は前方を歩いてるひとがいて、避けようと歩道の縁石に乗ったら、相手も同じようにして、二人で笑った。そういう積み重ねでしか、安心は得られないのかもしれないとも思う。
インターネットでは、よく嘲笑されがちな病気だ。幻聴もそうだ。それに傷つかないわけではないし、かといって振り回されてるひとも大変だろう。治療は大事だし、病院には通うべきで、なおかつ周りの協力が必要だ。わたしは家族がいたから、なんとかなったのだ。
今でも、幻聴が聞こえたら嫌だから沈黙や静かな場所が怖い。人の声が聞こえると悪口をいってるかもしれないとはっと身構える。人とすれ違うのも怖い。インターネットはその点見えないから安心だ。それでも、病気が理由で侮辱的な言葉が飛び交っている。ぼんやりと眺める。それは面白いことではないのに、この人たちはなぜそれを面白いと思うのだろうと。
内科の医者に持病があると統合失調症と伝えたら誰にでも言わなくていいよと言われた。基本的にはいい医者なのだが、その点だけ、この病気は隠すべき恥部なのかと疑問に思った。
せん妄状態に戻りたくはない。万能感はあった。たしかに無敵だった。わたしを冷静にしたのは、幻聴を正直に話したら医者がわたしを隔離したことだ。なるほど、と思った。これは正直に話すと、ずっと入院させられるんだなと気付いた。私は医者に愛想を振りまき、いい患者ですよと装った。一ヶ月後、退院できた。わたしはその時はまだ幻聴が聞こえていた。自分は病気じゃない、まともなんだと、一年後薬をやめた。再発した。悪化した。なるほどと思った。これは一生付き合っていく病気で、薬をやめたらだめなのだと。そして、再び混乱状態になっても、結局自分が自分でないといけないのだと。ひたすら惨めで落ち込んだ、人生に救いはないのだと、泣いた。自分の価値は未だに認めてない。
でもまあ、生きててもいいかとは思う。だってまあ、死なない限りは生きてるんだしね。
患者を繋ぐツールも話せるところも探してみたがよくわからなかった。わたしはたぶん、軽度だったのかもしれない。それもまだ、実際よくわからないのだ。
統合失調症の患者の数は少なくなく、いきなり発症することもあるにも関わらず、あまりオープンに話せる場所もない。わたしにあまりわかることはないが、こういう人もいるのだとインターネットの片隅に書き留めておいた。
今は幻聴は遠い。
でもたまにふらっと揺らいでるなという感覚はくる。いつか自分をなくすかもしれないが、とりあえずはこのまま生活してみるつもりだ。
頑張ろうぜ。