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ほろた
2024-10-05

「なんでもっと早くに気づかなかったんだ。馬鹿なのか」

から

「まてまてまて気づいただけすごくない!?」

から

「これはこうやって失敗したし、次はこういうやり方やってみよう」

というのが今です。

 

必死に正解を探していた気がするなあと思う。

まあ最初に思いつけばナ~はあるけど「試行錯誤」おもろいからね。

良かったんじゃないかなーと思います。

 

自分が幻聴になった原因はわからんけど、「人が自分のことで悪口言っている」みたいなのがほとんどの症状だったので、「そんなに人の事気にしてないよ!」みたいなのは、病気として経験してない人のたわごとなんだなあと思っていたのも事実で、ファクトセクシャルみたいなものも統合失調症とか精神疾患じゃないひとのメンタル安全と踏まえたうえの余裕なんだなーと思っていたところがあってそういう「存在してないけど気配を信じられる」ってそういうの贅沢だなと思っていた。一方で、だからこそ、病気のひとがいるのにふざけてんのかみたいなものって、それはその人たちが晒される偏見とか危険さとか不安なのかなあと思っていて、神とかも同じじゃないですか、ないものへの気配。わたしがタロットとかをやりつつ、スピリチュアルへの警戒はそういう病気発露のものの上で、一方で、「ないもの」があることも分かっている。恋も信仰もよいものと分かっているので、これはもう完全に「よいなあ」という妬みではあります。自分が病気じゃなかったらとおもうものの、発症してから「病気」を受け入れたの、十年以上経った今であります。ちゃんとといったらあれだけど、障碍者認定がおりたからもでかい。

一方で端々の反応で「自分は生活できてる側」なのもわかります。人と関係していても「ユニーク」「個性的」と捉えられているのは、自分の長所なんだと思うしね。で、別にこういう話をしようとしていたわけじゃなくて、長らく「人から悪口言われるのが怖かった」わけなんですけど、クズと言ってしまった事故も踏まえて、かなりねえ、「そういうものは仕方ないな」という気がした。他人の気持ちは変えられないしね。←これみんな言ってるけど、信用してなかった。人に希望があったのか、自分が傲慢だったのかもしれない。

 

親の問題とか踏まえて、あと「否定しない習慣」の本、「事実だからと言って否定していいわけではない」の部分を自分で読み上げて録音したやつを、時々聞いてるんですよね。ふつうに相槌打ってるんだけど、でも劇のセリフの間合いみたいになっちゃって、「ほろたがなんかいうぞ」ムードになるときがあり、これは昔から感じてるんですけども、余計なことを適当に話してしまう。そして変な空気へ――。相槌下手かも。まあこの辺り今の課題にしてるんで、なるべく頑張っていきたいです。あんまり人の話聞けないから、聞きたいし。そういうのも踏まえて、人への興味がでてきたってかんじです。人が経験してることを聞けるのってお得だなーと最近思う、会話を頑張りたい。

 

他人の気持ちは変えられないことと、他人の話を聞くこと、自分が嫌なことは線を引くこと、そういうのって全体的につながっていて、自分の部屋があるのがやはりでかい。自己選択。自己決定!!

 

やっていきたい。