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鬼太郎誕生ゲゲゲの謎を見てきた話
面白かったものの一言いえばTwitterのオタクにウケそうな映画だった。ある程度の平均は満たしており完成されているものだとは思うが、最高には至らず、だが駄作でも時間を無駄にしたとも思わない。映画一本見終わった満足感や制作サイドの心意気は買うものの、それが結局お前の好みに合わなかったといわれればそうなのだ。勢いで完走しているので、それはやっぱり見事だったとは思う。
今回かなり割りを食ったのは、負け確定ヒロインとして出演させられた沙代さんであり、彼女の一生を一族として消費するがごとく、彼女を消費しきったこの映画は皮肉的な構造をしている。
最後に彼女が子供を出迎えにいき、救済するシーンがあるがそれこそまさに女が求められる役割であり、彼女はそれから逃げたがっていたし、その逃げ場がないことを知っていた彼女にして見れば死してなお、都合良く消費される女としての役割に、救いのなさを痛感するのである。お前らその気がないだけで、まじで最悪だぞ。男キャラクター萌えばっかしてないで、ちょっとはその辺にも目を配れよというかんじがした。
国のためのだとかいう大義のために死ぬことを否定しておきながら、国のためのあくまで暴走するという個人の欲望にとどめたやりかたは問題の矮小化をしており、これってそもそも人間って汚いって話じゃなく、権力に歯向かわないとなにひとつ解決していないのに、あくまでも個人にとどめた表現は、この作品の限界を示している気がする。
無論家父長制に歯向かってはいるし、俺たちは好きにいきるぜ!とやっているのだが、その答えや敵の表現の仕方がみみっちくかんじている。結局、国のために個人が身を投げており、それを子供や友のためという表現にしたら、その答えの先は戦争肯定になりはしないか?という気がした。そんなつもりは毛頭無さそうなので、詰めが甘いかんじがするしやはり現代の作品の限界かなと思ったりもする。
単純にキャラクターの関係萌え映画としてやりたかっただけなのがわかるし、やりたいシーンだけ詰め合わせたんだろうなとも思う。
まああくまでも映画としては完成されているのだが、だがまあ賞賛することはないだろうと思う。
不思議なバランスの映画だった。
#映画
面白かったものの一言いえばTwitterのオタクにウケそうな映画だった。ある程度の平均は満たしており完成されているものだとは思うが、最高には至らず、だが駄作でも時間を無駄にしたとも思わない。映画一本見終わった満足感や制作サイドの心意気は買うものの、それが結局お前の好みに合わなかったといわれればそうなのだ。勢いで完走しているので、それはやっぱり見事だったとは思う。
今回かなり割りを食ったのは、負け確定ヒロインとして出演させられた沙代さんであり、彼女の一生を一族として消費するがごとく、彼女を消費しきったこの映画は皮肉的な構造をしている。
最後に彼女が子供を出迎えにいき、救済するシーンがあるがそれこそまさに女が求められる役割であり、彼女はそれから逃げたがっていたし、その逃げ場がないことを知っていた彼女にして見れば死してなお、都合良く消費される女としての役割に、救いのなさを痛感するのである。お前らその気がないだけで、まじで最悪だぞ。男キャラクター萌えばっかしてないで、ちょっとはその辺にも目を配れよというかんじがした。
国のためのだとかいう大義のために死ぬことを否定しておきながら、国のためのあくまで暴走するという個人の欲望にとどめたやりかたは問題の矮小化をしており、これってそもそも人間って汚いって話じゃなく、権力に歯向かわないとなにひとつ解決していないのに、あくまでも個人にとどめた表現は、この作品の限界を示している気がする。
無論家父長制に歯向かってはいるし、俺たちは好きにいきるぜ!とやっているのだが、その答えや敵の表現の仕方がみみっちくかんじている。結局、国のために個人が身を投げており、それを子供や友のためという表現にしたら、その答えの先は戦争肯定になりはしないか?という気がした。そんなつもりは毛頭無さそうなので、詰めが甘いかんじがするしやはり現代の作品の限界かなと思ったりもする。
単純にキャラクターの関係萌え映画としてやりたかっただけなのがわかるし、やりたいシーンだけ詰め合わせたんだろうなとも思う。
まああくまでも映画としては完成されているのだが、だがまあ賞賛することはないだろうと思う。
不思議なバランスの映画だった。
#映画
アンゼロが終わってブレマイが始まる
昨日コリーからの発表があって、新作がリリースされるようである。ブレイクマイケース。何かをしまう為になんでも請け負う話らしい。
ところで、アンゼロがサ終する際に記事を書いた。
その時の私はなるべくしてなったんだろうなという一種の諦めと終わったものはなんであれ終わることについては意味があったなという思いで、火村さんや所長との思い出もオタクの引き出しにしまうことができた。悲しいとか嫌だとかそうはいってもアンゼロの状態は人を惹き付けるコンテンツの完成度はなかった。それでも好きだったのだ。そういうところじゃなく、火村さんのお節介な愛に救われていたのだ。
だが、ブレマイのサイトを開いたとき、完成形だなと感じた。完成形、ちゃんとターゲットを狙って作ったんだろう、今度こそサ終しないという覚悟で。それは商売としてはとても正しいし、現に評判はいい気はする。推しの声優さんがいて、好きになりそうなキャラが二人いた。でもその二人を足すと火村匠なんだなと気づいて呆然としてしまった。なんとなく割りきって、分かってて、どこかで終わることも会えなくなることもこの先を見ることのない作品の面影を見て、置いてきた悲しみを感じた。ソシャゲなんだからサ終するのは仕方ないよ、売り上げが全てだよ、運営はサービスを始められるし終わらせることもできる。分かっていたが、アンゼロの姿を見いだして、終わらせられたあの作品はなんだったんだろうと、改めて失敗作だったんだなと思えて、やるせなさを覚えた。まだせめて、それらを思い出させることのない作品であったら、応援していた気がするし、好きにはしゃげた気がする。
サ終のときに、投げ捨てた悲しみを、拾い上げてしまった。もう実ることのない果実だ。開くことのない扉だ。
なんでそういうことをするんだろうな、と思ったけど自社作品だし、運営や制作側がなにしたっていいのだ。それを分かった上でコリーって残酷で最低だなと思った。
コリーってそういうことするんだなと思った。怒りより悲しくて仕方なかった。
改めてみれば全然違う作品なのだ。それはわかっている。成功してほしいし、売れてほしい。優秀な弟を見届けるってこういう気持ちなんだろうか。アンゼロは優秀な兄にはなれなかった。
ブレマイの成功を願っております。
昨日コリーからの発表があって、新作がリリースされるようである。ブレイクマイケース。何かをしまう為になんでも請け負う話らしい。
ところで、アンゼロがサ終する際に記事を書いた。
その時の私はなるべくしてなったんだろうなという一種の諦めと終わったものはなんであれ終わることについては意味があったなという思いで、火村さんや所長との思い出もオタクの引き出しにしまうことができた。悲しいとか嫌だとかそうはいってもアンゼロの状態は人を惹き付けるコンテンツの完成度はなかった。それでも好きだったのだ。そういうところじゃなく、火村さんのお節介な愛に救われていたのだ。
だが、ブレマイのサイトを開いたとき、完成形だなと感じた。完成形、ちゃんとターゲットを狙って作ったんだろう、今度こそサ終しないという覚悟で。それは商売としてはとても正しいし、現に評判はいい気はする。推しの声優さんがいて、好きになりそうなキャラが二人いた。でもその二人を足すと火村匠なんだなと気づいて呆然としてしまった。なんとなく割りきって、分かってて、どこかで終わることも会えなくなることもこの先を見ることのない作品の面影を見て、置いてきた悲しみを感じた。ソシャゲなんだからサ終するのは仕方ないよ、売り上げが全てだよ、運営はサービスを始められるし終わらせることもできる。分かっていたが、アンゼロの姿を見いだして、終わらせられたあの作品はなんだったんだろうと、改めて失敗作だったんだなと思えて、やるせなさを覚えた。まだせめて、それらを思い出させることのない作品であったら、応援していた気がするし、好きにはしゃげた気がする。
サ終のときに、投げ捨てた悲しみを、拾い上げてしまった。もう実ることのない果実だ。開くことのない扉だ。
なんでそういうことをするんだろうな、と思ったけど自社作品だし、運営や制作側がなにしたっていいのだ。それを分かった上でコリーって残酷で最低だなと思った。
コリーってそういうことするんだなと思った。怒りより悲しくて仕方なかった。
改めてみれば全然違う作品なのだ。それはわかっている。成功してほしいし、売れてほしい。優秀な弟を見届けるってこういう気持ちなんだろうか。アンゼロは優秀な兄にはなれなかった。
ブレマイの成功を願っております。
感想まとめ
・谷ノ上明美ひとり芝居「ゆんたくしましょうね」 作品公式サイト
演者をモデルにした主人公が祖母の戦争体験をもとに「戦争」を体験していく一人芝居。演出と芝居、特に声の出し方が良く、見飽きさせなくてあっという間に終わってしまった。戦争反対、反戦のものではあるんだけど、色んな人生があるなあと思った。
NHKのドキュメンタリー的に、終戦よりちょい前からは上層部ではその意向が決まっていたらしかったから猶更権力ってのは嫌だなと思ったし、始めると止まれないのはなんでだろう。別のドキュメンタリーでは、洞窟?で自決する人たちに対して「もういいんだよ、大丈夫だよ」と声かけてまわっていた沖縄の離島の人が終戦したにもかかわらず日本軍がスパイ容疑で一家もろもと殺したという話も聞き、終戦の後にも長い間ずっと沖縄は戦時中であったのだろうとも思うし、現在進行形でアメリカ軍の基地があるからまだまだ終わってないんだなとも思う。
沖縄に、行けないんだよね。観光でも。勇気が出なくて。
劇としても素晴らしかったし、メッセージも胸に詰まった。機会があればぜひ見てください。
・キングダム 運命の炎
上記のあとに見る映画じゃないのだが、逆に見てみるとなんかあるのかもなと思ったが、やはり「将同士」の戦いということで、「生きてる人間の兵士」の命をカウントさせない概念が、邪悪すぎるなと思ったが、エンタメとしてこうなるのもやむえなく、一部の人たちのいう「戦争」の概念ってこの視点であって、殺される雑兵や一般人の概念ではないのだろうなあと思う。
映画としても出来がいまいちで、キャストが豪華で、次の四作目に向けての布石でしかないので、単体で見るとわりとつまらない三部作目になっていた。こちらがそれでも見るだろうと思ってるのかもしれないけど、もうちょっとちゃんと「売れ続ける」こと、「単体で見て面白いこと」を目標として作ってほしかった。慢心なのか油断なのか甘えなのか。これがどう響くかなーってかんじ。
・国立国際美術館「ホーム・スイート・ホーム」「コレクション1 80/90/00」
「ホーム・スイート・ホーム」の作品自体がどれも「空間的」でそれがまさにホームを示しているのかなと思った。空間の演出が良かった。竹村京さんとアンドロ・ウェクアさんの作品が好きでしたね。この二人の作品でも見に行けてよかったかな。元やくざと牧師と女の子の映像作品は、なーんかちょっとなーってかんじでしたね。キリスト教をしたいのはわかるけど、なんかもういいかなって見なかったんで、どういうメッセージかはわからないけどね。これを最後に持ってくるのは蛇足的かなってかんじでした。誰の作品かはわからないけど、空間いっぱいに段ボールがあってそれがちいさく窓みたいな穴が無数に開いてて、鳥の声が聞こえてくる、みたいなのはすごくよかったです。先に挙げた竹村さんのは修復と日常、刺繍で表現しているかんじで、ストレートにきれいだったのと、この空間がまじ白いんですけど、そのあとに続くアンドロさんのがね、真っ暗な空間でクマと男の子?がいるんですけど、クマから見える男の後頭部に金属板が貼ってあったのが、なんか好きでしたね。クマの顏が自分で見えるかんじが。そこに窓というか扉があるのがね、なんかよかったですね(語彙がない)
そんでコレクション1、なんですけど、キャッチーでポップでザカルチャーってかんじでよかったんですけど、最後らへんに西洋美術をタイだかの村人が見る写真と映像は、批判的な構造もあると思うんですけど、今の時代的にめちゃくちゃ危うい展示だなと思った。言わんとすることはわかるんですけど、やるもんじゃないかなってかんじです。ただ、そのあとの映像作品はおもしろくてよかったです。
国立国際美術館は、値段が手頃なのが最高と思っているし、空間が広いのがとにかくいいですね。贅沢な感じ。一つの作品をのびのびと展開して余白がある、作品の余韻があってせせこましくない、そういうところがかなり好きです。良かったです
#映画
#観劇
#展示会
・谷ノ上明美ひとり芝居「ゆんたくしましょうね」 作品公式サイト
演者をモデルにした主人公が祖母の戦争体験をもとに「戦争」を体験していく一人芝居。演出と芝居、特に声の出し方が良く、見飽きさせなくてあっという間に終わってしまった。戦争反対、反戦のものではあるんだけど、色んな人生があるなあと思った。
NHKのドキュメンタリー的に、終戦よりちょい前からは上層部ではその意向が決まっていたらしかったから猶更権力ってのは嫌だなと思ったし、始めると止まれないのはなんでだろう。別のドキュメンタリーでは、洞窟?で自決する人たちに対して「もういいんだよ、大丈夫だよ」と声かけてまわっていた沖縄の離島の人が終戦したにもかかわらず日本軍がスパイ容疑で一家もろもと殺したという話も聞き、終戦の後にも長い間ずっと沖縄は戦時中であったのだろうとも思うし、現在進行形でアメリカ軍の基地があるからまだまだ終わってないんだなとも思う。
沖縄に、行けないんだよね。観光でも。勇気が出なくて。
劇としても素晴らしかったし、メッセージも胸に詰まった。機会があればぜひ見てください。
・キングダム 運命の炎
上記のあとに見る映画じゃないのだが、逆に見てみるとなんかあるのかもなと思ったが、やはり「将同士」の戦いということで、「生きてる人間の兵士」の命をカウントさせない概念が、邪悪すぎるなと思ったが、エンタメとしてこうなるのもやむえなく、一部の人たちのいう「戦争」の概念ってこの視点であって、殺される雑兵や一般人の概念ではないのだろうなあと思う。
映画としても出来がいまいちで、キャストが豪華で、次の四作目に向けての布石でしかないので、単体で見るとわりとつまらない三部作目になっていた。こちらがそれでも見るだろうと思ってるのかもしれないけど、もうちょっとちゃんと「売れ続ける」こと、「単体で見て面白いこと」を目標として作ってほしかった。慢心なのか油断なのか甘えなのか。これがどう響くかなーってかんじ。
・国立国際美術館「ホーム・スイート・ホーム」「コレクション1 80/90/00」
「ホーム・スイート・ホーム」の作品自体がどれも「空間的」でそれがまさにホームを示しているのかなと思った。空間の演出が良かった。竹村京さんとアンドロ・ウェクアさんの作品が好きでしたね。この二人の作品でも見に行けてよかったかな。元やくざと牧師と女の子の映像作品は、なーんかちょっとなーってかんじでしたね。キリスト教をしたいのはわかるけど、なんかもういいかなって見なかったんで、どういうメッセージかはわからないけどね。これを最後に持ってくるのは蛇足的かなってかんじでした。誰の作品かはわからないけど、空間いっぱいに段ボールがあってそれがちいさく窓みたいな穴が無数に開いてて、鳥の声が聞こえてくる、みたいなのはすごくよかったです。先に挙げた竹村さんのは修復と日常、刺繍で表現しているかんじで、ストレートにきれいだったのと、この空間がまじ白いんですけど、そのあとに続くアンドロさんのがね、真っ暗な空間でクマと男の子?がいるんですけど、クマから見える男の後頭部に金属板が貼ってあったのが、なんか好きでしたね。クマの顏が自分で見えるかんじが。そこに窓というか扉があるのがね、なんかよかったですね(語彙がない)
そんでコレクション1、なんですけど、キャッチーでポップでザカルチャーってかんじでよかったんですけど、最後らへんに西洋美術をタイだかの村人が見る写真と映像は、批判的な構造もあると思うんですけど、今の時代的にめちゃくちゃ危うい展示だなと思った。言わんとすることはわかるんですけど、やるもんじゃないかなってかんじです。ただ、そのあとの映像作品はおもしろくてよかったです。
国立国際美術館は、値段が手頃なのが最高と思っているし、空間が広いのがとにかくいいですね。贅沢な感じ。一つの作品をのびのびと展開して余白がある、作品の余韻があってせせこましくない、そういうところがかなり好きです。良かったです
#映画
#観劇
#展示会
「推しのすばらしさを語りたいのにやばい!しか出てこない 自分の言葉で作る文章術」を読んだ。
推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
自分の言葉でつくるオタク文章術
著 三宅 香帆
楽天商品ページ
https://books.rakuten.co.jp/rb/17511785/
タイトルにもあるように、この本のテーマは「自分の言葉を持つ」ことである。
そのためにはどういう方法があるのか、掘り下げ方があるのか、自分の言葉を見つける方法を、とにかく丁寧に説明してくれている。
そもそも言語化とは細分化らしく、「好き」という気持ちがあったとして、「何故好きなのか」「どんな所が好きなのか」「どう好きなのか」ということを詳しく細かく分けていくことで、「言葉」になっていく、というものらしく、それが目から鱗だった。
推しを語るということは、極論「自分を語る」ことである。
「自分だけの言葉を持つ」必要があるのだ。
「自分の言葉」ってかなり難しい。私がブログを始めたのは、ツイッターをしすぎて「語る」ことがわからなくなったからであり、ひいては「語る言葉を持たず自分がわからなくなり、トラブルを起こしたから」である。(まあこれは私の問題なんだけど)
「自分の言葉」をつくるには「自分のことがわからない」とできないのである。
だから、まずは自分の気持ちを把握することからはじめないと自分なりの言葉は出てこないのだ。
この本では、自分用のメモを書くことや、すぐSNSを見ないことなどを推奨している。詳しい説明は本を読んでいただければと思うものの、自分の気持ちをアウトプットし、まず外野の意見を遮断することで「自分の気持ち」を大事にすることを丁寧に勧めている。大事なのは「外」ではなく「内」、自分の気持ちなのであり、それを丁寧に大事に取り扱い、細分化し、自分で理解し、そういった先に「推し」のすばらしさを語れるということに繋がるのだ。
簡単にできることではない、と思う。これはめちゃくちゃ遠回りなやりかたで、それこそすぐバズるといったようなものじゃないと思う。でも、めちゃくちゃ大事なやり方で、それをこうやって言語化して教えてくれる本は、今までなかったと思う。
いいなと思うのは、きちんと「ネガティブな意見」との向き合い方も書いてくれていることだ。
推しにもやもやすることや、ここはちょっとダメだったとか、あると思う。でもそれを一律否定するのではなく、好きと同じように「何故嫌だと思ったのか」そういったことの考え方や発信の仕方も書いてくれている。
オタクにとって、必要、と言うと過剰かもしれないが、大事な本になっていると思う。
自分の言葉、言葉うるさいよ、みたいな向きもあるのかもしれない。自分の気持ちと向き合う作業って、個人的にはある意味で「推しに熱中する方向性」と逆向きなんじゃないかなと思ったりする。「自分を忘れたい」時もあるんじゃないかな。それってネガティブだったり、現実的なことだったり、「好き」というエネルギーでなにもかもぶっとばす瞬間、しかしそれを語るとき、「自分」は戻ってくる。
自分が何を見て、どう思い、どう感じたのか。それを言葉にすることは、誰かにとっては苦痛なのかもしれない。でも、語りたいと思ったとき、それはやっぱり「自分を肯定できる瞬間」でもあるとも思う。
こうやって、文章書いてますが、それってやっぱり自由で気持ちいいです。書きながら、ああ、こうだったんだな、と気づくときもある。実はちゃんとノートに書いて記事書いてみようと思ったが、なんか気にせず書いてしまっている。笑。
この本の最終地点は、というか、大きな目標に「他者に伝えること」「発信する力を持つこと」があると思うけど、まあこんなかんじに気楽にだらだら書くことも、ひとつのゴールなんじゃないかなと思う。
自分の気持ちを大事にすること。自分の言葉で語ってみること。やっぱり、とてもいいことなんだなと、この本を読んで思いました。
いい本だと思います。
推しにのみらずね、「語り方わかんないや」って人にもおススメです。
この世界は、今「語る人」が少なくて、みんな「語る人」に影響されちゃうんですよ。
でも、自分が語れる人になると、そういうの、ガードできちゃうというか、自分を守るすべにもなると思う。
自分の言葉って、つまり、自分の軸だから。
そういうの、ちゃんと大事にしていこうねって、言ってくれてる本です。
有難うございました。
終わり。
#本
推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない
自分の言葉でつくるオタク文章術
著 三宅 香帆
楽天商品ページ
https://books.rakuten.co.jp/rb/17511785/
タイトルにもあるように、この本のテーマは「自分の言葉を持つ」ことである。
そのためにはどういう方法があるのか、掘り下げ方があるのか、自分の言葉を見つける方法を、とにかく丁寧に説明してくれている。
そもそも言語化とは細分化らしく、「好き」という気持ちがあったとして、「何故好きなのか」「どんな所が好きなのか」「どう好きなのか」ということを詳しく細かく分けていくことで、「言葉」になっていく、というものらしく、それが目から鱗だった。
推しを語るということは、極論「自分を語る」ことである。
「自分だけの言葉を持つ」必要があるのだ。
「自分の言葉」ってかなり難しい。私がブログを始めたのは、ツイッターをしすぎて「語る」ことがわからなくなったからであり、ひいては「語る言葉を持たず自分がわからなくなり、トラブルを起こしたから」である。(まあこれは私の問題なんだけど)
「自分の言葉」をつくるには「自分のことがわからない」とできないのである。
だから、まずは自分の気持ちを把握することからはじめないと自分なりの言葉は出てこないのだ。
この本では、自分用のメモを書くことや、すぐSNSを見ないことなどを推奨している。詳しい説明は本を読んでいただければと思うものの、自分の気持ちをアウトプットし、まず外野の意見を遮断することで「自分の気持ち」を大事にすることを丁寧に勧めている。大事なのは「外」ではなく「内」、自分の気持ちなのであり、それを丁寧に大事に取り扱い、細分化し、自分で理解し、そういった先に「推し」のすばらしさを語れるということに繋がるのだ。
簡単にできることではない、と思う。これはめちゃくちゃ遠回りなやりかたで、それこそすぐバズるといったようなものじゃないと思う。でも、めちゃくちゃ大事なやり方で、それをこうやって言語化して教えてくれる本は、今までなかったと思う。
いいなと思うのは、きちんと「ネガティブな意見」との向き合い方も書いてくれていることだ。
推しにもやもやすることや、ここはちょっとダメだったとか、あると思う。でもそれを一律否定するのではなく、好きと同じように「何故嫌だと思ったのか」そういったことの考え方や発信の仕方も書いてくれている。
オタクにとって、必要、と言うと過剰かもしれないが、大事な本になっていると思う。
自分の言葉、言葉うるさいよ、みたいな向きもあるのかもしれない。自分の気持ちと向き合う作業って、個人的にはある意味で「推しに熱中する方向性」と逆向きなんじゃないかなと思ったりする。「自分を忘れたい」時もあるんじゃないかな。それってネガティブだったり、現実的なことだったり、「好き」というエネルギーでなにもかもぶっとばす瞬間、しかしそれを語るとき、「自分」は戻ってくる。
自分が何を見て、どう思い、どう感じたのか。それを言葉にすることは、誰かにとっては苦痛なのかもしれない。でも、語りたいと思ったとき、それはやっぱり「自分を肯定できる瞬間」でもあるとも思う。
こうやって、文章書いてますが、それってやっぱり自由で気持ちいいです。書きながら、ああ、こうだったんだな、と気づくときもある。実はちゃんとノートに書いて記事書いてみようと思ったが、なんか気にせず書いてしまっている。笑。
この本の最終地点は、というか、大きな目標に「他者に伝えること」「発信する力を持つこと」があると思うけど、まあこんなかんじに気楽にだらだら書くことも、ひとつのゴールなんじゃないかなと思う。
自分の気持ちを大事にすること。自分の言葉で語ってみること。やっぱり、とてもいいことなんだなと、この本を読んで思いました。
いい本だと思います。
推しにのみらずね、「語り方わかんないや」って人にもおススメです。
この世界は、今「語る人」が少なくて、みんな「語る人」に影響されちゃうんですよ。
でも、自分が語れる人になると、そういうの、ガードできちゃうというか、自分を守るすべにもなると思う。
自分の言葉って、つまり、自分の軸だから。
そういうの、ちゃんと大事にしていこうねって、言ってくれてる本です。
有難うございました。
終わり。
#本
「ルーヴル美術館展愛を描く」に行ってきた
京都市京セラ美術館といえば、初見の玄関につながる広場のような、まず見た目が最悪に改変されたと(私の中で)評判の建物です。
なんであんな意味わからんビジュアルにしてしまったんでしょうか。
建物の外見がダサくなってしまったことで初見かなりの衝撃がありました。
ていうか雨の日どうするんだろ?みたいなお椀型の入り口。
なんらかの対策はされてそうですけど、基本的にまああんまりかっこよくはないです。あれね、建物のユーザービリティもちょっと今一つわからんところはありますが、二回目に行くとまあ心象的には緩和されました。
でも、そのまず建物に対して「この建物の中で扱う美術展とか信用できんのか?」というイメージを払拭する、展示会に特化した広い空間がまあよくてですね。入り口から何まで「白い」に対して、展示ルームに入った瞬間、ぐっと落ちた照明とライトに照らされる絵画。薄闇に浮かび上がる、歴史を感じさせる圧巻の芸術品という。このドラマチックな演出。
これが癖になる。
(?)
一番最初に展示されている、フランソワ・ブーシェ《アモルの標的》
これが、個人的に一番好きでしたね。
音声解説が満島ひかり・森川智之の序盤の音声が心地よくてね。
それを聞きながら、前述したとおりに、白い空間から薄暗い空間に入り込んださなかに、目に飛び込んでくる《アモルの標的》、これがまた大きい絵で、見上げる青空が綺麗で、一気に引き込まれました。美しくて、愛らしくて。壮大で。この愛の神の絵を、カップルのひとたちが見ているのがこれまたよかったですね。もちろん、友達同士とか家族でも。愛の始まりらしくて、絵と観客と空間がドラマを作って、「美術館という非日常にきた」という感覚、自分と今までが隔離する感じでね、気持ちよかったです。
だから、あとはその感覚と一緒になるほどねえしながら、見てました。あんまり宗教画が、そもそも得意ではなかったので、眺める絵はこんなものかなあという次第でしたが、あとはラブコメ好きとしては、ニンフとサテュロスが、よかったなあ。ブシュケとアモルの結婚もよかったかな。まあ、そのぐらいで。基本的に時代合わせてるしで。家族画もいまいち今回はぴんとこなかったかな。
ただ、今回音声解説でね、満島ひかりが三浦大知と、作った曲が聴けるんですよ。
サンプリングはSOIL&“PIMP”SESSIONSのひとで。
その曲、「eden」
めっちゃよかった。
それを聞きながら、空間にいれたの。いい体験でした。
かなり気持ちがいい。
今回の音声解説は、よかったです。650円なんですけど、導入してみることをお勧めします。
なんか展示の感想ってほどでもないな。
そういえばお土産にルーブルっ子っていう、くるみっ子のコラボ菓子があるらしいのですが、私が昼過ぎ行ったら売り切れてました。そもそもルーブルっ子ってなに?ってスタッフさんに聞いてみたらコラボのことを教えてもらって、毎日の入る量が決まってるみたいだし、人気あるみたいで。そういうわけで狙ってる人は、午前中に行くのが確かかもしれないっす。
私はいつものようにコーヒーのお土産を買いました。
平安神宮のそばにある美術館で売ってるコーヒーが猿田彦コーヒーさんとのコラボっていうの、なんか因果を感じますよね。サルタヒコのあたりがね。面白いなと思います。
トータル・楽しんでなさそうかもしれないですけど、私はアモルの標的を見れたことと、音声解説で満足してるので、いい展示会だったと思います。行く途中にバス間違えて、もうだめかもしれん、、、と泣きながら歩いたのも含めて、いい日でした。
個人的には、コレクションルームの夏期の展示も気になったので、また行こうと思ってます~。
妙に癖になる美術館である。(というか展示がいいんですよね)
#展示会
京都市京セラ美術館といえば、初見の玄関につながる広場のような、まず見た目が最悪に改変されたと(私の中で)評判の建物です。
なんであんな意味わからんビジュアルにしてしまったんでしょうか。
建物の外見がダサくなってしまったことで初見かなりの衝撃がありました。
ていうか雨の日どうするんだろ?みたいなお椀型の入り口。
なんらかの対策はされてそうですけど、基本的にまああんまりかっこよくはないです。あれね、建物のユーザービリティもちょっと今一つわからんところはありますが、二回目に行くとまあ心象的には緩和されました。
でも、そのまず建物に対して「この建物の中で扱う美術展とか信用できんのか?」というイメージを払拭する、展示会に特化した広い空間がまあよくてですね。入り口から何まで「白い」に対して、展示ルームに入った瞬間、ぐっと落ちた照明とライトに照らされる絵画。薄闇に浮かび上がる、歴史を感じさせる圧巻の芸術品という。このドラマチックな演出。
これが癖になる。
(?)
一番最初に展示されている、フランソワ・ブーシェ《アモルの標的》
これが、個人的に一番好きでしたね。
音声解説が満島ひかり・森川智之の序盤の音声が心地よくてね。
それを聞きながら、前述したとおりに、白い空間から薄暗い空間に入り込んださなかに、目に飛び込んでくる《アモルの標的》、これがまた大きい絵で、見上げる青空が綺麗で、一気に引き込まれました。美しくて、愛らしくて。壮大で。この愛の神の絵を、カップルのひとたちが見ているのがこれまたよかったですね。もちろん、友達同士とか家族でも。愛の始まりらしくて、絵と観客と空間がドラマを作って、「美術館という非日常にきた」という感覚、自分と今までが隔離する感じでね、気持ちよかったです。
だから、あとはその感覚と一緒になるほどねえしながら、見てました。あんまり宗教画が、そもそも得意ではなかったので、眺める絵はこんなものかなあという次第でしたが、あとはラブコメ好きとしては、ニンフとサテュロスが、よかったなあ。ブシュケとアモルの結婚もよかったかな。まあ、そのぐらいで。基本的に時代合わせてるしで。家族画もいまいち今回はぴんとこなかったかな。
ただ、今回音声解説でね、満島ひかりが三浦大知と、作った曲が聴けるんですよ。
サンプリングはSOIL&“PIMP”SESSIONSのひとで。
その曲、「eden」
めっちゃよかった。
それを聞きながら、空間にいれたの。いい体験でした。
かなり気持ちがいい。
今回の音声解説は、よかったです。650円なんですけど、導入してみることをお勧めします。
なんか展示の感想ってほどでもないな。
そういえばお土産にルーブルっ子っていう、くるみっ子のコラボ菓子があるらしいのですが、私が昼過ぎ行ったら売り切れてました。そもそもルーブルっ子ってなに?ってスタッフさんに聞いてみたらコラボのことを教えてもらって、毎日の入る量が決まってるみたいだし、人気あるみたいで。そういうわけで狙ってる人は、午前中に行くのが確かかもしれないっす。
私はいつものようにコーヒーのお土産を買いました。
平安神宮のそばにある美術館で売ってるコーヒーが猿田彦コーヒーさんとのコラボっていうの、なんか因果を感じますよね。サルタヒコのあたりがね。面白いなと思います。
トータル・楽しんでなさそうかもしれないですけど、私はアモルの標的を見れたことと、音声解説で満足してるので、いい展示会だったと思います。行く途中にバス間違えて、もうだめかもしれん、、、と泣きながら歩いたのも含めて、いい日でした。
個人的には、コレクションルームの夏期の展示も気になったので、また行こうと思ってます~。
妙に癖になる美術館である。(というか展示がいいんですよね)
#展示会
琵琶湖博物館とガイウスくん語り
写真は撮ってないので、テキストのみの記事です。
ざっくりとまずは今回の目的としてラブヒロのガイウスくんが湖愛が強いというのがありまして、そのため、「そもそも湖について知りたいんだが」というのがありました。さらに言うと「湖がある暮らし・文化というのはどんなものか」というかんじです。
ガイウスくん登場イベントが「湖に突然現れた遺跡を調査する」というのが核になっておりまして、そういう意味でも「まず湖そのものへの理解、と遺跡が突然現れる驚きとはどんなものか」というところもあり、住んでいるところが大阪のため、琵琶湖が一番近しい湖であり、気軽に行ける場所だったわけです。
で、その琵琶湖博物館という場所は名前の通り、「琵琶湖にまつわる博物館」です。
館内はA・B・Cの展示に区切られており、その他ちょっとした水槽展示や館外施設もあるような仕組みです。
ABCの流れについては、
A→湖の成り立ちや、環境、その歴史の開設
B→湖に回りで発展する人間の文化とその環境の話
C→自然物を主として未来に繋がるような提起を含んだもの
といったかんじ。これは私の主観ですので、公式サイトを見たほうがわかりやすいと思います。
水槽展示は、琵琶湖とその他の湖、水辺をモチーフに展開していました。館外施設は琵琶湖が眺められるようになっていまして、生育している森はかつて琵琶湖の周りにあった森を復元しているようなところがありました。
レストランも併設しており、ちょっとした図書館のようなスペースのディスカバリールームがあるので、調べものもできると思います。バス自体は一時間に一本とかも多いので、急いで見て回るろいうより、ゆったり過ごせるように設計されているように感じました。
ただ、ごみ箱はないので、その辺をお気をつけください、といったところ。(トイレと自販機はあります)
それで、本懐である、湖を詳しく知りたいという目的は達成できました。というか、展示物がキャッチ―でわかりやすいです。基本的に立体物で解説してくれるのと、映像での解説・補足があります。今回はいれてませんが、アプリでの学芸員の解説も無料で聞けるみたいです。
ここからガイウスくんの話をします。
以下キャラにまつわることは妄想である。
琵琶湖というのは古代湖というものらしく、本来湖は数千年~で埋まるものらしいです。長く湖としてありつづけている理由は地盤の沈下があるからで、水が流れていかないのも、出口にあたる川が谷のようになっており、あんまり水が出ていかない仕組みになっているからとのことで、つまるところ、古代湖と呼ばれる湖の存在は稀有な存在でいろんな偶然が重なってできたものということがわかり、まずここで「ガイウスくん…」となるわけですが(?)、で、そもそも琵琶湖というものが、古代といっても永遠にあったわけではなく、色んな湖やらなんやらができて、最終的に地盤沈下などの影響でできたものらしく、ということはサマアッドのルブル湖もそもそもここにあったわけではないのでは?ということで、水中に遺跡があったとは限らず、本来は地上に遺跡があり、それが水に沈んだ可能性があるというわけです。
が。この辺は本編の教授で解説はされていると思います。
とりあえず長年かわいがられているAIBOくんが作った技術者が知らない仕草をした、ということもあるわけで、ケートスは本来想定されない動きを環境に適した上で動いていることもあるなあと思ったりもしています。
なんか漠然と、湖の遺跡ってそんな見つからんもんすか?とややなめて思っていたのですが(未知の遺跡ってあるんじゃね?という意味の)、サマアッドが観光で成り立ってるといっても最初は湖があるからには漁が主流だったんじゃないでしょうか、というのもあって、やっぱり漁師というのは技術で調べるより先に湖においてわかっていることがあるわけで、漁師も気づかない遺跡があったというのは、やっぱり結構な驚きだったんだなと思い、もとより、湖の研究が発展していそうな星だし、というのでやっぱそりゃ新鮮に驚くわ……というのを、実感としてわかりました。
で、琵琶湖もよそ者・観光者の影響でごみとか外来種とかで汚染されていたりするわけで、ガイウスくんのお怒りはごもっともというのと・湖という資源を守るために地元のコミュニティが密なんだなということが展示で肌感覚で実感できたので、そういう意味でサマアッドの住民と似てない外見を持つガイウスくんの生きにくさというのと、その上でルブル湖という資源・環境を守るために活動しているのは、郷土愛であり、育ててくれたご両親に対する家族愛なのかなと思いました。
ちょうど、湖底探査について知りたかったのですが、博物館の研究者発行?で本が発売されてました。2010年代のものでちょっと古いのですが、200円だし、探索ロボットについての解説があったので、ケートス…?ともなったりしてね。
サマアッドで発見された遺跡がもとは地上にあった説と、もうひとつ、ルブル湖が初期の初期から存在する古代湖で、クローンとそのケートス、探索機械のようなもの、ですが、ルブル湖を調べるために設立された基地という可能性もあるなと思います。それが地盤沈下の影響とかで、当初には考えられないダメージを負い、一定期間の休眠システムに入ったこと/同時にその探索・研究を引き継げるほどにサマアッドの人間や文化が成熟したころに、ケートスとガイウスくんを通じて目覚めるようになっていた、ということもあるのかなと思いました。
湖の年代自体については泥の採取によって、分析はできるとのことですので、その調査を改めてやるのかなとか思ったりもしています。その泥に含まれている花粉などの細胞によって、周辺の自然環境も調べることもできるらしいです。なるほどね。
だから、遺跡の調査って継続的に長い期間が想定されるということが考えられるわけで。
つまり。
定期的にオペがガイウスくんのもとに通える可能性がある
やったー!!!!!!!!!!!!!
お前…ってなったかもしれないけど・目的だいたいこれだから仕方ない。
そんなわけで、
キャラにまつわることは全部妄想ですが
知らなかった身近な存在である琵琶湖のことを詳しく学べられてよかったです。
ありがとう琵琶湖博物館。
ありがとう、いつもお水をくれて。
この環境を守っていかねばと改めて思いました。
終わり。
#ラブヒロ
写真は撮ってないので、テキストのみの記事です。
ざっくりとまずは今回の目的としてラブヒロのガイウスくんが湖愛が強いというのがありまして、そのため、「そもそも湖について知りたいんだが」というのがありました。さらに言うと「湖がある暮らし・文化というのはどんなものか」というかんじです。
ガイウスくん登場イベントが「湖に突然現れた遺跡を調査する」というのが核になっておりまして、そういう意味でも「まず湖そのものへの理解、と遺跡が突然現れる驚きとはどんなものか」というところもあり、住んでいるところが大阪のため、琵琶湖が一番近しい湖であり、気軽に行ける場所だったわけです。
で、その琵琶湖博物館という場所は名前の通り、「琵琶湖にまつわる博物館」です。
館内はA・B・Cの展示に区切られており、その他ちょっとした水槽展示や館外施設もあるような仕組みです。
ABCの流れについては、
A→湖の成り立ちや、環境、その歴史の開設
B→湖に回りで発展する人間の文化とその環境の話
C→自然物を主として未来に繋がるような提起を含んだもの
といったかんじ。これは私の主観ですので、公式サイトを見たほうがわかりやすいと思います。
水槽展示は、琵琶湖とその他の湖、水辺をモチーフに展開していました。館外施設は琵琶湖が眺められるようになっていまして、生育している森はかつて琵琶湖の周りにあった森を復元しているようなところがありました。
レストランも併設しており、ちょっとした図書館のようなスペースのディスカバリールームがあるので、調べものもできると思います。バス自体は一時間に一本とかも多いので、急いで見て回るろいうより、ゆったり過ごせるように設計されているように感じました。
ただ、ごみ箱はないので、その辺をお気をつけください、といったところ。(トイレと自販機はあります)
それで、本懐である、湖を詳しく知りたいという目的は達成できました。というか、展示物がキャッチ―でわかりやすいです。基本的に立体物で解説してくれるのと、映像での解説・補足があります。今回はいれてませんが、アプリでの学芸員の解説も無料で聞けるみたいです。
ここからガイウスくんの話をします。
以下キャラにまつわることは妄想である。
琵琶湖というのは古代湖というものらしく、本来湖は数千年~で埋まるものらしいです。長く湖としてありつづけている理由は地盤の沈下があるからで、水が流れていかないのも、出口にあたる川が谷のようになっており、あんまり水が出ていかない仕組みになっているからとのことで、つまるところ、古代湖と呼ばれる湖の存在は稀有な存在でいろんな偶然が重なってできたものということがわかり、まずここで「ガイウスくん…」となるわけですが(?)、で、そもそも琵琶湖というものが、古代といっても永遠にあったわけではなく、色んな湖やらなんやらができて、最終的に地盤沈下などの影響でできたものらしく、ということはサマアッドのルブル湖もそもそもここにあったわけではないのでは?ということで、水中に遺跡があったとは限らず、本来は地上に遺跡があり、それが水に沈んだ可能性があるというわけです。
が。この辺は本編の教授で解説はされていると思います。
とりあえず長年かわいがられているAIBOくんが作った技術者が知らない仕草をした、ということもあるわけで、ケートスは本来想定されない動きを環境に適した上で動いていることもあるなあと思ったりもしています。
なんか漠然と、湖の遺跡ってそんな見つからんもんすか?とややなめて思っていたのですが(未知の遺跡ってあるんじゃね?という意味の)、サマアッドが観光で成り立ってるといっても最初は湖があるからには漁が主流だったんじゃないでしょうか、というのもあって、やっぱり漁師というのは技術で調べるより先に湖においてわかっていることがあるわけで、漁師も気づかない遺跡があったというのは、やっぱり結構な驚きだったんだなと思い、もとより、湖の研究が発展していそうな星だし、というのでやっぱそりゃ新鮮に驚くわ……というのを、実感としてわかりました。
で、琵琶湖もよそ者・観光者の影響でごみとか外来種とかで汚染されていたりするわけで、ガイウスくんのお怒りはごもっともというのと・湖という資源を守るために地元のコミュニティが密なんだなということが展示で肌感覚で実感できたので、そういう意味でサマアッドの住民と似てない外見を持つガイウスくんの生きにくさというのと、その上でルブル湖という資源・環境を守るために活動しているのは、郷土愛であり、育ててくれたご両親に対する家族愛なのかなと思いました。
ちょうど、湖底探査について知りたかったのですが、博物館の研究者発行?で本が発売されてました。2010年代のものでちょっと古いのですが、200円だし、探索ロボットについての解説があったので、ケートス…?ともなったりしてね。
サマアッドで発見された遺跡がもとは地上にあった説と、もうひとつ、ルブル湖が初期の初期から存在する古代湖で、クローンとそのケートス、探索機械のようなもの、ですが、ルブル湖を調べるために設立された基地という可能性もあるなと思います。それが地盤沈下の影響とかで、当初には考えられないダメージを負い、一定期間の休眠システムに入ったこと/同時にその探索・研究を引き継げるほどにサマアッドの人間や文化が成熟したころに、ケートスとガイウスくんを通じて目覚めるようになっていた、ということもあるのかなと思いました。
湖の年代自体については泥の採取によって、分析はできるとのことですので、その調査を改めてやるのかなとか思ったりもしています。その泥に含まれている花粉などの細胞によって、周辺の自然環境も調べることもできるらしいです。なるほどね。
だから、遺跡の調査って継続的に長い期間が想定されるということが考えられるわけで。
つまり。
定期的にオペがガイウスくんのもとに通える可能性がある
やったー!!!!!!!!!!!!!
お前…ってなったかもしれないけど・目的だいたいこれだから仕方ない。
そんなわけで、
キャラにまつわることは全部妄想ですが
知らなかった身近な存在である琵琶湖のことを詳しく学べられてよかったです。
ありがとう琵琶湖博物館。
ありがとう、いつもお水をくれて。
この環境を守っていかねばと改めて思いました。
終わり。
#ラブヒロ
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を見た
一言でいうと最高
見終わった後、つづきの文字を見ながらウっとこみ上げるものがあって泣いてた。
こんな面白い映画があっていいのかと思った。
何もかもが素晴らしくて、最高で、楽しくて、泣けて、怖くて、圧倒的で、プロフェッショナルで、
エンターテインメントの塊、こんな映画見てもいいんだって泣けた。
詳しいこととか、考えたこととか、書かないです。
別に全員見ろとは思わない。
スパイダーマンをこじらせた奇怪ないわば狂ったオタクのプロ集団が、スパイダーマンへの愛と欲望で全身全霊かけて人間賛歌しているこの物語は、人によっちゃ一笑にふすものだろうし、理解しないかもしれない。でも私にとっては最高の映画で、この映画を見ていた時間は幸福だったし、見た後の今、その幸福を噛んで味わっている。
好きとか愛してる、とかじゃないんだよね。
感謝なんだよね。やや怖い。
なんていうか、十代の時からオタクしてると、作品に対する妙なあきらめがあるんだよね。
面白くないものも、今はノットフォーミーで片づけるのがよくて、まあでもうまくそれを語ったら共感を得られるかもしれないけども、いやまあそれはよくて、とにかく自分の悪い感情ってコントロールしなきゃいけなくて、いやまあそれも当然ではあるんですけど、まあとにかく、この世に無数にある作品のどれもが自分にとって最良でないことを知っている。自分に向けられていないことも、あるいは外れたことも分かるときがある。だから何かの作品を見るとき、思うんですよね。これは合わない作品かもしれないって。だから無数の「合わなかったときの作品の共通項目を思い出して、それから今が外れないように緊張してみている」瞬間があるんですよね。全幅で信頼することも、というかそんな無防備な姿勢で見ないんですよね。そこまでして作品を見るのかと言ったら、見るんですよね、オタクだから。
でも、この映画は、ああ、面白いなって感じるんですよね。そういえば面白いって好きとか嫌いとかじゃないんだなって。面白いって面白いだけで、ただ夢中になるものなんだなって。自分のあらゆるところを刺激されて、どんどん先が気になって、どんな話になるんだろう、主人公はどうするんだろう、この人はどうするんだろうってわくわくするんですよね。それがずっと最後まで続く。ああ、「つづき」だ、終わっちゃった……って思った。この幸福の時間は無限に続かないんだって。だから悲しいのかな、寂しいのかな、泣けたんですよね。面白かったなあ、って。エンドロール見ながら。
また見たいなとも思ったんですけど、少し味わっていたいなと思う。この作品を見たことを。この最初の気持ちを。
とても楽しかった。わくわくした。面白かった。怖かった。恐ろしかった。泣けた。感動した。笑った。衝撃だった。本当にね、悪役というか敵対する側がめちゃ怖くて、でもねその中で何度も救いのようなものがある。あきらめてはいけないんだって思う。絶望だけじゃないんだって。何度でも救いがある。何度でも恐れがある。そして、希望がある。かっこいいのよ。優しいのよ。弱くてね、醜くてね。
次回作、とても楽しみにしている。
何かあっても、この作品の終わりを見ることを、喜びに頑張れるなと思った。きっと自分の支えになる。
見てよかったです。
作ってくれてありがとう。
ただそれだけです。
念のための補足。
この映画は二作目なので、一作目を見たほうが面白いです。
ほかのスパイダーマン映画を見ておくといいかなーはある。アニメーションが十分すごいんですけども。
詳しくは映画好きがどこかで語っていると思うので、説明は投げます。
#映画
一言でいうと最高
見終わった後、つづきの文字を見ながらウっとこみ上げるものがあって泣いてた。
こんな面白い映画があっていいのかと思った。
何もかもが素晴らしくて、最高で、楽しくて、泣けて、怖くて、圧倒的で、プロフェッショナルで、
エンターテインメントの塊、こんな映画見てもいいんだって泣けた。
詳しいこととか、考えたこととか、書かないです。
別に全員見ろとは思わない。
スパイダーマンをこじらせた奇怪ないわば狂ったオタクのプロ集団が、スパイダーマンへの愛と欲望で全身全霊かけて人間賛歌しているこの物語は、人によっちゃ一笑にふすものだろうし、理解しないかもしれない。でも私にとっては最高の映画で、この映画を見ていた時間は幸福だったし、見た後の今、その幸福を噛んで味わっている。
好きとか愛してる、とかじゃないんだよね。
感謝なんだよね。やや怖い。
なんていうか、十代の時からオタクしてると、作品に対する妙なあきらめがあるんだよね。
面白くないものも、今はノットフォーミーで片づけるのがよくて、まあでもうまくそれを語ったら共感を得られるかもしれないけども、いやまあそれはよくて、とにかく自分の悪い感情ってコントロールしなきゃいけなくて、いやまあそれも当然ではあるんですけど、まあとにかく、この世に無数にある作品のどれもが自分にとって最良でないことを知っている。自分に向けられていないことも、あるいは外れたことも分かるときがある。だから何かの作品を見るとき、思うんですよね。これは合わない作品かもしれないって。だから無数の「合わなかったときの作品の共通項目を思い出して、それから今が外れないように緊張してみている」瞬間があるんですよね。全幅で信頼することも、というかそんな無防備な姿勢で見ないんですよね。そこまでして作品を見るのかと言ったら、見るんですよね、オタクだから。
でも、この映画は、ああ、面白いなって感じるんですよね。そういえば面白いって好きとか嫌いとかじゃないんだなって。面白いって面白いだけで、ただ夢中になるものなんだなって。自分のあらゆるところを刺激されて、どんどん先が気になって、どんな話になるんだろう、主人公はどうするんだろう、この人はどうするんだろうってわくわくするんですよね。それがずっと最後まで続く。ああ、「つづき」だ、終わっちゃった……って思った。この幸福の時間は無限に続かないんだって。だから悲しいのかな、寂しいのかな、泣けたんですよね。面白かったなあ、って。エンドロール見ながら。
また見たいなとも思ったんですけど、少し味わっていたいなと思う。この作品を見たことを。この最初の気持ちを。
とても楽しかった。わくわくした。面白かった。怖かった。恐ろしかった。泣けた。感動した。笑った。衝撃だった。本当にね、悪役というか敵対する側がめちゃ怖くて、でもねその中で何度も救いのようなものがある。あきらめてはいけないんだって思う。絶望だけじゃないんだって。何度でも救いがある。何度でも恐れがある。そして、希望がある。かっこいいのよ。優しいのよ。弱くてね、醜くてね。
次回作、とても楽しみにしている。
何かあっても、この作品の終わりを見ることを、喜びに頑張れるなと思った。きっと自分の支えになる。
見てよかったです。
作ってくれてありがとう。
ただそれだけです。
念のための補足。
この映画は二作目なので、一作目を見たほうが面白いです。
ほかのスパイダーマン映画を見ておくといいかなーはある。アニメーションが十分すごいんですけども。
詳しくは映画好きがどこかで語っていると思うので、説明は投げます。
#映画
「ラテンアメリカの民衆芸術」に行ってきた
万博にある、国立民族学博物館特別展の「ラテンアメリカの民衆芸術」に行ってきた。
ローズフェスタにもとより行く予定だったが、Twitterで評判いいと聞きつけていたのでついでに行くことにしたのだ。
民俗博物館は建物がいい。空間コンセプトがいいので、入り口からして楽しい。
特別展はそういえば行ったことがなく、どんなものかと思ったが、展示物の写真もOKとオープンな感じである。
あんまり写真は撮らず、目に焼き付けようと気合を入れて見て回った。
五章に区切られており、色彩豊かなPOPなかんじで、しばし進む。丁寧な仕事を見れて、目が楽しく、気持ちが上がる。
そういう気持ちと同時に、無分別に楽しんでいいのかという気もした。
だが色塗りコーナーで色鉛筆で塗り絵をし、結構楽しかったな、という気持ちで、上がった気分で次の展示に行くと、先住民に対する暴力の話になる。一気にズドンと落ちる。
頑張って塗った。
意図したか、してないかはわからないが、色塗り、というちょっと達成感のあった後で、拉致られた人たちが帰ってきていない、とか、文化の盗用がある、とか、ダイレクトな暴力の絵、とか、そういうことの「笑っていられない」かんじが、今までとこれからどうするのかというあり方についての問題がスっと入り込んできて、居たたまれない気持ちになって、迫ってくる。
展示の仕方として、すごくいいなと思った。
そこを通過した最後の展示では、「じゃあどうしていこう?」という問いかけのような、仮面の展示になる。それらは最初入り口から始まった展示物と同じようにどこかかわいく色がキレイで、POPに見える。でも、前の段階の展示が効いてきて、見え方が変わったのを、自分で感じた。まあ、現金だったり、影響されやすいかもしれないんだけど。それでも、「どうしていこうか」という未来への問いかけがあって、それがまた「仮面」といういくつものペルソナの象徴なのがよくって、この展示が終わっても、人類の文化は続いていくのだなあと思った。
ちなみにローズフェスタは、結構見ごろのままだった。
すごくきれいだったし、気合があった。
ローズフェスタはまだやっているので、オススメしときます。
#展示会
万博にある、国立民族学博物館特別展の「ラテンアメリカの民衆芸術」に行ってきた。
ローズフェスタにもとより行く予定だったが、Twitterで評判いいと聞きつけていたのでついでに行くことにしたのだ。
民俗博物館は建物がいい。空間コンセプトがいいので、入り口からして楽しい。
特別展はそういえば行ったことがなく、どんなものかと思ったが、展示物の写真もOKとオープンな感じである。
あんまり写真は撮らず、目に焼き付けようと気合を入れて見て回った。
五章に区切られており、色彩豊かなPOPなかんじで、しばし進む。丁寧な仕事を見れて、目が楽しく、気持ちが上がる。
そういう気持ちと同時に、無分別に楽しんでいいのかという気もした。
だが色塗りコーナーで色鉛筆で塗り絵をし、結構楽しかったな、という気持ちで、上がった気分で次の展示に行くと、先住民に対する暴力の話になる。一気にズドンと落ちる。
頑張って塗った。
意図したか、してないかはわからないが、色塗り、というちょっと達成感のあった後で、拉致られた人たちが帰ってきていない、とか、文化の盗用がある、とか、ダイレクトな暴力の絵、とか、そういうことの「笑っていられない」かんじが、今までとこれからどうするのかというあり方についての問題がスっと入り込んできて、居たたまれない気持ちになって、迫ってくる。
展示の仕方として、すごくいいなと思った。
そこを通過した最後の展示では、「じゃあどうしていこう?」という問いかけのような、仮面の展示になる。それらは最初入り口から始まった展示物と同じようにどこかかわいく色がキレイで、POPに見える。でも、前の段階の展示が効いてきて、見え方が変わったのを、自分で感じた。まあ、現金だったり、影響されやすいかもしれないんだけど。それでも、「どうしていこうか」という未来への問いかけがあって、それがまた「仮面」といういくつものペルソナの象徴なのがよくって、この展示が終わっても、人類の文化は続いていくのだなあと思った。
ちなみにローズフェスタは、結構見ごろのままだった。
すごくきれいだったし、気合があった。
ローズフェスタはまだやっているので、オススメしときます。
#展示会
映画の感想
連日で見てきた。ひとつは映画刀剣乱舞黎明で、もうひとつはTHE FIRST SLAM DUNKである。
結論として、
そろそろ楽しい映画が見たい、という気持ちである。
満足度が高くて見終わったあとに、はーいい映画みた~!とにこにこになりたい。別にこの二つの作品がひどいとか悪いとかじゃないのだ。やることはやってる、やろうとしているこの二つの作品、エンタメをやろうとしてるのは前者で、プロフェッショナルをやろうとしてるのは後者である。
刀剣乱舞の映画は、メインキャラクターというか主役と悪役に難があって揺らいでいるものの、映画という枠ででかいことをやろうとしており、それはかなり評価できるがなにせメイン軸がいちばんだめなのでそれが厄介だ、スラムダンクの方はプロの仕事はしているものの、正直キャラクタードラマが邪魔であり、なぜこの構成にしたのかがわからないのである。プロフェッショナルは感じるがエンタメではないのである。
この二作を足して割れんか?という気持ちだ。なんとかしてほしい。
映画への要求はひとつだ。
映画を見て楽しくなりたい。
次はスパイダーマンの続編を見る予定だ。いいものであってほしい。
#映画
連日で見てきた。ひとつは映画刀剣乱舞黎明で、もうひとつはTHE FIRST SLAM DUNKである。
結論として、
そろそろ楽しい映画が見たい、という気持ちである。
満足度が高くて見終わったあとに、はーいい映画みた~!とにこにこになりたい。別にこの二つの作品がひどいとか悪いとかじゃないのだ。やることはやってる、やろうとしているこの二つの作品、エンタメをやろうとしてるのは前者で、プロフェッショナルをやろうとしてるのは後者である。
刀剣乱舞の映画は、メインキャラクターというか主役と悪役に難があって揺らいでいるものの、映画という枠ででかいことをやろうとしており、それはかなり評価できるがなにせメイン軸がいちばんだめなのでそれが厄介だ、スラムダンクの方はプロの仕事はしているものの、正直キャラクタードラマが邪魔であり、なぜこの構成にしたのかがわからないのである。プロフェッショナルは感じるがエンタメではないのである。
この二作を足して割れんか?という気持ちだ。なんとかしてほしい。
映画への要求はひとつだ。
映画を見て楽しくなりたい。
次はスパイダーマンの続編を見る予定だ。いいものであってほしい。
#映画
竹内栖鳳展(京セラ美術館)
破壊と創生のエネルギー
サブ展示室だったので作品数とグッズ展開は少なめ。ただ、雰囲気自体はゆったりとしており、混んでもいなかったので好きに楽しめたかんじがありました。展示物がレアかどうかはわかりませんが、屏風の展示が多め?で迫力あってよかったですね。低い天井の場所だったから、圧迫感があってよかったと思います。ひたすら動物の絵が愛らしくてよかった。亡くなる年にかいた烏と船の絵を目あてにいったがさらっと置いてあった。全体的にさらっとしてた。気楽でそこがよかったかな。緊張感と共に眺める作風じゃないので。おおむね満足。
中村佑介SPILIT!
心斎橋PARCO
アジカンの君という花のジャケットで知った作家さんというとかなり年代を感じる、なにかの縁だとおもって展示会を覗きにいきましたが、思った以上によかった。メインの女の子が印象強いが、その周囲を取り巻くサブの書き込みがメチャクチャ楽しかった。四畳半神話と夜は短し歩けよ乙女の映像作品も好きだったのでポスターの展示も嬉しかったな。大きな画面でみるとそれぞれの空間の書き込みが楽しく、こんな面白い絵を描いている人だったのかと驚かされる。さらっとセンスと描写と構成が巧い。今回と展示をみてかなり好きになりました。今後もなにかあったら見に行きたいなと思う。ひたすらアジカンの曲が流れているのがとにかくよかった。
北野武「首」
宮崎駿「君たちはどう生きるか」
首をみてから君たちは~を見た。Twitterで今年これらが公開されたのはすごいことだ!みたいな話をみてそうなのか?と思ってあんまり興味なかった君たちは~を見たのですが主人公のキャラクターがドンピシャ好みと短髪少年だったので、脳が終始揺れておりました。
北野武の映画をみたのはさらっと座頭市を見たくらいでちゃんと映画館で見たのは首がはじめてだった。あんまり信用してなかったので冒頭の残虐シーンで心折れかけこのままこれが続くなら途中で出ようと思ったのだが北野武演じる羽柴秀吉のトリオが出てきてから一気にティストが変わって面白かった。どう物語が落ちるかというのはある程度読めていたので、先がどうなる?!ということよりも俳優の好みというか使い方が自分の趣味に合っていたので、わかるぜ!北野武!と思いながら見終わった。黄色い猿め!のシーンとかまあ何かしらありそうだが、楽しんで作ったんじゃないかこの映画?というのがあったので、すごくポジティブな映画だなという気がした。
君たちはどう生きるか?、なのだが、冒頭のタイトルにある山の風景画でなにか脳が直撃し、自分はこの作品好きな気がするなという予感を抱いて見ていたもののキャラクターが好みというのはさておき、わからない部分はあったりしたのだが、それがひどくよかった。曼陀羅みたいだった。キャラクターの些細な動きひとつがキャラクターを示している繊細さと大胆さがあり、たとえば鳥の糞をあえて描くところとか、全編通した信念というか、これがひとつの作品を作ることだよなあという、意思みたいなものを感じて、これは結構無理やり二時間に納めたんじゃないかというボリュームだった。ほんとうは四時間ぐらいあってもおかしくない気がした。
連続して映画館でみれたということは、とてもよい経験だなという気がしている。首も君たちはどう生きるか?も他者的アプローチがあり、外向けという気がした。その距離感に安堵する。
このあくまでも他人ですよという線引きをされて心地よかった。
すでに完成しているので、面白かったし、よかったよ、ありがとね~というかんじです。
終わり。
#映画 #展示会