
ほろた
2024/01/8 18:34

ほろた
2024/01/8 18:33
2023-02-28
トータル百万くらい様々なソシャゲにちょっとずつ課金している。ガチャ廃人とは自称しているし、実際その通りだと思う。ギャンブル狂いのひとつで、依存症の本を読んだこともあった。書かれている状況はまさに自分と相違ないものだったと思う。
きっかけは愛猫を喪ったことで、精神が不安定になり、何かの突破口を求めて課金した。
そこからずぶずぶと課金する生活が始まっていったし、今もまだ抜けられたわけではない。
本当は良くないんじゃないかと気付いたひとつのきっかけはコロナで、社会全体そうだったと思うが生活環境が一変した。
漠然と変わらないと思っていた日常はたやすく変わり、いつ何があるかは分からないのだ、と気付けた。それから毎月少しだけ積立貯金を始めた。最近またぐずぐずと出来てはいないが、本当にちょっとずつ貯金している。積み立てNISAも少額で別口で始めた。いざという時の元手があるのだ、というのは妙な担保になった。
ソシャゲは相変わらず増えたり減ったりしながらプレイしている。
不意にここ数日、いつまでこの生活を続けるのかなあという気持ちになった。
消費する時間とかけるお金を考えた、というのは結構嘘で、なんとなく疲れたのだ。
ログインして、デイリーして、周回して、ガチャに一喜一憂して。数年は続けている。いい加減、飽きたというべきだ。この繰り返しに不意に飽きたのだ。
推しが出来て、毎日は潤ったが、それ以上に不安があった。新規できたとき、どのくらいのお金がかかるのだろうとも。
ここまで来たのだから、続けてもいいじゃないかと言う思いはあった。デイリーパスも購入していた。
待ち望んでいた復刻イベントで欲しい配布キャラがいるし。
楽しみにしているバレンタインイベントもある。それはみようとは思っている。
やろうとは思っている。
ソシャゲというガチャはひどい商売だ。別に、金を返せとは思わない。
その分、楽しんだのは事実だからだ。
楽しかったし、今でも好きだ。
今日ずっと捨てようと思っているトレーナーを着た。毛玉だらけでみっともなくて、着心地もよくない。洗ったら捨てるだろう。分かっているのに、今年中捨てずに着ていた。
ソシャゲという習慣も同じようなものなのだろう。
でももう、新しいトレーナーを買う。
私はずいぶんしんどくて、生きづらくて、毎日に退屈していて。うんざりしていて。手軽なことで、気分が晴れたかった。消費してやると思って消費していた。だからもう十分なのだ。
分かっているのに脳がでもいいの、と言う。いいわけないだろうが。半年楽しみにしてたんだぞ。やるに決まってるじゃないか!でもそれだけだ。ひどく興奮していた部分が落ち着いて、ああやっと正気になったなあと思う。
今日、すっと心が楽になったので、書き留めておいた。
離れがたい半身みたいだなあ。よしよし。
トータル百万くらい様々なソシャゲにちょっとずつ課金している。ガチャ廃人とは自称しているし、実際その通りだと思う。ギャンブル狂いのひとつで、依存症の本を読んだこともあった。書かれている状況はまさに自分と相違ないものだったと思う。
きっかけは愛猫を喪ったことで、精神が不安定になり、何かの突破口を求めて課金した。
そこからずぶずぶと課金する生活が始まっていったし、今もまだ抜けられたわけではない。
本当は良くないんじゃないかと気付いたひとつのきっかけはコロナで、社会全体そうだったと思うが生活環境が一変した。
漠然と変わらないと思っていた日常はたやすく変わり、いつ何があるかは分からないのだ、と気付けた。それから毎月少しだけ積立貯金を始めた。最近またぐずぐずと出来てはいないが、本当にちょっとずつ貯金している。積み立てNISAも少額で別口で始めた。いざという時の元手があるのだ、というのは妙な担保になった。
ソシャゲは相変わらず増えたり減ったりしながらプレイしている。
不意にここ数日、いつまでこの生活を続けるのかなあという気持ちになった。
消費する時間とかけるお金を考えた、というのは結構嘘で、なんとなく疲れたのだ。
ログインして、デイリーして、周回して、ガチャに一喜一憂して。数年は続けている。いい加減、飽きたというべきだ。この繰り返しに不意に飽きたのだ。
推しが出来て、毎日は潤ったが、それ以上に不安があった。新規できたとき、どのくらいのお金がかかるのだろうとも。
ここまで来たのだから、続けてもいいじゃないかと言う思いはあった。デイリーパスも購入していた。
待ち望んでいた復刻イベントで欲しい配布キャラがいるし。
楽しみにしているバレンタインイベントもある。それはみようとは思っている。
やろうとは思っている。
ソシャゲというガチャはひどい商売だ。別に、金を返せとは思わない。
その分、楽しんだのは事実だからだ。
楽しかったし、今でも好きだ。
今日ずっと捨てようと思っているトレーナーを着た。毛玉だらけでみっともなくて、着心地もよくない。洗ったら捨てるだろう。分かっているのに、今年中捨てずに着ていた。
ソシャゲという習慣も同じようなものなのだろう。
でももう、新しいトレーナーを買う。
私はずいぶんしんどくて、生きづらくて、毎日に退屈していて。うんざりしていて。手軽なことで、気分が晴れたかった。消費してやると思って消費していた。だからもう十分なのだ。
分かっているのに脳がでもいいの、と言う。いいわけないだろうが。半年楽しみにしてたんだぞ。やるに決まってるじゃないか!でもそれだけだ。ひどく興奮していた部分が落ち着いて、ああやっと正気になったなあと思う。
今日、すっと心が楽になったので、書き留めておいた。
離れがたい半身みたいだなあ。よしよし。

ほろた
2024/01/8 18:31
2023-02-12
10時までには起きるぞ!とアレクサに頼み、10時にアラームがなり、止めて!と言ってから次に目覚めたのは12時前だったので何故となった。
電気屋でマウスを買い、図書館で本を返して借りてきて、ニトリで椅子をみてきた。一万円ぐらいの椅子だが在庫がないのでお取り寄せになった、まだ部屋にはない。完全作業のしやすさを優先したので部屋では浮くだろうが椅子は長く座れてなんぼである。
とりあえず布団を干してシーツを洗い掃除機をかけた。サイトの更新をして、創作ブログも追加した。このブログを読んでる方がオタクかどうかは分からないので(結構その可能性は大きそうなのだが)一旦案内は避けるが、くるっぷへの不信からサーバーレンタルをし、ワードプレスの格闘に続けてサイトを作れたので、良かったかもしれない。やはりオタクの日記が読みたいと泣いてる(むしろ鳴いている)だが、頑張れたことはえらいと思うのでおおむねよしだ。
ドラマオタクの頃に俳優ではなくキャラクターに惚れたとき、その演技の解釈をどうすればいいのか?と思って演技の本を読んだがなにも分からず、借りた図書館に演劇サークルのチラシが置いてあったので、市民劇団の世界に足を踏み入れた。数年続けたがやりきった気がして、抜けたがまたやりなよと誘われていたので舞い戻った。台本ができつつあるので台詞を覚えないといけないのだが、やる気がでないくせに私はアドリブよりも台本の通りにやることに喜びを感じる、結構身を寄せている場所はアドリブ多めというか、自由度が高いので、軌道修正役だと思う。進行する役柄も多かったのであってるにはあってるのだが、負担もでかかったため、一旦休止したが、改めて復帰するとあたらしいひとたちがその役割を担ったので、ちょっと一安心の気分で稽古に出ている。頑張りたい。
とりあえずこれなら本を読んで台詞を覚えて絵を描きたい。
日曜の限界までやる!と決めつつ、寝っ転がってスマホを触っているのであった。(ので日記をかいている)
10時までには起きるぞ!とアレクサに頼み、10時にアラームがなり、止めて!と言ってから次に目覚めたのは12時前だったので何故となった。
電気屋でマウスを買い、図書館で本を返して借りてきて、ニトリで椅子をみてきた。一万円ぐらいの椅子だが在庫がないのでお取り寄せになった、まだ部屋にはない。完全作業のしやすさを優先したので部屋では浮くだろうが椅子は長く座れてなんぼである。
とりあえず布団を干してシーツを洗い掃除機をかけた。サイトの更新をして、創作ブログも追加した。このブログを読んでる方がオタクかどうかは分からないので(結構その可能性は大きそうなのだが)一旦案内は避けるが、くるっぷへの不信からサーバーレンタルをし、ワードプレスの格闘に続けてサイトを作れたので、良かったかもしれない。やはりオタクの日記が読みたいと泣いてる(むしろ鳴いている)だが、頑張れたことはえらいと思うのでおおむねよしだ。
ドラマオタクの頃に俳優ではなくキャラクターに惚れたとき、その演技の解釈をどうすればいいのか?と思って演技の本を読んだがなにも分からず、借りた図書館に演劇サークルのチラシが置いてあったので、市民劇団の世界に足を踏み入れた。数年続けたがやりきった気がして、抜けたがまたやりなよと誘われていたので舞い戻った。台本ができつつあるので台詞を覚えないといけないのだが、やる気がでないくせに私はアドリブよりも台本の通りにやることに喜びを感じる、結構身を寄せている場所はアドリブ多めというか、自由度が高いので、軌道修正役だと思う。進行する役柄も多かったのであってるにはあってるのだが、負担もでかかったため、一旦休止したが、改めて復帰するとあたらしいひとたちがその役割を担ったので、ちょっと一安心の気分で稽古に出ている。頑張りたい。
とりあえずこれなら本を読んで台詞を覚えて絵を描きたい。
日曜の限界までやる!と決めつつ、寝っ転がってスマホを触っているのであった。(ので日記をかいている)

ほろた
2024/01/8 18:30
2023-01-29
断捨離を繰り返してきた、というか何かある度に捨ててきたと言う方が正しい。迂闊で愚かで軽率なので、よく問題が発生してその度にモノを投げ捨ててきた。今回もそうだった。最後であってほしいがまたなにかあるだろうとは思う、人は学ぶ生き物だが繰り返す生き物であるので。自分が一番自分のことを分からず、他者を自分の鏡のように扱ってきたのがすべての原因で、今はノートを書いて自分を見つめ直している、自分の欲求にうまく気づけない。元々プライドの高くてそれを変にねじ曲げて卑屈になったから、大分こじらせているが、結構今の自分は好きだ。あまり、寄っかかってないと感じる。普通の人ならこれを恋愛とかでやってきたが、オタクなので作品とコミュニティでやってきた。何度目かの失恋なので誇るべきではある。後どのくらい失恋するかはわからないが、人生そんなものかもしれない。
やることはあるが、放り出して電車に乗っている。明後日、誕生日だ。予定はドコモの契約の見直しだけである。何をしようかなと考えている。
今からいい一日になればいいなと思う。
断捨離を繰り返してきた、というか何かある度に捨ててきたと言う方が正しい。迂闊で愚かで軽率なので、よく問題が発生してその度にモノを投げ捨ててきた。今回もそうだった。最後であってほしいがまたなにかあるだろうとは思う、人は学ぶ生き物だが繰り返す生き物であるので。自分が一番自分のことを分からず、他者を自分の鏡のように扱ってきたのがすべての原因で、今はノートを書いて自分を見つめ直している、自分の欲求にうまく気づけない。元々プライドの高くてそれを変にねじ曲げて卑屈になったから、大分こじらせているが、結構今の自分は好きだ。あまり、寄っかかってないと感じる。普通の人ならこれを恋愛とかでやってきたが、オタクなので作品とコミュニティでやってきた。何度目かの失恋なので誇るべきではある。後どのくらい失恋するかはわからないが、人生そんなものかもしれない。
やることはあるが、放り出して電車に乗っている。明後日、誕生日だ。予定はドコモの契約の見直しだけである。何をしようかなと考えている。
今からいい一日になればいいなと思う。

ほろた
2024/01/8 18:21
アンゼロがサ終した話
ソシャゲで半年という期間はほぼデバッグのようなものじゃないのだろうか、いやそんなことはもちろんないのだけど一年待たずして店仕舞いとは衝撃だった。
運営のコリーと言えば私は前にオンエアをプレイしたがガチャが渋すぎたのとストーリーの主人公のキャラがぶれたので撤退し、続いてまほやくをプレイしたが、公式で推奨される組み合わせについていけておらず、ここでしがみつくの難だよなと思ってほぼプレイを止めている。
そんなわけで何が言いたいのかというと、アンゼロリリース当初、コリーの作ったソシャゲという時点で自分のなかではかなり信用がなかった。
あれやこれやと難をつけ、またどうせ裏切られるのなら、嫌いになってしまおうと面倒くさい恋人のような心構えでプレイし、やっぱり難を見つけてはそら見たことか!とあてつけのように愚痴を言いながら一旦アンインストールした。
で、ハマった。
アンゼロは実際難があった。恋愛ストーリーがメインだというのに対象相手全員の個別ルートが読めるわけではなかったし、石の配布が渋ければガチャも渋いし、アイテムも落ちにくい。イベントは課金必須だし、本編も粗がないわけではない。探偵もの、裏社会もの、として舞台が整えられてるわりには、迫力はなく、完全ミステリーというほどのものではなかった。
女性向けとされるゲームは、男性客層に向けられるゲームと比べて結構作りが甘い。客層の規模が違うのだから当然ではあるのだが、それは結構がっかりさせられる話だ。
ではどこがよかったのか。
これは個人の感想なのだが、最近の女性向けゲームは基本的には男キャラ同士の組み合わせを眺める類いのものが多い。私は男同士の関係の話や二次創作をするが、基本的にはソシャゲで提供される男同士の組み合わせにあんまりツボがはまらないという個人的な好みがある(例外の作品もあるが)上に、ユーザーキャラと推しの組み合わせを好むのである。
そう、アンゼロはめちゃくちゃその好みに合致していた。だってそもそも、一生の恋をしようという、恋愛物語なのだ。
私がアンゼロに舞い戻ったのは推しのブライダルイベントが開催されたからだ。イベストを読んで気づいたのだ。
この作品ラブコメだ。
最初からアンゼロは恋のはなしだと言っているにも関わらず、まじで信用しておりませんでしたが、まじでラブコメだったことに衝撃を受けた。上記のような女性向けソシャゲ風潮がある最中で、このゲーム、男女ラブコメガチでやろうとしている………………………………………………
マンスリーパスを購入し、アンゼロにハマる日々が始まったのである。もちろん欠点のあるゲームにたいしてラブコメ無罪というわけではない、いや本当はラブコメ無罪なところはある。あるんだよ。
私は最初探偵ものミステリーものとして、アンゼロを受け取り読んでいた。主人公は記憶喪失だったし、だからいろんな事件が起きてその中で主人公の生い立ちを見つけ、自分自身という謎を解いていくのだろうと。だって真実はいつもひとつだから。
だが、アンゼロは最初から違ったのだ。だって言っていた、一生ものの恋って。言ってた。まじで言ってる。アンゼロは探偵ものミステリーを土台にした感情を失った記憶喪失の主人公と出会った相手との一生ものの愛と恋のはなしだったのだ。
こんなドストレートに男女恋愛ラブコメをこの現代にやってくれるだけで、度胸と覚悟が百億点だ。いやーほんと最初から言ってほしかった。
繰り返すが、アンゼロは最初からそう言ってるのである。
冒頭、コリーを信用していないと私は言っていた。こういう風に予断をもつとひとは大事なものを失う。
でも実際キャラの誕生日にサ終の告知をするなよ、とかめちゃくちゃ運営大丈夫かよというヤバさは確実にあり、コリーについては結局判断をしかねる。作品と好みが合致しただけだという可能性もある。ソシャゲ人生、そういうこともある。
私はアンゼロが好きだったし終わらないでほしかった。文句をいっておいて、それが調子のいい現金な発言なのもわかっているがやっぱり好きだった。
だから素直に悲しいし寂しい。同時にやっぱりそんな知らせをキャラの誕生日に発表するな、そういうところだぞおまえ…………………………というこのなんとも言いがたい複雑さもある。こうなって当然だと思ったし、だからこそ踏ん張れなかったものだったのかと思う。一年続いていれば変わっていたのか、でもまほやくがああだからなぁ…………みたいなうろんな感情もあるわけで、今はアンゼロの制作サイドに一旦お疲れさまでしたと言いたい。あなたたちの作ったお話が素敵だったことには変わらない。ずっとその先が見たかったし、きちんとハッピーエンドを迎えてほしかった。本編2.5部が作られたことを感謝しています。
ほんとに有り難う。一時の心の支えでした。
#アンゼロ
ソシャゲで半年という期間はほぼデバッグのようなものじゃないのだろうか、いやそんなことはもちろんないのだけど一年待たずして店仕舞いとは衝撃だった。
運営のコリーと言えば私は前にオンエアをプレイしたがガチャが渋すぎたのとストーリーの主人公のキャラがぶれたので撤退し、続いてまほやくをプレイしたが、公式で推奨される組み合わせについていけておらず、ここでしがみつくの難だよなと思ってほぼプレイを止めている。
そんなわけで何が言いたいのかというと、アンゼロリリース当初、コリーの作ったソシャゲという時点で自分のなかではかなり信用がなかった。
あれやこれやと難をつけ、またどうせ裏切られるのなら、嫌いになってしまおうと面倒くさい恋人のような心構えでプレイし、やっぱり難を見つけてはそら見たことか!とあてつけのように愚痴を言いながら一旦アンインストールした。
で、ハマった。
アンゼロは実際難があった。恋愛ストーリーがメインだというのに対象相手全員の個別ルートが読めるわけではなかったし、石の配布が渋ければガチャも渋いし、アイテムも落ちにくい。イベントは課金必須だし、本編も粗がないわけではない。探偵もの、裏社会もの、として舞台が整えられてるわりには、迫力はなく、完全ミステリーというほどのものではなかった。
女性向けとされるゲームは、男性客層に向けられるゲームと比べて結構作りが甘い。客層の規模が違うのだから当然ではあるのだが、それは結構がっかりさせられる話だ。
ではどこがよかったのか。
これは個人の感想なのだが、最近の女性向けゲームは基本的には男キャラ同士の組み合わせを眺める類いのものが多い。私は男同士の関係の話や二次創作をするが、基本的にはソシャゲで提供される男同士の組み合わせにあんまりツボがはまらないという個人的な好みがある(例外の作品もあるが)上に、ユーザーキャラと推しの組み合わせを好むのである。
そう、アンゼロはめちゃくちゃその好みに合致していた。だってそもそも、一生の恋をしようという、恋愛物語なのだ。
私がアンゼロに舞い戻ったのは推しのブライダルイベントが開催されたからだ。イベストを読んで気づいたのだ。
この作品ラブコメだ。
最初からアンゼロは恋のはなしだと言っているにも関わらず、まじで信用しておりませんでしたが、まじでラブコメだったことに衝撃を受けた。上記のような女性向けソシャゲ風潮がある最中で、このゲーム、男女ラブコメガチでやろうとしている………………………………………………
マンスリーパスを購入し、アンゼロにハマる日々が始まったのである。もちろん欠点のあるゲームにたいしてラブコメ無罪というわけではない、いや本当はラブコメ無罪なところはある。あるんだよ。
私は最初探偵ものミステリーものとして、アンゼロを受け取り読んでいた。主人公は記憶喪失だったし、だからいろんな事件が起きてその中で主人公の生い立ちを見つけ、自分自身という謎を解いていくのだろうと。だって真実はいつもひとつだから。
だが、アンゼロは最初から違ったのだ。だって言っていた、一生ものの恋って。言ってた。まじで言ってる。アンゼロは探偵ものミステリーを土台にした感情を失った記憶喪失の主人公と出会った相手との一生ものの愛と恋のはなしだったのだ。
こんなドストレートに男女恋愛ラブコメをこの現代にやってくれるだけで、度胸と覚悟が百億点だ。いやーほんと最初から言ってほしかった。
繰り返すが、アンゼロは最初からそう言ってるのである。
冒頭、コリーを信用していないと私は言っていた。こういう風に予断をもつとひとは大事なものを失う。
でも実際キャラの誕生日にサ終の告知をするなよ、とかめちゃくちゃ運営大丈夫かよというヤバさは確実にあり、コリーについては結局判断をしかねる。作品と好みが合致しただけだという可能性もある。ソシャゲ人生、そういうこともある。
私はアンゼロが好きだったし終わらないでほしかった。文句をいっておいて、それが調子のいい現金な発言なのもわかっているがやっぱり好きだった。
だから素直に悲しいし寂しい。同時にやっぱりそんな知らせをキャラの誕生日に発表するな、そういうところだぞおまえ…………………………というこのなんとも言いがたい複雑さもある。こうなって当然だと思ったし、だからこそ踏ん張れなかったものだったのかと思う。一年続いていれば変わっていたのか、でもまほやくがああだからなぁ…………みたいなうろんな感情もあるわけで、今はアンゼロの制作サイドに一旦お疲れさまでしたと言いたい。あなたたちの作ったお話が素敵だったことには変わらない。ずっとその先が見たかったし、きちんとハッピーエンドを迎えてほしかった。本編2.5部が作られたことを感謝しています。
ほんとに有り難う。一時の心の支えでした。
#アンゼロ

ほろた
2024/01/8 18:19
コナンゼミストーリーマスターコースが終わった
誤解を招く前に最初に言うがコナンゼミそのものは続いている。
終わったのは、ストーリーマスターコースだ。
まずコナンゼミとはなんぞや?の人に説明を向けると学研と名探偵コナンがコラボしたアニメを見ながら出題される問題を解くというサービスである。これには三つコースがありその内二つは小学生向けのものであったが、ストーリーマスターコースは大人向けの問題が提供されていた。サービス開始当初は赤井くんの映画というのとあり、緋色シリーズが延々と続いた。
これが結構難しかった。問題も勿論そうなのだが、コナンゼミの問題はキャラから出題され、そのキャラによって難易度が違う。特に赤井くんは難しい。問題が、ではない。赤井くんが何を言ってるのかがまじでさっぱりわかんないのである。Aという答えに導こうとしているはずなのに、概念がざっくりしており、てんで方向知らずのXぐらいの台詞で出題してくる。赤井くんのコミュニケーションに一抹の不安を覚え、本編の記憶とキャラとの関係性を振り返るだに衝突するのも誤解されるのも仕方ないと思えてくる。こうなると一週回って、こうやって接することで、赤井くんのキャラクターとしての解像度がぐんと上がり、むしろ大好きになってしまったぐらいである。
それがストーリーマスターコースをはじめたひとたちにとって、いい入り口だったのかは分からない。私は知り合いと一緒に通話しながら解いていたため、おい!!赤井くん!!わかんねえぞ!などとヤジを飛ばせたが、悶々と一人でやるには不条理であったと感じる。コナンゼミはその謎解きの性質上SNSでの問題共有は不向きだし不可だから、尚更だったかもしれない。
赤井くんの不条理ともいえる難コミュニケーションに振り回されたあと、出題者が蘭さんや他のキャラに変わったときの、問題が──わかるぞ!という楽しみかたは一般的でなかったにしろ、コナンゼミストーリーマスターコースはキャラクターというものの解像度が高く、名探偵コナンという作品に理解があったし愛があったから、キャラクターものとしても深く楽しめたのである。
詳しくは言えないがキャラによっては駄洒落だったし、アニメの話の展開によってはラブコメな問題も出題されていた。名探偵コナンのサービスとしてはかなり楽しい部類であったし、価格も良心的だった。続けるのに苦ではないし、アニメもこんな話しあったなと振り返ることができる。
しかしまあウケは悪かったのだろう、アンケートからはじまり、問題の難易度は徐々にグッと下がって、手応えがなくなった。ボイスの追加はあったが、好きなボイスは消え、ガチャも追加されたが、ポイントは金で買えないため、ガチで運次第の勝負だ。ただまあ、ドブッてもチケットが貰えて、それは現実的にアクスタと交換ができる。なんとおみくじ機能がついており、毎週一度だけ引けてこれが結構楽しい、のだが。やっぱりおみくじ結果はSNS共有はできない。
コナンゼミという知名度の低さからして、一部を除いてSNS共有不可というのは、結構難しい話だ。大人たちは学研ということで子供向けのサービスと思ったままだったろうし、最初からはじめたひとは問題の難しさに匙を投げたのかもしれない。そんなこんなで、あっという間にストーリーマスターコースは終わってしまった。最後の出題は緋色シリーズからだった。初志貫徹を感じさせる覚悟の終わりであった。
念のためもう一度書いておくと、ストーリーマスターコースは終わったが、小学生向けのコースふたつは続いている。一応高学年向けのサービスに移動したが、やっぱりストーリーマスターコースが懐かしい。今はただ榎本梓の衣装お着替え応援キャラが追加されるのを待っているばかりだ。
コナンゼミが終わるまで加入し続ける気持ちだが、ファンの方は一度コナンゼミに加入してみるのはどうだろうか。名探偵コナン×なぞとき×家で出来てなおかつアニメもみれるし、キャラから出題して貰え、正解すると誉めてくれる。やっぱりいいサービスだし、楽しい。
願わくば初期赤井くんをファンの方に体験して欲しかったものである。あれはいい、キャラ体験だったと深く思うし、コナンゼミに感謝している。
これからも面白い問題をつくって欲しいものである。がんばってください。
追記:現在はアドバンスコースに加入している。アニメを見る形式そのものではないがどうもスタンスは継承され、結構面白い問題も出る。相変わらず楽しいのでいいサービスだと思います。応援している。
#名探偵コナン
誤解を招く前に最初に言うがコナンゼミそのものは続いている。
終わったのは、ストーリーマスターコースだ。
まずコナンゼミとはなんぞや?の人に説明を向けると学研と名探偵コナンがコラボしたアニメを見ながら出題される問題を解くというサービスである。これには三つコースがありその内二つは小学生向けのものであったが、ストーリーマスターコースは大人向けの問題が提供されていた。サービス開始当初は赤井くんの映画というのとあり、緋色シリーズが延々と続いた。
これが結構難しかった。問題も勿論そうなのだが、コナンゼミの問題はキャラから出題され、そのキャラによって難易度が違う。特に赤井くんは難しい。問題が、ではない。赤井くんが何を言ってるのかがまじでさっぱりわかんないのである。Aという答えに導こうとしているはずなのに、概念がざっくりしており、てんで方向知らずのXぐらいの台詞で出題してくる。赤井くんのコミュニケーションに一抹の不安を覚え、本編の記憶とキャラとの関係性を振り返るだに衝突するのも誤解されるのも仕方ないと思えてくる。こうなると一週回って、こうやって接することで、赤井くんのキャラクターとしての解像度がぐんと上がり、むしろ大好きになってしまったぐらいである。
それがストーリーマスターコースをはじめたひとたちにとって、いい入り口だったのかは分からない。私は知り合いと一緒に通話しながら解いていたため、おい!!赤井くん!!わかんねえぞ!などとヤジを飛ばせたが、悶々と一人でやるには不条理であったと感じる。コナンゼミはその謎解きの性質上SNSでの問題共有は不向きだし不可だから、尚更だったかもしれない。
赤井くんの不条理ともいえる難コミュニケーションに振り回されたあと、出題者が蘭さんや他のキャラに変わったときの、問題が──わかるぞ!という楽しみかたは一般的でなかったにしろ、コナンゼミストーリーマスターコースはキャラクターというものの解像度が高く、名探偵コナンという作品に理解があったし愛があったから、キャラクターものとしても深く楽しめたのである。
詳しくは言えないがキャラによっては駄洒落だったし、アニメの話の展開によってはラブコメな問題も出題されていた。名探偵コナンのサービスとしてはかなり楽しい部類であったし、価格も良心的だった。続けるのに苦ではないし、アニメもこんな話しあったなと振り返ることができる。
しかしまあウケは悪かったのだろう、アンケートからはじまり、問題の難易度は徐々にグッと下がって、手応えがなくなった。ボイスの追加はあったが、好きなボイスは消え、ガチャも追加されたが、ポイントは金で買えないため、ガチで運次第の勝負だ。ただまあ、ドブッてもチケットが貰えて、それは現実的にアクスタと交換ができる。なんとおみくじ機能がついており、毎週一度だけ引けてこれが結構楽しい、のだが。やっぱりおみくじ結果はSNS共有はできない。
コナンゼミという知名度の低さからして、一部を除いてSNS共有不可というのは、結構難しい話だ。大人たちは学研ということで子供向けのサービスと思ったままだったろうし、最初からはじめたひとは問題の難しさに匙を投げたのかもしれない。そんなこんなで、あっという間にストーリーマスターコースは終わってしまった。最後の出題は緋色シリーズからだった。初志貫徹を感じさせる覚悟の終わりであった。
念のためもう一度書いておくと、ストーリーマスターコースは終わったが、小学生向けのコースふたつは続いている。一応高学年向けのサービスに移動したが、やっぱりストーリーマスターコースが懐かしい。今はただ榎本梓の衣装お着替え応援キャラが追加されるのを待っているばかりだ。
コナンゼミが終わるまで加入し続ける気持ちだが、ファンの方は一度コナンゼミに加入してみるのはどうだろうか。名探偵コナン×なぞとき×家で出来てなおかつアニメもみれるし、キャラから出題して貰え、正解すると誉めてくれる。やっぱりいいサービスだし、楽しい。
願わくば初期赤井くんをファンの方に体験して欲しかったものである。あれはいい、キャラ体験だったと深く思うし、コナンゼミに感謝している。
これからも面白い問題をつくって欲しいものである。がんばってください。
追記:現在はアドバンスコースに加入している。アニメを見る形式そのものではないがどうもスタンスは継承され、結構面白い問題も出る。相変わらず楽しいのでいいサービスだと思います。応援している。
#名探偵コナン

ほろた
2024/01/8 18:14
クリスマスメルトカウントダウン
まずセンセチアがかわいい。歌姫ってことだけど、センセチアのちょっとつり目なとことか露出があっても健康的なパワーがあってめっちゃがいい。夢へのひたむきさとか負けん気とか、一緒にいるヴィスカナムとの出会いと関係性もいい。二人のコンビが好きだ。お互い雑なようでいて、思いあっている。親子とも友だちでもない。仲間というか同士。
そのヴィスカナムの奔放な性格と深く根付いた恐怖の噛み合わせがいい。自分だけ覚えている悔しさもあったのだろうと思うが、怒りというよりは恐れという気がして、それが技術に邁進させるのは、根本的理由な気がしてよかった。なにかをなんとかしたいから、技術が生まれるのだと思うから。めちゃくちゃな性格のなかにある繊細さがよかった。この世界観で怪物を怖がることが描かれていたのも良かった。
その中できらりと光るゴメイサの純真さがいい。無邪気さって私は鼻につくときがあるんですけど(ひねくれてるから)、今回クローネさんも同行したけど、ゴメイサ以外の三人も純粋に何か夢に向かってるひとたちだから、この中で、みんなに(というか世界に)向けた純真さを持ってるゴメイサが、浮かずかといって持ち上げられず、バランスよくすっと通って光っていたのがよかった。ゴメイサだって、クリスマスへの思いは自分が助けられたというエゴがある。そして居合わせたヒーローみんなにそれぞれエゴがある。
とにかく読んでいてバランスがいいなーと思った。キャラバランスの組み合わせがいい。最高のメンツ。情熱と夢と無邪気さと知識と技術。それらがクリスマスを救う。情熱だけでもだめで、技術だけでもだめだ。四人のヒーローがいたから救えたクリスマスで、それはすごくロマンティックだったし、ヒューマニズムな気がした。
ラストバトルを応援してくれる現地の人や、最後の鍵を握るセンセチアが、あなたがいたから戦えるとオペレーター(ユーザーキャラ)にちゃんと目配せしてくれるのがかなり嬉しかった。戦いの場にいることと、いる意味を与えてくれた。案外そういう目配せが嫌みにならない、過度にならない、シナリオは珍しい。すごくどこまでもちょうどいいバランスで物語を楽しませてくれる。とても好きな話だ。
さらに嬉しかったのは去年のクリスマスイベントも世襲してくれていたこと。去年のクリスマスの頑張りを肯定してくれて、なおかつそれがヴィスカナムの父親が志していた科学(発明)の意味だと思った。
謎はまだまだ残されているし、本懐は遂げられていない。が、このひとつの出会いとみんながなし得てくれたことは最高のクリスマスプレゼントだった。
惜しむらくはイベント開催時期が年明けに股がっていたことだが、まあそれは仕方ない。
イベントといえばキャラエピローグだったが、これはゴメイサが予想外に裏切ってくれてとてもよかったね、、、というかみんなよくて、エピローグまでも最高だったのでにっこりしてしまった。とても満足感があった!
あとはクローネさんの新衣装待ってます!!!!!!!! 素敵なクリスマスをありがとうございました!
#ラブヒロ
まずセンセチアがかわいい。歌姫ってことだけど、センセチアのちょっとつり目なとことか露出があっても健康的なパワーがあってめっちゃがいい。夢へのひたむきさとか負けん気とか、一緒にいるヴィスカナムとの出会いと関係性もいい。二人のコンビが好きだ。お互い雑なようでいて、思いあっている。親子とも友だちでもない。仲間というか同士。
そのヴィスカナムの奔放な性格と深く根付いた恐怖の噛み合わせがいい。自分だけ覚えている悔しさもあったのだろうと思うが、怒りというよりは恐れという気がして、それが技術に邁進させるのは、根本的理由な気がしてよかった。なにかをなんとかしたいから、技術が生まれるのだと思うから。めちゃくちゃな性格のなかにある繊細さがよかった。この世界観で怪物を怖がることが描かれていたのも良かった。
その中できらりと光るゴメイサの純真さがいい。無邪気さって私は鼻につくときがあるんですけど(ひねくれてるから)、今回クローネさんも同行したけど、ゴメイサ以外の三人も純粋に何か夢に向かってるひとたちだから、この中で、みんなに(というか世界に)向けた純真さを持ってるゴメイサが、浮かずかといって持ち上げられず、バランスよくすっと通って光っていたのがよかった。ゴメイサだって、クリスマスへの思いは自分が助けられたというエゴがある。そして居合わせたヒーローみんなにそれぞれエゴがある。
とにかく読んでいてバランスがいいなーと思った。キャラバランスの組み合わせがいい。最高のメンツ。情熱と夢と無邪気さと知識と技術。それらがクリスマスを救う。情熱だけでもだめで、技術だけでもだめだ。四人のヒーローがいたから救えたクリスマスで、それはすごくロマンティックだったし、ヒューマニズムな気がした。
ラストバトルを応援してくれる現地の人や、最後の鍵を握るセンセチアが、あなたがいたから戦えるとオペレーター(ユーザーキャラ)にちゃんと目配せしてくれるのがかなり嬉しかった。戦いの場にいることと、いる意味を与えてくれた。案外そういう目配せが嫌みにならない、過度にならない、シナリオは珍しい。すごくどこまでもちょうどいいバランスで物語を楽しませてくれる。とても好きな話だ。
さらに嬉しかったのは去年のクリスマスイベントも世襲してくれていたこと。去年のクリスマスの頑張りを肯定してくれて、なおかつそれがヴィスカナムの父親が志していた科学(発明)の意味だと思った。
謎はまだまだ残されているし、本懐は遂げられていない。が、このひとつの出会いとみんながなし得てくれたことは最高のクリスマスプレゼントだった。
惜しむらくはイベント開催時期が年明けに股がっていたことだが、まあそれは仕方ない。
イベントといえばキャラエピローグだったが、これはゴメイサが予想外に裏切ってくれてとてもよかったね、、、というかみんなよくて、エピローグまでも最高だったのでにっこりしてしまった。とても満足感があった!
あとはクローネさんの新衣装待ってます!!!!!!!! 素敵なクリスマスをありがとうございました!
#ラブヒロ
Twitterに呟かないともりっとブログを書くらしく、最近のブログは情報ソースとしての勢いが強めて収益化を狙ってのことだと思うけどただの雑談ブログが見えなくなってしまうので結構悲しい。
不意にカジュアルに話をするとわたしは総合失調症で、三ヶ月に一回筋肉注射、いわゆるおしりに注射をしている。発症当時はお決まりの集団ストーカーされている妄想からはじまり、幻聴ががんがんと響いていた。結局失踪して、なんだかんだと家にはたどり着いたあと緊急入院となり、三ヶ月ほど軟禁みたいな暮らしをして、解放された。一度薬をやめて再発したが、気合いでなんとか現状の安定した状態になる。薬のお陰で安定してるが、結局見えない病気のため、家族には薬をやめたらなどと言われている。障害らしい障害はなく、一時期は障害手帳のはなしもされていたらしいが、こんなかんじで適当に生きている。自分がまともかの判断はできないが、すぐメンタルがだめになる自覚はあるし、多感な時期になったため、自分の土台が一度破滅的に壊れた自覚がある。それを構築するのにまだまだかかりそうで、いい年して自分探しのようなことを繰り返しているというわけだ。
幻聴というのは自分を嘲笑ったりバカにしたものが多く、道行く人は自分を嫌いなのだという恐怖と揺らぎがあって、人に嫌われるのがひどく怖かった。自分で自分にしかけたいじめ状態を脱するのは、結構大変で、それでよくトラブルになった。自分を安売りして、他人に奉仕することで、自分の価値を求め、消費していった。それでストレスをため、暴れだしてしまう。最悪な悪循環だ。それもまあぼちぼちと抜けつつある。突破口があったわけでも、画期的な答えがあったわけでもない。年を取ったから、というつまり時間が解決した面もある。一度ひどく打ちのめされたからというのもある。自分ってなんだろう?とよく考えたものだ。他人を物語に当てはめてロジックをみつけようとしたこともある。キャラクターのように、生きてる人間の気持ちを想像した。でも、やっぱり、生きてる人間ってそんなに物語的ではないし、深く考えていない人が多いのだ。オタクだとこれは結構躓く話だと思う。他者をロジックやストーリーとして見ない。思ったことは言わないと表明しないとなかったことになるし、望んでいても大抵は得られない。
他者があれほど怖かったが、今は外に出掛けてバスで待ってる人に話しかけたりする。年の頃を考えても、おばちゃんになるのだろうから、警戒されないのかもしれない。ほんのちょっと話すと気楽になる。相手がわかるからだ。昨日は前方を歩いてるひとがいて、避けようと歩道の縁石に乗ったら、相手も同じようにして、二人で笑った。そういう積み重ねでしか、安心は得られないのかもしれないとも思う。
インターネットでは、よく嘲笑されがちな病気だ。幻聴もそうだ。それに傷つかないわけではないし、かといって振り回されてるひとも大変だろう。治療は大事だし、病院には通うべきで、なおかつ周りの協力が必要だ。わたしは家族がいたから、なんとかなったのだ。
今でも、幻聴が聞こえたら嫌だから沈黙や静かな場所が怖い。人の声が聞こえると悪口をいってるかもしれないとはっと身構える。人とすれ違うのも怖い。インターネットはその点見えないから安心だ。それでも、病気が理由で侮辱的な言葉が飛び交っている。ぼんやりと眺める。それは面白いことではないのに、この人たちはなぜそれを面白いと思うのだろうと。
内科の医者に持病があると統合失調症と伝えたら誰にでも言わなくていいよと言われた。基本的にはいい医者なのだが、その点だけ、この病気は隠すべき恥部なのかと疑問に思った。
せん妄状態に戻りたくはない。万能感はあった。たしかに無敵だった。わたしを冷静にしたのは、幻聴を正直に話したら医者がわたしを隔離したことだ。なるほど、と思った。これは正直に話すと、ずっと入院させられるんだなと気付いた。私は医者に愛想を振りまき、いい患者ですよと装った。一ヶ月後、退院できた。わたしはその時はまだ幻聴が聞こえていた。自分は病気じゃない、まともなんだと、一年後薬をやめた。再発した。悪化した。なるほどと思った。これは一生付き合っていく病気で、薬をやめたらだめなのだと。そして、再び混乱状態になっても、結局自分が自分でないといけないのだと。ひたすら惨めで落ち込んだ、人生に救いはないのだと、泣いた。自分の価値は未だに認めてない。
でもまあ、生きててもいいかとは思う。だってまあ、死なない限りは生きてるんだしね。
患者を繋ぐツールも話せるところも探してみたがよくわからなかった。わたしはたぶん、軽度だったのかもしれない。それもまだ、実際よくわからないのだ。
統合失調症の患者の数は少なくなく、いきなり発症することもあるにも関わらず、あまりオープンに話せる場所もない。わたしにあまりわかることはないが、こういう人もいるのだとインターネットの片隅に書き留めておいた。
今は幻聴は遠い。
でもたまにふらっと揺らいでるなという感覚はくる。いつか自分をなくすかもしれないが、とりあえずはこのまま生活してみるつもりだ。
頑張ろうぜ。