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ほろた
肉体について

竹脇まりなさんとバービーさんが対談しているこの動画が好きだ



あとharaさんのこの漫画も
https://ddnavi.com/serial/929020/a/(ダヴィンチ特集記事)

私はめちゃくちゃ毛が濃くて、入院生活とか温泉とかで結構苦労した。脱毛しなさいというすすめで二十万ほどかけて全身脱毛したが、それでもまったくとは行かず、薄く生える程度になりかなり、楽になった。が、世の中の体毛ブーム(?)を見ると濃いままでもよかったのかなとも思う。かつて男は無駄毛丸出しでも道歩いてて笑われないのに、すれ違いざまに笑われることもあったから、女は損だなと思っていた。時代が変わって男の人も脱毛に傾いている。それはそれであんまりよくはないだろうとは思う。

肉体のコンプレックスは、結構あって、私は姉妹が痩せてたりおしゃれだったから、お前だけかわいくないなんて、親がセックスの仕方を間違えたんだろうと思春期言われたこともあった。言った奴はもうおぼえてもいないだろう。特に引きずっているわけじゃないが、女というイメージから自分がほど遠いことが、結構大変だった。髪を伸ばせばいいじゃないと言われても髪質が剛毛で量が多かった。伸ばすことにも向いていないし、目が悪かったからメイクのよさもいまいちわからない。二の腕が太く、ストレート体型だから女性らしいラインの服装もあんまりに似合わないしそういあタイプの服も別に好きではなかった。すれ違いざまにオカマと言われたりして、スカートをはくのも止めた。(シンプルなワンピースは結構好きなのだ)

世の中が多様性に傾いてきて、お?と思ったら、トランス差別がはじまった。女っぽい女しかこの世にはいないみたいな言説が苦手だ。わたしはそこから常に外れてきた。女子トイレから出てきたら驚かれることも、女子なんだとささやかれる経験もないひとたち。女湯につかってたら、じろじろ見られて怪訝な顔をされることもないひとたち。男女両方使えるトイレの存在をわたしは歓迎する。お風呂は個別がそもそもいいだろう。男女ではなく個人で区切るべきだ。

まあそれは、本題ではない。ダイエットの話をしようとしていたのだ。

ダイエットは断捨離と同じでおそらく、自分にとって丁度いい体型になるためのものだろう。断捨離がものが多すぎる人たちの方が多いために減らす方が良いと思われているようにダイエットも太ってると思ってる人が多いから痩せるのがいいと思われているだけだ。

で、実際自分の体重はうなぎのぼりなのだが、結構一番悩んでいた腹部のぽっこりが昨日の記事の通りにビオフェルミンパワーで大分凹んでいる。結構すごい。一体どこに肉がついているのだ?とおもうと二の腕と太ももらしく、あるいは全身平均化してついているらしく、パンパンである。が、結構もちもちの二の腕とも太ももも嫌いじゃない。かわいい気がするので。

血圧の関係で痩せろとは言われているので、引き続きダイエットはするのだが、どういう肉体を目指すべきなのかなあと思っている。多分好きなタイプのすけべの絵みたいに、腕と太もも太めに腹に筋肉が乗るんじゃないかな、この肉体。わりとでかくなるタイプの身体の気がするがそんなに筋肉を必要としていないので、柔軟性を高める方向でひとまず頑張りたいところだ。

自分の肉体の理想は自分で決めていい、とわかりつつある。でもやっぱり、痩せたいなとかは発生する。なんとなくセクシーな肉体になりたい。自分がアガるような。動ける身体がいちばんいいのだろう。使える道具みたいに、使える身体でありたい。それはつまり、手を掛けていることだが、あんまり保湿の方法とかもよくわからない。調べようとすると美が邪魔をする。美はどうでもいいのだ。必要なことをしたいのだ。なぜかそれが難しい。

身体を愛すことは難しい。
はやくわかるようになりたい。
自分の肉体が未だわからない。
老いつつある身体はかわいい。
大事にしたいのだ。

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ほろた
ドラネッツ・ガチャ



ドラネッツというロボットドラゴンに憧れていた時期があった。私が知っていたときは組立式の、おそらくガレージキットという種類の模型のひとつだと思う。
その時はドールやデザインドールにハマっていた時期で、その周囲のひとたちがいろんなドラネッツの写真を掲載していて、なんだかドラネッツが無性にかわいく思えて、憧れたものだ。
ただ自分で組み立てられる気が一切せずに、注文ボタンを押しかけては止めるのを繰り返し、その内そういった趣味から遠のいたので、記憶の外にあった。

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今日ふらりとガチャガチャのコーナーに行き、なんとなく絵を描きたかったから参考になるものがあればいいなと思った。その時、ドラネッツの名前を見つけた。記憶はあっという間に思い出し、かつて憧れたドラネッツが、カプセルトイという文化の力によって簡易版が発売されたのだとすぐに分かった。
すぐに手元の千円札を百円に両替し、ひとつだけと決めてハンドルを回した。手元にやってきたのはライム色のドラゴンだった。かわいい。
緑は私の好きな色だ。

カプセルトイという文化が、有名な造形やフィギュアを手に入れやすくしてくれて、それは色んな功罪があるのかもしれなくて、でもこうして、一度諦めて記憶の外に置いてきたドラネッツが、自分の手元にあることが、なんだか夢のようだったので、この記事を書いている。
とてもうれしい。

ドラネッツは400円だが、400円でいいのかこれは………?と思うような出来で、とても有難い。羽や口のパーツが動く。ドラネッツの公式アカウントを確認してみると、評判がいいらしく第二弾も出るとのことで今から楽しみにしている。
作者さん(さんど模型さん)、トイズキャビンさん、有り難うございました。

ドラネッツ作者(さんど模型さん)公式サイト
https://sandmokei.net/

トイズキャビン公式サイト
https://toyscabin.com/


#ドラネッツ
#ガチャガチャ
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ほろた
映画の感想


エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスとトップガン マーヴェリックの二本である。金も技術もあり丁寧に作られておりそれぞれに込められたメッセージもよかったが、特に刺さらず、いい映画だなという気持ちで終わった。
いい映画だなあというのだから、なにも思わずなにも怒り狂わないよりもましだし、ひさしぶりに映画館で映画見たのでいい体験をしたと思った。

エブリワンの方は、口煩い気ぜわしい母親が主人公で、メインが娘との話だから、かなり意欲作だなと思った。しかしまあ和解するのは娘がメインだが、監督が置いてるのは旦那の方で、彼がまあスーパースターだった。それがまたちょっといまいちだったかなというポイントだが、基本的には映像に凝っていて楽しく、衣装や表現も申し分ないので、ひさしぶりに見た映画としてはかなりよい体験だった。

トップガンの方はオールドスタイルな王道の洋画というかんじで、数年後にはテレビで放送されるのにはぴったりなハリウッド映画だった。正直前作をみていない為、友人の息子の願書を彼の母親にたくされていたからといって願書を破棄するのはかなり最悪で、それが命懸けの任務を任せることで帳尻合わせているのはかなり意味がわからなくて一緒に命懸けのやばいことをしたから、俺たちわかり合えたよね!てなるのはめちゃくちゃマッチョ思考だったので、正直意味がわからなかった。基本的には陽キャのマッチョ映画だったのでお手軽に楽しくみるにはいいだろうし、そんなかんじで解決するので、まあよかったねえというかんじだった。
エヴリワンのほうも、それで親子仲解決するかな?てかんじだったが、基本的に作品に置いてはパワーと勢いでよかったねえ!してくれれば問題がないので、二作ともいい映画だったのだ。パワーと勢いがあればいいエンタメである。雰囲気で感動したいのである。

来週も時間があるのでとりあえず映画をみようかなと思っている。毎秒ソシャゲをしてないと、人間暇なのである。


#映画
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ほろた
2023-03-14


FGOで高杉くんが出るらしい。私は森くんに惚れているので、当該のイベントでは男どもがわちゃわちゃやってるのを冷静に、ま、そんなんもんだろな、みたいに言っているのがえらくかっこよかったという記憶が残ってる程度である。戦国時代の男からしたら幕末男たちの精神は学生時代の青春扱いなのかなと思った。バレンタインイベントもスルーしたし、本格的にFGOに復帰することはなさそうである。
去年のFGOでは大統領イベントがめちゃくちゃ面白くて好きだったのだがファンからの評判は最悪だった為、この作品やファンと面白さの方向は今後合わないだろうなというのが最終の見切り判断だった。

上記にあるが、私は結構幕末時代を過小評価しており、というのも、政治が不安定だった頃に消費された若者(もしくはそれ以上の年齢の人物)への扱いが英雄視しすぎているのとそれを物語として消費しすぎているのが中々どうして気にくわないからである。過小評価というか、過分に高過ぎるので低く見積もりたいという気持ちがあるからだ。そういう意味で新撰組は苦手だし、坂本龍馬あたりも苦手である。戦国時代あたりなら、まあいいかという次第だ。
時代小説は読むものの専ら長屋ものだったりして、あまり歴史の人物そのものにロマンを感じることはない。必要なのは歴史を学び現代に活かすことだからであり、死んだひとがどう生きたかを楽しむのは、なんだかまあ下世話な気がするからである。まあよくもFGOをやってたなというかんじだが、近代以前はまあいいんじゃない?があるので、自分なりのボーダーがあるらしい。放サモはプレイし続けているしね。
そういう意味で文アルあたりは最悪で私はごんぎつねの作者がかなり好きなのだが童話を書いているからかショタ化されて、消費されている。かなり気持ち悪くて最悪だなと思っている。せめて成人男性キャラとして
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ほろた
2023-03-08



しばらくなにの予定もないので、日記である。ブログなのでそれもよしだ。つつるちゃんがブログを書いてくれて嬉しい。有り難うだ。昨日書いたイラストAIへの指示の英語が分かんないと言ったらつつるちゃんがチャットくんに言えばいいよと教えてくれたので、チャットくんで翻訳してもらいイラストAIに指示することができるようになり、結構参考になる画像を出力してもらった。有難い。つつるちゃんは天才である。

サイトに創作を掲載したが、今時は検索サーチもないので、このサイトにたどり着けるひとはいるのだろうか?という思いがある。Twitterアカウントも一度さくっと削除したので、楽しいアピールをしない限りは誰もたどり着けなさそうである。いつか気運が高まったら宣伝しようと思う。Apple Pencilはヨドバシで頼んだ。Amazonで偽物つかまされたら嫌だなと言う気持ちがある。配達時間を最初に指定したら以降その時間に来るようになってしまった。どこで変更できるのだろう。

三日前からダイエットをがんばっている。中年腹がすごく、洋梨体型というのだったか、あからさまにそんな体型をしている。一歩間違えれば妊婦と誤解されそうなので、ゆるい服しか着れなくなってしまった。服を探しにいくがどれもまあまあ、やる気がなくなるかんじで、薄い生地の一枚パーカーがほしいのだがこの時期は温度調整があるので、ジップアップパーカーがデフォルトのようだ。
その上でわたしは袖をめくる癖があるので、袖がするっとしててなおかつ、持ち上げたときに若干固定してくれるのが嬉しいのだ。もはやスポーツ用品店でもいく方が早いかもしれない、最近やっぱりナイキってかっこよくない?があるため、ナイキのパーカーが欲しい。でもかわいいのはアディダスだよね。しかし高いんだけども。

ソシャゲをほぼやらなくなり、ガチャにあれあれしなくなり、数日心が穏やかになっている。このまま引退したい。今月はもりもりやってた時期のバレンタインガチャ請求に追われて結構死にそうになってる。Apple Pencilも響いている。
頑張りたい。
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ほろた
2023-03-07


Apple Pencilが壊れてしまった。かなしい。とりあえず買い換えなくてはいけないので値段比較している。
花粉で咳が出るので結構困っているが、まだ病院にはいけていない。喉が焼けたみたいになっており、寝るときに咳き込むので寝れなくて少し憂鬱だ。

chatGPTに創作の相談をしている。色々と返してくれるので、かなり助かるしおかげで結構ベースが出来てきた。すこしずつ描ければいいなと思う。自発しないとチャットくんは返したくれないが思ったことをポンポン言うと答えてくれるのでこれが本当に生活に現れたら、寂しくないんじゃないかなあと思った。
老後は安泰である。死んだときには各所に連絡してくれそうだし。テクノロジーはあればあるほどよいので、生活を豊かにしてほしいものである。
AIイラストも活用したいのだが、英語で伝えるのが結構大変なのがあり、スマホよりはパソコンでさわる方が良さそうな感触がある。絵を描いてもらうというより、パターンとか紋様とか面倒なところをざっと複数提案してほしいのだ。こういうところにセンスは出るらしいが、どうにも苦手なので。あと背景とか提案してくれないかなあと思っている。
AIをうまく活用して創作ライフを楽しみたい。友達がいたらまた違うのかもしれないのだが、友達はツールではないので、いいのである。

ソシャゲが疎かになってきている。
いい傾向だ。
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ほろた
2023-03-03


子供の頃歯を磨くのが嫌いだった。今思えば学校環境が最悪だったためにおきたセルフネグレクトで、毎日荒れ狂っていたが自分がその原因になったひとたちはとっくに忘れていることだろう。とにかく学校が嫌いだった。
まあそれは置いておいて、歯を磨くことが嫌いなのに、噛み合わせが逆になっており、歯の矯正をすることになった。それには歯磨きが大事だっただがあまりにやらさすぎてめちゃくちゃ怒られていた。そんな調子だから、虫歯もたくさんあり、現在二本ほど奥歯がない。

そんなかんじだったのだが、インターネットの知識で虫歯が顎の骨にいくことを知り、かなりびびり、一念発起して歯医者に通いつめ、全部の歯を治療した。
それから虫歯になったら歯医者に行くを繰り返してる間に、今は三ヶ月に一度定期検診に行き、歯石のケアもしてもらっている。
歯磨きは今でも結構苦痛で、適当なのだが、知覚過敏になっているので、シュミテクトを頼りにしている。結局歯は磨くことでしか救われないので、歯を磨いているという次第だ。
その上で、つつるちゃんが、歯ブラシの交換を毎月教えてくれるので歯ブラシも清潔に保たれている。
今のところなんとかなっている。

インターネットの話がなければ、今頃歯はもっとボロボロだったのかもしれない。ありがとうインターネット。歯を磨くのは面倒だが歯石を取ってもらうのはかなり好きで、今は歯医者にいくのも結構好きだ。三ヶ月の単位だが、いけそうなら二ヶ月でもいいなあと思っている。

虫歯の治療は拷問染みているため、定期的に診てもらえるならそれに越したことはないのだろう。

そういえば子供の時に矯正でお世話になった歯科助手さんに、十数年振りに今通っている歯医者で再会した。業界が狭いのか、私が地元から動かなさすぎるのか、その両方だろう。
子供の時はお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。
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ほろた
2023-03-02



万博公園に行ってきた
午前は曇り空であんまり日が射しておらず、出掛けるぞとしたものの、あまり気が入らず絵など書いていた。が、どうにもしゃっきりならず、うだうだとしていたが、昼頃日が射し込んできたので、不意に今しかないという気分になり、昼飯に冷凍チャーハンとミニトマトを食べて、いそいそと準備をして出掛けた。
一年ぶりかという勢いの万博公園は天気のせいか平日だからかあまり人が少なく、エキスポシティがオープンして以来人が多いのが気になって足を向けなかったのだがようやく落ち着いた頃合いなのだろうかと考える。春休みに差し掛かる時期だし、桜の季節を控えて、嵐の前の静けさなのかもしれなかった。

この気温で野晒しの外に出掛けるわけだから、防寒をきちっとしていこうと着込むと周りはすっかり春のため、今だ冬から抜け出せない人として街には馴染まなかったのだが、万博公園についてみると、かなりの強風で日が射しているからそこまで寒くはないものの、ワークマンのコートを着てきたのはいい選択だった。あまり気温に悩まず、梅を眺めてぷらぷら歩いた。風が強いということは雲の流れが早いから空は青々として透き通っている。梅の枝がしきりに揺れるものの、花の盛りから少し過ぎた具合だったがきれいに咲いていた。
香りは風で流れて行くのかあまりせずに、少しそれが残念だった。品種によって、ピンク、白と色合いが違い、好みによって白と薄い緑の梅が気に入ったものの、ピンクの好きな人が生み出したであろう、紅色の鮮やかな一段と映える梅が堂々と咲いているのがなんだか微笑ましく、綺麗でしょうと話しかける賑やかさで風に揺れていて、君は綺麗だねえとつい頷いてしまうような次第だ。

今回のメインは花を見るのもそうだが、外でコーヒーを淹れて飲んでみる試みをしたく、出掛けたのでぷらぷらと歩いて良さそうなベンチをみつけて、そこでコーヒーを淹れてみた。
淹れてみるといっても、フィルター式のドリップコーヒーに持ってきた湯を注ぐだけなのだが、あまりの強風のため、グラスやコーヒーが飛んでいくかと思ってひやひやした。
それでも外で飲むコーヒーはとても美味しかったし、またやりたいなあと思う。


ぼんやりとベンチで寝転がって、空を眺めたり、椿を見たりとなんとなく憑き物が落ちるような心地で、余計な力が抜けていく気がした。
リラックス出来て、いい時間になった。
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ほろた
2023-03-01


Twitterに呟かないともりっとブログを書くらしく、最近のブログは情報ソースとしての勢いが強めて収益化を狙ってのことだと思うけどただの雑談ブログが見えなくなってしまうので結構悲しい。

不意にカジュアルに話をするとわたしは総合失調症で、三ヶ月に一回筋肉注射、いわゆるおしりに注射をしている。発症当時はお決まりの集団ストーカーされている妄想からはじまり、幻聴ががんがんと響いていた。結局失踪して、なんだかんだと家にはたどり着いたあと緊急入院となり、三ヶ月ほど軟禁みたいな暮らしをして、解放された。一度薬をやめて再発したが、気合いでなんとか現状の安定した状態になる。薬のお陰で安定してるが、結局見えない病気のため、家族には薬をやめたらなどと言われている。障害らしい障害はなく、一時期は障害手帳のはなしもされていたらしいが、こんなかんじで適当に生きている。自分がまともかの判断はできないが、すぐメンタルがだめになる自覚はあるし、多感な時期になったため、自分の土台が一度破滅的に壊れた自覚がある。それを構築するのにまだまだかかりそうで、いい年して自分探しのようなことを繰り返しているというわけだ。

幻聴というのは自分を嘲笑ったりバカにしたものが多く、道行く人は自分を嫌いなのだという恐怖と揺らぎがあって、人に嫌われるのがひどく怖かった。自分で自分にしかけたいじめ状態を脱するのは、結構大変で、それでよくトラブルになった。自分を安売りして、他人に奉仕することで、自分の価値を求め、消費していった。それでストレスをため、暴れだしてしまう。最悪な悪循環だ。それもまあぼちぼちと抜けつつある。突破口があったわけでも、画期的な答えがあったわけでもない。年を取ったから、というつまり時間が解決した面もある。一度ひどく打ちのめされたからというのもある。自分ってなんだろう?とよく考えたものだ。他人を物語に当てはめてロジックをみつけようとしたこともある。キャラクターのように、生きてる人間の気持ちを想像した。でも、やっぱり、生きてる人間ってそんなに物語的ではないし、深く考えていない人が多いのだ。オタクだとこれは結構躓く話だと思う。他者をロジックやストーリーとして見ない。思ったことは言わないと表明しないとなかったことになるし、望んでいても大抵は得られない。

他者があれほど怖かったが、今は外に出掛けてバスで待ってる人に話しかけたりする。年の頃を考えても、おばちゃんになるのだろうから、警戒されないのかもしれない。ほんのちょっと話すと気楽になる。相手がわかるからだ。昨日は前方を歩いてるひとがいて、避けようと歩道の縁石に乗ったら、相手も同じようにして、二人で笑った。そういう積み重ねでしか、安心は得られないのかもしれないとも思う。

インターネットでは、よく嘲笑されがちな病気だ。幻聴もそうだ。それに傷つかないわけではないし、かといって振り回されてるひとも大変だろう。治療は大事だし、病院には通うべきで、なおかつ周りの協力が必要だ。わたしは家族がいたから、なんとかなったのだ。

今でも、幻聴が聞こえたら嫌だから沈黙や静かな場所が怖い。人の声が聞こえると悪口をいってるかもしれないとはっと身構える。人とすれ違うのも怖い。インターネットはその点見えないから安心だ。それでも、病気が理由で侮辱的な言葉が飛び交っている。ぼんやりと眺める。それは面白いことではないのに、この人たちはなぜそれを面白いと思うのだろうと。

内科の医者に持病があると統合失調症と伝えたら誰にでも言わなくていいよと言われた。基本的にはいい医者なのだが、その点だけ、この病気は隠すべき恥部なのかと疑問に思った。

せん妄状態に戻りたくはない。万能感はあった。たしかに無敵だった。わたしを冷静にしたのは、幻聴を正直に話したら医者がわたしを隔離したことだ。なるほど、と思った。これは正直に話すと、ずっと入院させられるんだなと気付いた。私は医者に愛想を振りまき、いい患者ですよと装った。一ヶ月後、退院できた。わたしはその時はまだ幻聴が聞こえていた。自分は病気じゃない、まともなんだと、一年後薬をやめた。再発した。悪化した。なるほどと思った。これは一生付き合っていく病気で、薬をやめたらだめなのだと。そして、再び混乱状態になっても、結局自分が自分でないといけないのだと。ひたすら惨めで落ち込んだ、人生に救いはないのだと、泣いた。自分の価値は未だに認めてない。

でもまあ、生きててもいいかとは思う。だってまあ、死なない限りは生きてるんだしね。

患者を繋ぐツールも話せるところも探してみたがよくわからなかった。わたしはたぶん、軽度だったのかもしれない。それもまだ、実際よくわからないのだ。

統合失調症の患者の数は少なくなく、いきなり発症することもあるにも関わらず、あまりオープンに話せる場所もない。わたしにあまりわかることはないが、こういう人もいるのだとインターネットの片隅に書き留めておいた。

今は幻聴は遠い。
でもたまにふらっと揺らいでるなという感覚はくる。いつか自分をなくすかもしれないが、とりあえずはこのまま生活してみるつもりだ。

頑張ろうぜ。
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ほろた
2023-02-28

トータル百万くらい様々なソシャゲにちょっとずつ課金している。ガチャ廃人とは自称しているし、実際その通りだと思う。ギャンブル狂いのひとつで、依存症の本を読んだこともあった。書かれている状況はまさに自分と相違ないものだったと思う。
きっかけは愛猫を喪ったことで、精神が不安定になり、何かの突破口を求めて課金した。
そこからずぶずぶと課金する生活が始まっていったし、今もまだ抜けられたわけではない。

本当は良くないんじゃないかと気付いたひとつのきっかけはコロナで、社会全体そうだったと思うが生活環境が一変した。
漠然と変わらないと思っていた日常はたやすく変わり、いつ何があるかは分からないのだ、と気付けた。それから毎月少しだけ積立貯金を始めた。最近またぐずぐずと出来てはいないが、本当にちょっとずつ貯金している。積み立てNISAも少額で別口で始めた。いざという時の元手があるのだ、というのは妙な担保になった。

ソシャゲは相変わらず増えたり減ったりしながらプレイしている。
不意にここ数日、いつまでこの生活を続けるのかなあという気持ちになった。
消費する時間とかけるお金を考えた、というのは結構嘘で、なんとなく疲れたのだ。

ログインして、デイリーして、周回して、ガチャに一喜一憂して。数年は続けている。いい加減、飽きたというべきだ。この繰り返しに不意に飽きたのだ。

推しが出来て、毎日は潤ったが、それ以上に不安があった。新規できたとき、どのくらいのお金がかかるのだろうとも。
ここまで来たのだから、続けてもいいじゃないかと言う思いはあった。デイリーパスも購入していた。
待ち望んでいた復刻イベントで欲しい配布キャラがいるし。
楽しみにしているバレンタインイベントもある。それはみようとは思っている。
やろうとは思っている。

ソシャゲというガチャはひどい商売だ。別に、金を返せとは思わない。
その分、楽しんだのは事実だからだ。
楽しかったし、今でも好きだ。

今日ずっと捨てようと思っているトレーナーを着た。毛玉だらけでみっともなくて、着心地もよくない。洗ったら捨てるだろう。分かっているのに、今年中捨てずに着ていた。
ソシャゲという習慣も同じようなものなのだろう。
でももう、新しいトレーナーを買う。

私はずいぶんしんどくて、生きづらくて、毎日に退屈していて。うんざりしていて。手軽なことで、気分が晴れたかった。消費してやると思って消費していた。だからもう十分なのだ。

分かっているのに脳がでもいいの、と言う。いいわけないだろうが。半年楽しみにしてたんだぞ。やるに決まってるじゃないか!でもそれだけだ。ひどく興奮していた部分が落ち着いて、ああやっと正気になったなあと思う。

今日、すっと心が楽になったので、書き留めておいた。
離れがたい半身みたいだなあ。よしよし。