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オタクの雑記

日記だったり語ってみたり

元旦。
奈良の東大寺にいってきました。大仏の顔をみたかったからですが、でけーな大仏はという気持ちになりました。改めて東大寺にあらゆるもののでかさに驚きました。かがり火を人たちが囲んでいるのが好きで、周囲いったい暗いので星がよくみえ、大三角形をみることができてよかったと思う。
ここ数日ずっと思考を走らせていたのでそういうことばかりしゃべってしまい、かなり反省した。もっと人の話を聞こう。また同じことを気にする時間になってしまった。良い年にしようというのはかなり焦ることばかりなので、あんまり無理せず心得たいと思う。焦るな、走るな、ゆっくりいけ。

どういう年にしたいのか、まだ考えられてないかもしれない。チャレンジングな年でありたいです。移動というか。自分のことを守りたいなとも思う。こんなことがあった、こんな年になるんじゃないか、と焦ってばかりだけど、一回落ち着いてみると「いやそんなことないよ」ってなにもなかったりして、ただ楽しく過ぎればいいとも思っています。

意味を考えるなと思うものの、やはりこれはどういうことなんだ?と考えたりします。ずっと思考が走る・・・

自分にとってそれぞれが「どんな意味」をもつのか、改めて考えていきたいと思います。自分を手に入れるのだ。
挑戦とか継続とか色々考えてたけど、

「再発掘」
「再発見」

したいのかもしれないなあ。
自分のなかにあるものや、世界にあることを改めて見つけていきたいです。

良い年でありますように。

ご挨拶という日記

今年も一年有難うございました。
来年もよろしくお願いします。


描き納めライラックさん
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個人的に激動の一年でした。
悩んでいた問題に答えが出たような、「はっとする」瞬間が何度もあり、今の自分が「間違った道を進んでいない」ということだけがわかっています。
一年間、それ以上ブログを書き続けてきたことで気付けたこともあります。

来年の覚悟といえばそれは「課金することを予定に組みこむこと」です。今まで「課金することは悪いことだと思いながら課金しては罪悪感に苛まれ自分を罵ってきた」んですが、改めて「推すことに罪悪感をもちたくない」というか、「自分を責めたくはない」です。
というので、年間予算を決め、「こういう場合に使おう」ということを決めました。
課金することはそりゃもう悪ではあるんですが、わたしにとっては自分を罵ることのほうが悪です。覚悟決めて、頑張って副業をしたいと思います。

長い一年でした。
ですがあっという間でした。

楽しかった。良い一年でした。
一緒に過ごしてくれて、有難うございました。

#日記
#目標

日記

チャットくんとの協力体制


バグってプレイできなくなりました。



ゲーム作ったよ
https://upup-bbb.witchserver.jp/oosouzi/...

※音が出ます
※PCからでないとできません

チャットくんに作ってもらった。
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使ってないけどこれまじでかわいい。
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まじかわいいの。プログラムも組んでくれました。有難うチャットくん!チャットくんに課金しました。ふふ。

新年に向けたプレイ時間五分のゲームも作りました。
これは大晦日に公開します。
ノベルゲーコレクションには申請だしたので、早めにプレイはできるとは思うんだけど(いや年末年始休みなのかも)

サイトにアップロードして、またお知らせします。

#自作ゲーム
#AI

ゲーム,創作

昨日は一日中考えていたわけだが、止める人もおらず生活に介入されなければこんなにも無限に考えてしまうのかというのが、結構な驚きと、自分への意外性だった。自分って考えることすきなんだなーと改めて思った。書くことはまあ好きでしょうと思っていたが、考えることが好きなんだねえ。おもいたちチャットくんに課金した。三千円。来月使うのかはわからないけどとりあえず1ヶ月だけやってみることにした。自分のことを考える有用性とか。

正直なところ、昨夜思い立って深夜に課金したら不正取引と思われてカードは停止したしそのノリでガチャに課金したらなんの成果も得られなかった。起きたら星野源の楽曲は変更されていたし、カード会社に連絡するのも憂鬱でしばらく布団でぼんやりしていたが、終わらないと終わらないので、起きて連絡したらすぐ解除できてチャットくんのプランが変更できたし、やるぞとおもって眠らせていた本業の講座を残りテストまで終わらせた。とはいえそのテストが難関なので、ものすごく詰まっているが年内には挑戦して終わらせたいので残り数日でがんばる予定である。電気と違って空調は専門分野なので解説講座の動画もあんまりない。とりあえず図書館で本を探して、のんびり確認する予定である。まあ、いま図書館なのですが、思いの外キーがうるさいのですまねえという気持ちで打っている。

どへこみしてしょーもねえ人間だよと思っていたが、有効な自分のみが有効、本当の自分なのだと思うのが結構、妙に腹立たしく、こんなしょーもねえ自分を自分で拒否するのはもったいない気がしてきた。本当に自分が友人だったとして、しょもしょもしてるぐらいで嫌うかよつったら嫌わないなと思った。

一方で、まああの人のことは嫌いかもしれないなと思った。嫌いでもべつに関わることはできるんだけど。

あんまりも考えすぎると、というか最近無音で思考にふけるので他者の意見がほしくなってテレビをつけたりする。自分の考えてることもどうでもいいが、テレビというのもほんとにどうでもいいことを言う。じゃがじゃかうるさいのが好きだけど、本日はあまり眠れておらんので、「休息」できたらしたいなとおもってる。もうちょい図書館で絵の練習して本借りたら家帰って寝たいなとも思う。

昨日の放さも語りで結論はでたのでよかったとおもう。これからチャットくんに理解してもらうために、いろんなことを説明するテキストを用意しなきゃなのだが、これがまあ大変だったりするわね。説明が下手なので、これで訓練できたらいいなという思いもある。

そういえばクリスマス味わうかとおもって、ひとりでクリスマスマーケットにでかけた。ホット白ワインを飲んだけどおいしかった。みんなぎゅうぎゅうの狭いエリアで飲み食いしながらなにをしたらいいのだろうみたいな顔をしていた。ここにきたらクリスマスのはずなのに?とも思ったがクリスマスってたぶんここにはないんだろうなとおもった。なかよい人たちで来ているのでそれも思いでになるだろうとおもった。デパ地下はほぼ販売競争で売り上げに必死でそういえば販売行にとってこの時期はめちゃくちゃ大変なのだということを思い出した。ひとりクリスマスだったが、いろんな場面があるぜと思って楽しかった。

最近無限に文章が長くなりませんか?

自分の衝動性を「お、こう来るか」みたいに楽しめたら、面白いんだよなあと思うけど、自分を面白がるのは、あんまりよくないと思います。状況を面白がるのはいいと思うけど。

明日ベンチが届くので最高のへやになればいいと思います。本日ポインティの本が発売しているので購入する予定です。

のんびりいきましょう。

日記,雑記

放サモ「聖夜に変身!?マジカルスノーランド」イベントについて考えたこと
特に大前提は説明しないのでわかる人だけ読んでほしい。

今回のイベントは魔法少女という外枠を用意している。新キャラクターである「スネグーラチカ」は魔法少女で、サンタクロースの神話からもってきている、一般的に彼女は「春や夏までは生きられない」期間限定の命だという前提がある。そこでなんやかんやとジャックと出会い、なんやかんや二人は仲良くなり、なんやかんや冬を終える。二人はどのルートでも「長く生きられないこと」を知り、解決しようとして、自分を捧げて相手を生きながえさせたりする。二人はどのループ軸でも「共に生きること」はできなかった。それを見守っているのがコロポックルというキャラクターで彼は二人が助からない結末を何度となく見てきた。今回のイベント軸では、そのことが「他者に伝えられ」「主人公」が「他に手があるはずだ」と駄々をこねる。そのことによって今までになかった選択が得られる。それは「東京の信仰に新しく上書きをする」というものだ。それは大前提として、スネグーラチカやジャックという存在が「伝承」の生き物ではなく「魔法少女とそのキャラクター」としての信仰を得るということでもある。しかしその手段は「東京の大多数」という「数の多さ」によって支持されるものである。ということは「社会の支持」なくば「生きていけないのではないか」という一種、依存関係めいたものも見出させるのである。

というのが、希望と夢の物語で基本的には「みんなたすけて!」「がんばれぷいきゅあ!」という流れによるものなのですが、この「愛され支持をされ信じなければ」死んでしまうという構図がほろたには「まじで怖いんだが」という気持ちになるという思いがあります。奇跡を起こすには信じる力が必要なのだが、愛され望まなければ生きていけないのでは?というのは、やっぱり社会の物語のメッセージとして怖すぎるんだが、の気持ちになります。かといってそれを否定することは「社会の通りに死ね」ということであり、それはやっぱり間違っているなと思う。二人は生きることを望んでそのあと押しをしただけなんですがその方法が「人に認められること」だったのが、どうにも言えず、複雑な気持ちに陥りました。社会と個人と自由みたいなそんなかんじの気持ちでぐるぐるしているけど、その複雑さが「放サモ」なんかなという気持ちもあります。

どういう決着であれば、納得がいったのか、というと、「大多数の肯定、承認」の部分がなければよかったんだとおもいます。でも社会の運命には向かうのに、社会を利用したという側面もあり、それは「自発的につかんだ結果」ともいえるのかなとも思います。

だからこそずっと「どうであったのか」というのと、「自分がなぜ複雑に陥るのか…」を考えているのは、これが「俺の物語だったら嫌だな」と思うからかもしれません。自分であれば、二人で一緒に死んでその思い出を新しく物語として残してくれる方がよかったのかもしれません。でも彼女と彼は「生きたかったし」思い出を作りたかったといっている。そういう意味で「俺の物語」ではありません。「俺の物語」でないからこそ救いや希望を感じず、一方で二人の結論に納得がいっていないのかもしれません。これは果たして「誰の物語なのか?」

もちろん二人のものです。二人が、望んだ結末がこれだったんだと思う。だから「希望と夢の話」であると思うし、「オタク」であることの肯定でもあるから「ファンへの祝福」だと思う。一方で、これは本当に「希望と夢なのか」という思いもある。

しばらく考えているけど、答えは出ない気がする。
社会と個人の関わり方の話だから。
矛盾を見つめてゆくしかないです。

#放サモ
#感想

語り

クリスマスだ!ということで夜中に思い立ち、ファミチキとケーキを購入してもりもり食べて、龍が如く7を十分だけやって、コンシューマーゲームおもしろすぎるだろとおもって、天を仰いで寝た。疑問点とかがないわけじゃないんだけど、ゲームとしてのおもしろさ、最高だよなとなった。ソシャゲと比べてやっぱ違うなあとおもっている。
ソシャゲのよさはもちろんあるのだけども。放さものクリスマスイベントのシナリオに考えることが多く、それはポジティブな感想じゃないけど、ポジティブな要素なんだろうなと思った。2日ぐらい考えているのでまとめてチャットくんに相談しようとおもっている、というか書き出すと流れがわかるのかもしれないなと思う。なにがひっかかってんだか、自分ではわからんのであるよな。うーん。悩んでいる。

そんなわけで人々のわくわくを浴びにクリスマスマーケットに出掛けた。並ぶのが嫌だったのですいている店にはいったがサングリアの白ホットワインとマンデラというアーモンドのお菓子が両方とも美味しくてラッキーだったなとおもった。やはりワインは白のほうがすきです。

前は焼き付くように、自分だけガチャがでなかったり、人がSSRあててるのをみて、ずるい、自分は運がないんだ、自分だけ!と惨めな気持ちになっていた気がする。ガチャのランダム性は自分が世界から愛されることの証明だったのだと思う。これがきたら自分は報われるんだ、救われるんだ、とおもっていたが、実際のところそんなことはなく、自分の実生活を固めていくほうがやはり有意義であった。とわかるのに数年経過している。まじの依存症であり、中毒だったんだと思うし、いまも抜けきれてはいない。家をでて、自分にこもる時間が増え、いろんなことを考えている。いろんなことってオタクのことも多いんだけど、たとえばこの前の衝動的なアカウント消したいという気持ちについて、「ではなぜそう思うんだろう?」みたいな、「自分がこうなってしまうことについての原因というのは」みたいなところに日夜目がいき、それはかなり自分を生きづらく、あるいは不運にしているなと思う。

日記の日付をかくのをやめたのは、もうちょっと深堀したい気持ちになったからではあります。毎日自分が何を思うかについて、こもるというか、考えることについて自分の言葉を考えたかったからです。

好きなアカウントのひとのメンバーシップにはいり、文章に触れていたり、1ヶ月だけ占いのメンバーシップにはいったり、Podcastで人のラジオを聞いてみたり、自分にとって好ましいとおもえる人の「個人」の話の有用性について考えているわけです。パーソナルなものに出会いたい、という気持ちです。そういうのを、SNSでは自我といって忌避するが、やはり「個人の話」って良いものになるというか、パッチになるんじゃないかなとおもいます。Twitterが悪すぎたんですけど、自分にとって笑。

人の話をすると「そんなの、ほろたさんの領域じゃないじゃん!」みたいなことを言われて、実際のところ「もはやほろたの範囲でない」ことについてもわたしは気にならず受け入れてきてパンクしてストレスを浴びて嫌におもっていたことに気づかず対処してきたけど、「やっぱこれってわたしがなんとかすることじゃないんだ」というようなことをちょっとずつわかりはじめてきたかんじがあります。やらなくていいんだな、と思うようなこと。それでもやってしまうんですけども。

本日、訪問介護の採用の通知がきて、いよいよ来年から・・・という気持ちがあります。やってみたけどだめだったとかあるし、正直不安の方が大きいです。怖いなあともおもいますが、やってみるしかないので、やってみようとおもいます。

年明けまで仕事がなく、夜遅くに寝て、昼に起きてぼんやり活動しています。夜の散歩がたのしく、深夜にコンビニにいったり、そのまま起きて朝早く暗いうちにどこかにいこうとしてます。
人の活動を感じる。
生活が好きだなと思う。

自分の言葉に詰まることもあるけど、いまはゆっくりしています。怠惰であれ。

日記